令和3年(2021) 「開門神事」 |
前回の神事後から世界中に広がった新型コロナウイルス。日本で罹患者が見つかるまでそう時間はかからなかった。 未知のウイルスまん延に人々は恐れおののいた。4月には史上初となる「緊急事態宣言」が 東京や大阪、西宮神社がある兵庫を含む7都府県 に発出されることになる。
学校は休校、飲食店など多くの施設は休業となり、各種イベントは中止。文字通り、街から人が消えた。
生活のために通常通り店を開ける飲食店もあったが、日中だというのにそもそも人がいない。ネットでは消毒液やマスクが高額で転売されるなど、異常な状態が続いていた。 これまで見たことのない光景が広がっていた。 緊急事態宣言の効果か、徐々には新型コロナの感染状況は落ち着きつつあった。 夏の終わりごろに神社と意見交換の場を設けた。新型コロナ禍の収束は見えない状況、神事では明らかに”密”が発生する。それでも最終的には、福男選びの開催は可能だという結論に至った。大きかったのは、政府が打ち出した旅行支援「GOTOトラベル」だった。
ダメージを受けた経済を立て直すため、政府が打ち出した旅行支援策「GOTOトラベル」。神社という施設は結構、国の政策に敏感だ。国として人の移動を推奨しているのに、神事を中止するのはおかしい!…という考え方である。 つまりGOTOトラベルは福男選びを実施する(できる)根拠、誤解を恐れずに言えば”免罪符”でもあった。 「福男選び」は様々な新型コロナ対策を施した上で、規模を縮小して実施することになった。具体的には、 (1)門前ブロックに入るためのクジ引きは中止、事前に申し込み用紙を送付してもらい抽選 (2)門前ブロックの人数を計258人から70人に絞る (3)走り参りの際、特製のメッシュ生地マスクを着けてもらう …などである。
しかし、そのGOTOトラベルも12月末、新型コロナ感染拡大で停止となり、しかも期間が神事と重なるとなれば、もう「中止」の選択以外に有り得なかった。 一方で福男選びを愛する一人の人間としては「ホッとした」というのが本音であった。 新型コロナ”第3波”で医療現場がひっ迫している中、全国的に注目を集める神事を行えばどうなるか。現状ではどれだけ対策を施したとしても感染リスクはゼロにならない。世間から大きな非難を浴び、神事の印象が地に落ちることは火を見るより明らかだ。 神事への非難は受け止められても、何より、この大変な時期に医療現場で働いておられる方の負担を増やしたり「こんな時に福男選びとかやりやがって馬鹿が」と思われることは絶対に避けたいと思っていた。私の近い人にも医療従事者おり、ずっと胸を痛めていたのだ。 「福」を扱う神事で「不幸」を広げるなんて、そんなの笑えないにも程がある。 我々開門神事講社は、西宮神社から「福男選び」の運営を任されている団体。もっと言えば、神事を「守る」ことが使命だ。今回においては、継続が大事うんぬんでリスクを押して開催することが最善ではない。中止という決定が結果的に神事を守ることになると信じる。 |
開門前の境内 |
開門 |
本殿へ誘導 |
福男選びは実に54ぶりの中止。走り参りのない「開門神事」として行われた。静かに門を開け、開門神事講社メンバーが参拝者を本殿まで誘導する…というものだ、私は講社の講長として、一番先頭を歩せてもらった。 例年からは考えられないような静かな神事となったが、これはこれで良かったのではないかと思っている。 近年の福男選びは開門時の激しさや誰が一番福になるかばかりが注目されている。しかし神事の本質は「年の初めにえべっさんに会いにいき福を授かる」こと。だからこそ開門前には5000人もの人が門前に集まるのだ。走り参りはなくなったが、神事としては原点回帰できたともいえる。 ちなみに赤門から歩き出す時に「えべっさんに会いに行こう、前進!」と号令をかけたのだが、実はアドリブ。事前の話し合いではできるだけ声を出さないよう神社や警備会社から言われていたのだが…。
◇ ◇
参道を歩きながら、20年以上前のコトを思い出していた。2001年、事故で長期入院中だった私はどうしても開門神事に参加したくて病院に外出許可を出し、参道を歩いた。それまで一番福を目指し、開門と同時に全力疾走していた私が、初めて「歩いた」神事だった。
その時に一緒に歩いてくれたのがチム。私と福男選びを出会わせてくれた大切な友人だ。若くして天国へ旅立ってしまったチム…参道を歩きながら、アイツと一緒に本殿を目指した風景が脳裏に蘇って、こみ上げるものがあった。
神事後、西宮のコミュニティーFM「さくらFM」から生中継取材を受けた際、インタビューを担当したDJ・ひぐちのりこさんに、こんなことを言った。 「ひぐちさんの声を聞くと、昔を思い出して元気が出るんです」 きっとラジオを聞いていた人たちは「何言ってんだコイツ」と思っただろう。 実は学生時代はよくFM大阪を聞いていて、番組にリクエスト投稿するのが好きだった。京都の大学に通っていた私は電車の中で、いつもひぐちさんの声を耳にしていたのだ。
とはいっても当時のひぐちさんは番組を持っているDJさんではなく、番組の途中に挿入される通販コーナーを担当されていた“ラジマートのお姉さん”だった。 そんな時、レギュラーDJさんがお休みされた際、ひぐちさんが番組を代打担当されたのだ。あの時は衝撃的だったなー。だってずっと通販会社の人だと思っていたから。そして、その元気な声の聞きやすいこと。すぐにひぐちさんのファンになっちゃったのだ。 それから事故に遭い、病院でリハビリに励んでいた時も何度もひぐちさんの声に元気をもらってきたのだ。
退院し就職したあとはラジオを聞かなくなったけれど、ひぐちさんが西宮FM局のDJになっていたことや、神社の境内放送を担当されてると知って本当に驚いた。ひぐちさんの声を聞くと、走るのがとにかく好きだったあの頃、もう一度赤門の前に立ちたいと歯を食いしばってリハビリしていた頃を思い出すのだ。 生放送で“やっちまった感”もなきにしもあらずだが、逆にあのシチュエーションだからこそ言えた気がする。ずっと心の中にあった感謝の気持ちを伝えられて、本当によかった。
この年の神事を終えたあと、たくさんの人に言われたコトがある。 「やっと一番福になれたな」 もちろん正式には違う。福男選びは中止になっている。けれど今回、赤門から本殿に向かう列の先頭を歩かせてもらった。例年の「1月10日の朝、もっとも早く本殿にたどり着いた者が一番福」であるならば、令和3年の一番福は私ということになる。 二番福には2回なった。一番福になりかけたのに大転倒し「日本一不幸な男」と呼ばれたこともあった。事故で足に障害が残り、裏方にまわった今では、その称号は永遠に手に入らないものになった。 誰よりも福男選びを愛し、一番福にあこがれていた私。それを知っているから仲間たちは、口々にそう声をかけてくれたのだった。
それが今回、非公式ではあるが“一番福”になったんだけれど…実は驚くほど喜びはなかった。それよりもはるかに、異例の形となった神事が無事に終わったことへの安堵が大きかったのだ。 そこで気づく。あれほどあこがれていた一番福よりも。もっと大切なものが私の中にあるのだ。開門神事講社の講長として多くの人に「福」をもって帰ってもらうこと…それが今の私の使命であり、最も大切なコトなのだ。 そう思えたのは、私の誇りである。
神事を終えた直後、恒例となっている号外を作成して参拝客に配った。その大きな見出しは、こうつけた。
「それでも、門は開く」 新型コロナという脅威が出現し、生活が一変したこの一年。 それでも、門は開く。人々の「福」のために。 |
令和3年 福男選び結果 |
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一番福 |
中止により該当なし |
二番福 |
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三番福 |