平成15年(2003年) 「開門神事福男選び」 |
私を含めた神事の常連達たちは、この回の「福男選び」に向け、例年のように昨年末から神社と話し合いを持ち、当日のある程度の流れを決めていた。決して「取りしきる」ためではなく、ルール無用の中にも、一定の「秩序を保つため」であった。 ところが…である。 「一番早く門前に来た参加者が、その年の神事を取りしきる」。 マスコミはどこからそんな情報を得たのか。もちろんそんな話は聞いたことがない。だが消防士集団はその情報を主張し、「一番早く来たのだから、俺達が仕切るのは当然」という。私を含めた神事の常連は、彼らの代表を含めて話し合った。その結果、彼らの言い分通り、今年は消防士集団に取りしきってもらうことになった。もちろん丸投げではなく、彼らより経験のある参加者は、それを出来る限りサポートする、と約束した。 |
開門直後 |
彼らは本当に、うまく仕切ってくれた。個人ではなく、集団で来ていた、ということもあるだろう。多少は強引な部分もあったが、門が開くまでは、彼らのおかげで神事が円滑に進んだのは確かだった。 だが、いざ門が開くと、状況が一変した。彼らはグループの中の1人を勝たすため、その他のメンバーが他の参加者に対し、露骨な妨害を行ったのだ。実はこのような事態になることは、ある程度は解っていた。あれだけの集団で来ていて「その中の1人を勝たそうとしている」ことは雰囲気でみんな知っていた。またそれを裏付ける、テレビのインタビュー映像が残っている。 集団の1人「今回は○○君を勝たせます」 かくして彼らは、見事に「カベ」の役割を果たしたのである。 だが、ある人がこう言った。 「仕方ないよ、福男選びはスポーツじゃないんだもの」。 そう、福男選びはスポーツではない。決められたコースを、一斉にヨーイドンで走る競争ではない。そのため、明確なルールなどは無いのだ。決められているコトといえば、 1.午前6時開門 これだけである。 あくまで「個人的意見」ということを前提に書かせてもらえば、私はこういう手を決して認めたくない。また、私はこの神事に参加する者は、「自分のベストを尽くすべき」だと考えている。決して、仲間を勝たせるために自己犠牲を払う…なんて、何の美談にもならない。 私は個人的には、こういった行為を認めるつもりはない。しかし…「福男選びはスポーツではない」のだ。
先ほども書いたように、彼らが開門の時に他の参加者を妨害する、ということは雰囲気で解っていた。私は激励に来てくれた私の師匠・善斉さんにこのことを話した。その時、ごくごく自然に、こんな会話を交わしたのである。 善斉「ふーん、コケるやろな」 何気なく交わした会話。冗談でも、ちゃかしていたワケでもない。何の根拠もない。だが…なんとなくだが私も善斉さんも、彼らの仲間が一番福になれないだろう、と確信していたのである。神事は、まさにその予想通りとなった。仲間に守られた彼は独走したが、ゴール直前でまさかの転倒、三番福に甘んじることになった。 福男選びでは、何かが起こるのである。 またこの年の一番福である中村君であるが、かなりの強運である。なにせ、ほとんど三番福が確定している状況で前の2人が転んでくれたのだから。 私がずっと「福男選び」を見てきた上での結論は、一番福になるには3つの要素が必要だということだ。1つめは「走力」、2つめは「コース取り(経験)」、そして3つめは「運」である。一番福になるにはどれも少なからず持ち合わせていなければならないが、意外と「どれも完全に手に入れている」という人は見たことがない。「特にどれか1つの要素が飛びぬけている」というパターンなのだ。 一昨年の吉田が「走力」、昨年の善斉さんが「コース取り(経験)」で勝ち取った一番福ならば、この年の中村君はまさしく「運」で勝ち取った一番福だ。決してタナボタ、まぐれでの一番福ではない。まさに“福男の中の福男”の誕生であった。 |
お見事!中村くんが一番福ゲット |
平成15年度福男選び結果 |
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一番福 |
中村 昌泰 (なかむら まさひろ) |
二番福 |
石田 博康 (いしだ ひろやす) |
三番福 |
消防士の男性(氏名は伏せます) |