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平成31年(2019)
 「開門神事福男選び」

 

 2019年の福男選びは“2つの区切り”が込められていた。

 1つは「平成最後の神事」。春には新元号となることが発表されていたので、ひとつの時代を締める年となる。この時は世間のあらゆる場面で「平成最後の〜」をアタマにつけるのがブームのような感じだった。

 そしてもうひとつ。もしかしたら私以外は誰も興味なかっただろうが「開門神事講社発足から10回目の神事」であった。参加者有志の団体から急に神社公認団体となり、手探りを続けながら10年を迎えたことは感慨深いものがあった。

 そんな記念の年、東北からスペシャルゲストを呼ぶことになった。福男選びをヒントに、岩手県釜石市で行われている「韋駄天競走」の「福女」、阿部美由紀さんである。


「韋駄天競走」の女性部門。右端が阿部さん

 女性部門で2連覇した阿部さん。実は昨年の韋駄天競走終了後に、こんな話をされた。

 「もしお手伝いできるなら、福男選びに呼んでくれませんか」

 その願いを受けて招くことになったのだが、正直迷いもあった。協力者には開門時に“門押さえ”を担当してもらうことになるが、これまで女性が入ったことは、私が知る限りはない。果たして彼女を呼んでいいものか。

 悩んだ末に決めた。阿部さんは体力もあるし、地元愛にあふれているし、フルマラソンも走るガッツがある。…そして私の決断を後押ししたのは、やはり先に述べた“2つの区切り”だった。ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まろうとしている今だからこそ、彼女を呼ぶべきであると。


西宮神社に到着した阿部さん

 ただ、ひとつ誤算があった。「女性初の門押さえ」に、マスコミが予想以上に食いついたのだ。


西宮神社に到着した阿部さんを取材するメディア

 阿部さんが到着する1月8日には在阪メディアが集結。その対応に追われることになった。写真撮影では開門の練習をリクエストされたのだが、翌朝の新聞には、私が“壁ドン”しているかのような写真が掲載されたのだった…。


1月9日に掲載された記事。壁ドン…。

 

開門
参加者が一斉にダッシュ!

 

開門・別角度
紅白の服の男性がトップに立つ!

 


ゴール!一番福決定
序盤のリードを守り切って一番福に!

 

福男の3人
(左から)三番福・玉暉活也さん、一番福・山本優希さん、二番福・伊丹祐貴さん

 

歓喜の鏡割り
豪快に酒が飛び散る、福男選びのハイライトシーン

 


この年の開門担当メンバー

 初めて女性を門押さえメンバーに迎えた開門。正直、最後の最後まで不安はあった。いや、阿部さんはしっかり役目をこなしてくれると確信はしていたが、どんなものも絶対はない。もし不慮の事故など起こったりしたら…という重圧は常にあった。しかし、それは杞憂に終わった…どころか、彼女の期待以上の働きに感動しっぱなしであった。

 開門のVTRを見ると、素晴らしいタイミングで“逃げる”姿が映っていた。完璧である。


開門前、参加者に語りかける阿部さん

 門押さえだけではない。9日に神社会館で行われた講話でも、開門前での参加者へのメッセージでも、東北からの使者としてしっかりと思いを伝えてくれた。その姿に胸を打たれた人も多かっただろう。私が東北からの協力者を呼び続けているひとつの理由に「神事に特別な思いを込める」というものがある。それを十分過ぎるほどにこなしてくれた。記念すべき区切りの年に、彼女を呼んで本当に良かった。


二番福になった伊丹さん(手前)

 そしてこの年、最も注目を集めたのは、二番福になった伊丹祐貴さん。吉本興業のピン芸人である。肩書きを聞いてもしかしたら…と思ったら、やはりテレビ番組の企画で来ていたのである。その番組では何とか福男を取ろうと、とにかく足の速い芸人を大勢集め、神事に参加してきたのだ。伊丹さんはその中の一人だった。

 正直、それを聞いた時はいい印象を持たなかった。神事に何の思い入れもない人間たちが“おふざけ”で来て福男になってしまったとすれば、怒りさえ感じる出来事である。

 しかし、伊丹さんは違った。


二番福になり、笑顔を見せる伊丹さん(右)

 伊丹さんは西宮出身、今のように神事の知名度が全国区となる前から、ずっと地元の祭りとして愛着を持っていたのだそうだ。今回は突然のテレビ企画での参加となったが「いずれ個人的に挑戦してみたい」と思い続けていたという。本人の口からそのことを聞いた時、出まかせでないことはすぐに感じ取れた。

 これまでの神事レポで何度も書いてある通り、福男選びでは「何か」が起こる。きっと伊丹さんは福男になるべき人だったのだろう。福男になったのが伊丹さんで本当に良かったと、心から思う。

 


 

 福男選び終了後、恒例となっている釜石「韋駄天競走」と女川「復幸男」のお手伝いへ。


釜石で再会した阿部さん

 釜石では、神事で大活躍してくれた阿部さんと再会。残念ながら3連覇とはならなかったが、彼女は間違いなく「福女」。


黄色い手袋をはめ、メッセージカードに笑顔の参加者たち

 当初は「釜石応援団(全国に散らばっていた釜石出身者の集まり)」が主催していたが、だんだんと中心メンバーは地元の協力者にシフトしているという。それは、この先もずっとこの祭りを続けていくため。そういったことにも、釜石の人たちの“熱”を感じることができる。


「韋駄天競走」前には参加者全員で下見を行う

 韋駄天競走は毎回、驚くほど入念に“色んなコトをしっかりやる”。例えば、怪我などのアクシデントを防止するため、スタート前には参加者全員がコースを下見をする。要所要所にはスタッフがクッションを持って立つ。


「韋駄天競走」親子部門のスタート

 回数を重ねるにつれ、知名度が高まっていることを実感する韋駄天競走。そして毎回胸を打たれる「釜石応援団」をはじめとする、釜石の方々の熱い思い。学ぶところは本当に多い。

 


 

 女川は昨年から風景がまた変わった。新しい町役場がオープンし、これまで無数の卒塔婆が立てられていた慰霊碑は、立派な御影石のものに変わった。


新しく設置された女川の慰霊碑

 「復幸男」のコースはなんと400メートル超。延々と坂道を上ることになる。


スタート前の参加者たち

 始めて女川に来た時から任されている、スタート時の「逃げろ!」の掛け声。この大役を任されていることに重みを感じるとともに、やるからには「福男選び」と同じ熱量で、全身全霊をかけて叫ぶことを心に誓っている。


この年も担当した「逃げろ!」の合図

 そしてこの年限りで「復幸祭」はファイナル。被災地という看板から脱するため「ふっこう」という言葉を祭りから外すのだという。


復幸祭の最後に行われた“終わりの乾杯”

 しかし「復幸男」は終わらない。女川の人たちは「いつ再び起こるかも知れぬ天災に備え、1000年先まで続ける」と宣言。その言葉に胸が熱くなった。

 


 

 毎年、東北には自作新聞「福男新報」の特別版を書いて持っていくのだが、この年は思い切ってパソコンソフトで製作してみた。我ながら良くできたんじゃないかと。“味”という部分は手書きのほうが…というか“味”以外に、手書きが勝っている部分がない。ぶっちゃけ製作労力も10分の1以下。今後は本家のほうも、パソコン製作にシフトしていくことになるか。


「福男新報」、釜石特別版(左)と女川特別版

 蛇足だがもうひとつ。この年の神事後「突破ファイル」という番組で、私の半生を再現したドラマが放映された。


放送された私の半生の再現ドラマ

  平尾役は若い女性から人気の若手俳優、平田雄也さん。嬉しいやら恥ずかしいやらだったが、“自分を誰かが演じる”のを見る機会なんて滅多とない。感謝です。

 劇中では、私を“ミスター福男”と称した。私にとってその称号は、かつて何度も福男に輝いた善斉さん意外には考えられない。でも、誰かが私をそう呼んでくれるようになったということは、私がこれまでやってきたことは無駄じゃなかったのかな、と思ったり。


再現ドラマに出演した友人「チム」

 何より嬉しかったのは、友人「チム」が出てきたこと。私と福男選びを巡り合わせてくれ、苦しい時には励ましてくれた友人。悲しい別れからもう10年が経った。たとえ誰かが演じている“別人”だったとしても、動いている彼にもう一度会えたと思うと、胸が熱くなった。

 

平成31年 福男選び結果
一番福
山本 優希(やまもと・ゆうき)
二番福

伊丹 祐貴(いたみ・ゆうき)

三番福
玉暉 活也(たまき・かつや)

 

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