令和4年(2022) 「開門神事」 |
「福男選び」は2年連続の中止になった。 神社の判断は早かった。私のところへ「次回の福男選びをどうするか、平尾さんの今の考えを聞きたい」と連絡があったのは、本格的な秋を迎える前だった。私は考えるまでもなく答えた。 「無理だと思います」 当時の新型コロナ感染拡大状況は、以前に比べれば落ち着いていた感じもあった。しかし、他の祭りやイベントはほとんど中止、冬に大きな感染の波が来ると言われている中、激しい“走り参り”の開催が不可能なのは火を見るより明らかだった。 私に聞くまでもなく、神社側としてはすでに「2年連続中止」の方針が固まっていたようだ。しばらくして正式発表。
昨年は当初は開催の方向で動いていたため、直前の中止発表で混乱もあった。なので早い時期に中止を決めたことは正しい判断だろう。 社会情勢を鑑みれば仕方ないことである。私の中でもあきらめに近い感情が生まれていて、昨年ほど悔しさを感じなかった。 このまま私の中でも世間でも「福男選び」は忘れ去られていくんじゃないか、そんなコトさえ考えた…。 |
深夜の南門前 |
深夜の赤門 |
開門直前、境内から |
開門 |
開門神事講社が先導 |
2年連続の中止となった福男選び。昨年は参拝者列の先頭を歩いたが、この年は開門の号令のあと、赤門横でゾロゾロと境内に入っていく人たちを見ていた。 走り参りのない神事、それなら「今しかできないコトをやろう」と2つの試みを行っていたのだ。 1つは、先導を若手に任せること。 昨年は講長の私を含め、開門神事講社の幹部が先頭で参拝者を誘導したが、この年は若手が中心。中には神事そのものに参加するのも初めてという者もいた。 そしてもう1つは「ユニバーサルエリア(ユニバーサルスペース)」の設置である。 これまで福男選びに関わってきて、疑問に思うことがあった。開門と同時に境内に入れるエリアは、健脚自慢の若者ばかり。制限もある。危険が伴う神事のためそれは仕方がないことである。しかし、えべっさんの「福」は本来、多くの人に開かれているべきじゃないのか。 福男選びに深く関わりながら、ずっと抱えていたジレンマだった。 しかし今ならできる。これまで1月10日の午前6時に門前に立つことができなかった人たち…具体的には、車いす利用者や老人、子ども連れなど…が、優先的に入ることができるスペースを作るのだ。 これまでの「福男選び」は、誤解を恐れずに言えば我先に福を奪い合う殺伐としたものだった。今回はその真逆の、優しさにあふれる神事にしたかった。
ただしこの案については事前に告知することができなかった。神社側から「そういった人たちを優遇するのは、誰でも平等に、という考えに反する」という意見が出たのだ。ちょっとモヤモヤしたものを感じたが、ともあれ告知は9日赤門前で無料配布された「福男新報」の記事だけに。開門直前に並んでいる人たちの中に対象者がいたら声をかける、という方式になった。 かくして「ユニバーサルエリア」は十分に告知することができず、門前エリアに招待された人はとても少なかった。それでも、門前エリアに入った親子連れ(お子さんがベビーカー)が、もの凄く喜んでくれたと後から聞き嬉しかった。
規模は小さな試みだったが、長年の夢が叶ったようで、胸が震えた。
開門数分前。私はあるメッセージ≠出した。実はこれ、神社関係者はもちろん、開門神事講社メンバーの誰にも話さずに独断で行ったサプライズであった。
「福男選びは必ず復活する」 中止になった2年間。走り参りはできなかったが、ユニバーサルエリアも含め、これまででは絶対にできなかったコトもできた。決して無意味ではなかった。そして、伝統をつなげていく役目ができたことを誇りに思う。 けれども、やはりこの神事の醍醐味は、門が開いた時の爆発力にある。それに魅せられてずっと神事に関わってきたのだ。やはり寂しいし、悔しい。 来年こそ、きっと。前を向き、たゆまぬ努力を続けていく。 |
令和4年 福男選び結果 |
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一番福 |
中止により該当なし |
二番福 |
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三番福 |