平成30年(2018) 「開門神事福男選び」 |
2015年から、毎年神事に招いていた「東北からの協力者」。この年もある人に声を掛け、愚弟的な話をしていたところだったのだが…神社側から、諸々の事情から突然「ストップ」がかかった。私の落胆は大きなものがあったが、神事をしっかり運営することに集中することにした。 そんな時である。ある人から「協力したい」と連絡があったのは…。 松田哲大さん。釜石の「韋駄天競走」を主催する、釜石応援団の団長である。名前を聞いたことはあったのだが、九州に住まれているとのことでお会いするのはこれが初めて。仕事の合間を縫って、西宮に駆けつけてくれた。
開門前には、参加者に感謝の気持ちを伝えてくれた松田さん。彼の存在がどれだけ心強いものだったか…感謝してもしきれない。 |
開門 |
開門数秒後 |
「審判の楠」直前のカーブ |
一番福が決定! |
サービスショット! |
福男による鏡割り |
3人の福男 |
門前スタート位置のクジ引きが導入されて以降、運が重要になる反面、福男への“ハードル”は下がったと感じていた。バリバリのトップアスリートたちの争いから、そんなに足が速くなくとも、運が良ければ(クジに当たったメンバー次第で)3位までに入ることができる。
ところがその中に、ちょっとレベルが違うアスリートが入ったなら…。この年の一番福・佐藤くんは陸上競技の実力者であり、まともに競走したら勝てるものはそういない。開門からわずか十数メートルほどで後ろを確認する余裕さえあり、後続に圧倒的な差をつけて一番福に輝いた。 三番福に、昨年二番福だった渡部くんが入った。「あれはちょっと勝てないっすね」と佐藤くんに脱帽していたが、クジ引きに当たることが難しい現システムで、連続での福男は素晴らしい。
この年、初めて「号外」を発行。神事終了後すぐに社務所のパソコンで制作しプリントアウト。まだ福男へのインタビューが続いている中で、参拝客に配られた。神事後の福男はマスコミに拘束され、参拝客が触れ合うこともできない状態となる。こういったものを作ることで、もっと神事を身近さを感じてくれたら。
そして、忙しい中で神事に駆けつけ、協力してくださった釜石応援団・松田団長。開門時には門押さえの一員に入るなど、素晴らしい働きをしてくれた。心から感謝したい。
2月には、その松田さんの故郷・釜石で「韋駄天競走」が行われ、この年も協力させていただいた。街は訪れるたびに変わり、スタート地点には昨年はなかった立派な復興住宅が建てられていた。避難訓練を兼ねながら、笑顔のあふれる素晴らしいイベント。特に親子部門の雰囲気は胸が熱くなるほど素敵だ。
夜、昨年に神事に協力してくれた、藤井さん親子とお会いし、とても楽しい時間を過ごした。
逞くん、たった一年で大きくなったなぁ。 この時、藤井さんと過ごしたのは、公園に建てられている仮設商店街「はまゆり商店街」。釜石に来た時はものすごくお世話になっていたが、市の方針で3月末で完全閉鎖に。新店舗に移転する人もいれば、これで廃業するという方も多いという。復興の難しさを痛感する。
ホテルでテレビをつけてみると「韋駄天競走」の様子が報じられていた。釜石応援団をはじめ、多くの関係者の方々の思いが、確実に広がっていることが嬉しい。
3月には女川へ。この年の「女川復幸男」は新しいコースになったと同時に、距離は400メートルというナカナカの距離に。さらに地元の神社が復興したとのことで、復幸男は直後に祈祷を受けるという流れとなった。これまで(西宮神社公認という以外は)宗教色と無縁だったので驚いたが、より地元に密着し、長く続けていこうという考えの表れなのかもしれない。
復幸男終了後、「Onagawa FM」の方に声をかけていただき、ラジオの収録を行った。16年に最後の生放送に出演させてもらった「女川さいがいFM」の流れをくむ局に出演できるとは嬉しすぎる。福男のこと、復幸男への思いを包み隠さず話した。 最後には大好きな花*花さんの曲「愛を少し語ろう」をリクエストしたぜ(`・ω☆´)
「復幸祭」では、持参した福男の法被を持って会場を巡り、記念写真を取ってもらうという企画を行った。なかなか好評で、特に子どもたちが喜んでくれたのが嬉しかった。 |
平成30年 福男選び結果 |
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一番福 |
佐藤 玄主 (さとう くろす) |
二番福 |
竹内 紘生 (たけうち こうき) |
三番福 |
渡部 涼 (わたべ りょう) |