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〜「福男選び」激闘の記録〜

西宮神社、開門神事福男選び」。
神事に参加し、祭りの最高潮を味わう。
そして、やがて夜が明けてゆく。
その朝焼けほど美しいものは…そう無い。

ここでは私の視点から、近年の「福男選び」 の模様を、
写真とともに紹介していこうと思う。

少しでも、あの祭りの雰囲気を感じてもらえれば幸いです。

 

令和4年
(2022年)

「2年連続中止でも“優しさ”を」
新型コロナの感染拡大は終わりが見えず、福男選びは2年連続の中止となった。その中で考えた…いつもの殺伐としたものではなく、優しさあふれる神事にしたいと。規模は小さいながらも、長年の夢を実現することができた。

開門前、誰にも言わずに出したメッセージ。この苦しい時間は決して無駄じゃない。前を向き、未来を信じて歩き続ける。

令和3年
(2021年)

「54年ぶり中止…それでも」
昨年の福男選び後から全世界にまん延した新型コロナウイルス。一時は対策を施して実施することになったものの、その脅威の前に、福男選びは54年ぶりの中止に。走り参りのない「開門神事」として行われた。

異例の神事となったが、その中で感じた原点回帰。また思わぬ形の中で、私が初めて経験した“一番福”への思いは意外なものだった。

令和2年
(2020年)

「令和初の神事、忍び寄る影」
昨年がひとつの区切りなら、この年は新たなスタート。新元号・令和となり初の神事であった。記念すべき瞬間に、女川から2人を招へい。華を添えた。

ヒヤリとする場面があったものの、大事故なく終えることができた「福男選び」。しかし終了後、社会情勢に変化が…。その“影”がのちにどれほどの事を引き起こすか、この時はまだ気づいていなかった。

平成31年
(2019年)

「平成最後の神事に東北の福女」
ひとつの時代が終わろうとしていた。半年後には新元号となるため、この年は「平成最後」の神事であった。その区切りの神事に呼んだのは東北の“福女”。史上初めて、門押さえのメンバーに女性が入るという歴史的な瞬間が訪れた。

テレビの企画で参加したお笑い芸人が二番福となり、何かと話題の多い神事となった。

平成30年
(2018年)

「トップアスリートは強かった」
門前スタート位置のクジ引き導入後、神事はバリバリの運動選手の火花散る争い…という雰囲気は薄まった。だが、やはりその中にトップアスリートが入ってしまうと、この年のような圧勝劇となる。

この年は“神社の都合”で東北からの協力者は呼べず。しかし、ある人が駆けつけ、素晴らしい活躍を見せてくれた。

平成29年
(2017
年)

「福親子が伝えた震災の教訓」
この年は東北からの協力者として、ユニークな「福親子」を招いた。開門前、参加者に伝えた言葉とは。

神事だから変えられぬ部分もあれば、神事だからこそできることもあるはず。自分にできることを模索していく。

平成28年
(2016
年)

「釜石から福男見参」
神事を通じて繋がった、西宮と東北の絆。昨年の女川「復幸男」に続き、今回は岩手県釜石市から「福男」を招へい。2つの被災地が協力し、人々に「福」を授けた。

また、新たな取り組みとして始めた「メッセージカード」。さらに繋がりを広く、強くしてくれるアイテムになってほしい。

平成27年
(2015年)

「神事から広がってゆく絆」
昨年に続き、初参加の大学生が上位を占めた。かつてのジンクスは完全に過去のものとなった。そんな中、大きなアクシデントも…。

この年は昨年の宮城県女川町に続き、岩手県釜石市のイベントをサポート。東北の素晴らしい人たちに、神事のカタチが活用されている…そう考えると胸がいっぱいになった。


平成26年
(2014年)

「福男選びと復幸男選び」
この年の福男は全員が大学生。また、一番福の男性は福島の高校出身の元高校球児だった。

神事後、宮城県女川町で行われている、避難訓練を兼ねたイベント「復幸男選び」を、本家「福男選び」がサポートすることに。歴史ある神事が、西宮と東北をつないだ。

平成25年
(2013年)

「史上最年少と最年長福男の誕生」
長い歴史を持つ開門神事。記録に残っている限り、史上最年少と最年長の福男が誕生した。そして神事後に起こったある出来事。それは新しい福男のカタチを感じさせるものだった。

神事を運営する開門神事講社は、東日本大震災の復興チャリティーを継続するとともに、新たな試みとしてクジ引き待ち時の分煙を実施した。

平成24年
(2012年)

「被災地から被災地へ」
東日本大震災後初めての開門神事。日本全国が暗い話題に沈む中、我々にできることはないか。復興した被災地から、復興しようとする被災地へ…我々は神事を通じて支援活動を行うことを決定した。

例年よりも特別な意味を持つ「福男選び」で選ばれた3人は、いずれも素晴らしい好青年。一番福は“福づくし”なことも話題となった。

平成23年
(2011年)

「アーメンがミッキーに?」
開門神事前から“ある一点”に報道が集中。祈祷殿(きとうでん)の完成で参道が変わり、コーナーがきつきなった…というものだった。あまりの大騒ぎに警察までもが動き、その結末は拍子抜けするものに。

「開門神事講社」3回目の神事。過熱する報道の中で、どう神事を運営していくべきだろうか。

平成22年
(2010年)

「福男は“チョ〜天然男”?」
「開門神事講社」設立2回目の神事。参加者の急増を受けてクジ引きは初めて定員を設け、またクジ引きの際に厳しい服装チェックを行った。さらに自覚を持ってもらうために「誓約書」が登場した。

この年の福男はインタビューで不思議発言を連発し話題を呼んだ。参加者は昨年に続き6000人を記録。開門神事は、かつての「地域の祭り」とはかけ離れたものになってきた。

平成21年
(2009年)

「トラブルの中に“福男スピリット”」
神事の運営を任される「開門神事講社」が設立され、初めての開門神事。歴史的な年に、私は初代講長として、今まで以上に深く神事に関わることになった。

門前に集結したのは、なんと歴史上最多の6000人。ゴール地点ではトラブルもあったが、その中で選ばれたのは素晴らしい“福男スピリット”を持ち合わせている男たちだった。

平成20年
(2008年)

「えべっさんの祝福を、君に」
「福男選び」では、しばしば信じられないような導きを目にする。それはまるで、えべっさんがにニッコリと微笑むかのように…。そしてこの年、真っ先に本殿へ飛び込んできたのは、誰よりも“一番福になるべき男”だった。

クジ引きに並んだ参加者はなんと1500人。参加者&メディアは過熱する一方で、もはや既存のクジ引きシステムはパンク寸前。開門前には予期せぬトラブルも…。例年にも増して、課題が多く残った。


平成19年
(2007年)

「変わってしまった神事の風景」
予期せぬ「写真判定導入」の事前記事。またもやいらぬコトで、神事が注目されることになってしまった。増え続ける参加者、低下してゆく参加者のモラル。すっかり変化してしまった神事…しかし、これが今現在のの「福男選び」なのだ…。

前年一番福の男性がまたもやトップで本殿にたどり着く。先の報道も含め、この年の神事は各メディアで大きく取り上げられた。

平成18年
(2006年)

「薄れつつある“神事”の意識」
前年に導入された「クジ引き」によるブロック分けシステムを、この年も引き続き実施した。大きなトラブルもなく、無事に終えられたかとも思われたが…。例年にも増して、課題の残る神事となった。

参加者は過熱を続けるが、今までとは違う目的の者も現れた。最終的に訴えるのは個々のモラル。「神事」であることを、再確認せねばならない時期にきているようだ。

平成17年
(2005年)

「新たな取り決め」
増加を続ける参加者数、過熱していく場所取り。ついに昨年は、日本中で報道される大騒動まで引き起こした。福男選びは間違いなく、“変わらなければならない”時に来ていた。そして実施された新たなシステム。

昨年の騒動を受け、マスコミから例年に増して注目された。まさに福男選びにとって“試金石”となった年であった。

平成16年
(2004年)

「福男史上最悪の大騒動」
昨年に引き続き、消防士集団が集団で門前に宿泊。“取り決め”はあったものの、神社側の弱腰により、それを抑制することはできなかった。…多くの参加者は開門前から知っていた。また「妨害行為」が起こることを。

神事後、福男史上最悪の大騒動に。一番福の男性が「福男返上」にまで発展することになった。

平成15年
(2003年)

「神事はスポーツではない」
この年、最も早く門前に来ていたのは、消防士の集団だった。彼らは、神事の仕切り役になることを主張する。自信の通り、強力なリーダーシップを取る彼ら。だが何やら、不穏な空気が流れはじめていた…。

本殿ゴール直前でまさかの大どんでん返し。一番福三大要素のひとつ「運」で、福をグイッと引き寄せた。

平成14年
(2002年)

「夢の舞台、その代償」
「もう一度、福男選びで全力で駆けたい」。一年間トレーニングを積み、足に特製の装具をつけて、私は夢にまで見た舞台に立つ。しかし、その代償はあまりにも大きなものだった…。

過去の2回の参加は、いずれも一番福に輝いている吉田が参戦。本殿前で、彼の“必殺技”がサク裂する。

平成13年
(2001年)

「まさに“ミスター福男”」
まだ入院中だった私は、病院を半ば抜け出すような形で赤門の前へ。当初は後先考えずに走るつもりだったが、友人の説得で思い留まった。そして私は初めて、この神事の本当の素晴らしさを知る。

私が「福男選び」に参加するきっかけになった人…善斉さん。えべっさんはその「ミスター福男」に、ニッコリと微笑んだ。

平成12年
(2000年)

「濡れた石畳、転倒者続出」
昨年のゴール前大転倒、その屈辱を胸に、私はこの日ためにめにトレーニングを積んできた。
だが・・・「福男選び」当日、私は病院のベッドの上にいた・・・。

「福男選び」のコースは、ただでさえ滑り易い神社の石畳。さらにこの年は、前日降り続いた雨により、転倒者が続出した。

平成11年
(1999年)

「えべっさんは誰に微笑む」
「もう負けられない!」その思いを胸に参加した、3度目の福男選び。
これ以上無いスタートダッシュを決めた私は、トップで本殿前に辿り着く。ようやく念願の一番福を手中にした…かに見えた。しかし、そこで待っていたのは…。

参加者は、前年を大きく上回る約2000人。
この年の「福男選び」は、私の人生を大きく変えることになる。

平成10年
(1998年)

「結局は速い者が勝つ」
福男選びに新星現る。 圧倒的な力を持って一番福をもぎ取ったその男は、インタビューで衝撃的な発言をする。

この年、福男選びは過去最高の約1200人の参加者を集めた。

平成9年
(1997年)

「伝説の名勝負の終焉」
もはや伝説となりつつある名勝負、「善斉・森本対決」の終焉、初参加だった私の2番福。
テレビ報道、そして…。

福男選びにとっても私にとっても、
大きなターニング・ポイントとなった年だった。

 

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