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平成14年(2002年)
 「開門神事福男選び」

 

昨年、後ろから歩いて参加した「福男選び」。私は初めて、この神事の本質を知った。

神事後しばらくして、私は1年2ヵ月という長い入院生活を終える。

それからというもの、リハビリの毎日が続いた。いや…トレーニング、と言ったほうがいいかも知れない。私は毎日のようにジムに通い、まるで取り付かれたかのように体を鍛えた。全ては「福男」のためである。
今から振り返ると、なんであんなに拘っていたのかは解らない。だがあの時、「福男選びでもう一度、全力で駆けてみたい」という思いだけが私を支えていたのだ。

私が入院中に使っていた、骨折患者用の装具。患部に負担をかけず、ヒザに力がかかるような構造のものだ。私はこの底部に鉄板を取り付け、「走れる」ようなものに改造したのだ。
ハタから見ると「バカかお前」と思うような行動だった。だが…なぜかこの時私は、これで以前のように走ることができる、と確信していたのだ…。

 

 

開門直後
ポールポジションの男性が素晴らしいダッシュを決める。その斜め後ろに吉田。、右端に中村くん。

 

開門直後その2
上の写真の0.1秒ほど後だろうか。完全に門が開ききった直後。

この時点で吉田は3番手。ここからスピードに乗って行こうとしている。

 

 


さらに
平尾はこんな位置、赤い鉢巻の男。足に装具を装着しているのがはっきりと写っている。まったく、こんなんで走る奴があるか。本物の馬鹿だ。それにしても、良くコケて死ななかったなぁ…と悪運を痛感。

 

 

一斉に参加者たちがなだれ込む

第一コーナー「天秤カーブ」出口付近。
吉田、速すぎ!この時点でこのリード

 

 

 

 

そして…本殿前、吉田の“必殺技”がサク裂する!

 

 

 

 

…。

 

 

 

 

 

 

 

 

な、投げキッス…。

 

 

…やめときゃいいのに(-_-;)。

 

 

 

何はともあれ、吉田一番福!酒樽ゲット

新・福男たちによる鏡割り。
(左から)二番福・石田くん、一番福・吉田、三番福・中村くん

 

 

3度目の参加になった吉田光一郎。過去2度参加して、2度とも一番福に輝いている生粋のスプリンターである。この年の参加者の中で、「よーいどん」の競走で彼を負かせる者は居ないだろう。スタート前から「今年は吉田が大本命」との空気が流れた。
とはいっても、何が起こるか解らないこの神事。下馬評どおり吉田が勝つのか、はたまたニュー・ヒーローの誕生か…。

だが門が開いてしまうと、早々と吉田が先頭に立ち、そのまま余裕を残しての一番福。吉田は基本的な走力の差に加え、3度目の参加という「経験」も手に入れている。スタートでポンと飛び出せば、他の参加者が追いつくことはできなかった。

 

私が憧れ続けた「福男選び」の舞台。それは今の自分には、あまりに厳しいものだった。全力で駆けたが、他の参加者との力の差は歴然。“実力が違う”のではない。既に、私の足はもう“走れない足”だったのだ。いくら一所懸命に駆けても駆けても、次々と他の参加者に抜かれた。足が痛み出し、最後は本殿に辿り着くのがやっとだった。

悔しくて悔しくて…自分の限界を思い知った。

この時の様子は、当HPの「激戦VTR」で見ることができます。時間があれば是非どうぞ。

さらにこの「福男選び」の直後に足の状態が悪化。患部がやたら腫れて熱を持ち、恐る恐る“プニっ”と押してみたら、大量のウミが飛び出した!ぐえぇコリャダメだ〜!と病院へ駆け込んだら、アッサリと「コリャ手術だな」と、その場で「再手術&再入院」が決定。夢の舞台に立った代償はあまりに大きかった。
ちなみに再手術は、閉じていた足の傷を再切開、骨を洗浄し直すという大掛かりなもの。入院も2ヵ月。周囲には顔向けできない状況であった。

「福男になりたい」と思っていたけれど、こんなに周囲の人に迷惑をかけている人間が福男なわけがない。

「私は私のできることをして、うわべでない“本当の福男”を目指そう」。
病院のベッドの上で、私はそう誓った。

 


神事後に記念撮影
応援に来てくれた善斉さん(左)、一番福の吉田(中央)、と。大泣きした後なので平尾はヘロヘロ状態、しかし一生の宝物と言える1ショットだ。

 

 

平成14年度福男選び結果
一番福
吉田 光一郎 (よしだ こういちろう)
二番福
石田 博康 (いしだ ひろやす)
三番福
中村 昌泰 (なかむら まさひろ)

 

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