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平成10年(1998年)
 「開門神事福男選び」

 

前回まで毎年続いていた「善斉・森本対決」。もちろん今年も、その二人を中心としたレースになると思われていた。
ところがこの日、関東地方が大寒波にみまわれ、当時横浜に住んでいた森本さんが来れなくなるというハプニング。レースを待たずして、何か波乱含みの雰囲気となった。

私は「今年こそ」の思いから、門前に一番乗り、絶好のポジションを得た。
しかし、そんな中、一人の男が現れる。吉田と名乗る彼は、善斉さんの大学の後輩。聞くと、国体などにも出場経験があるスプリンターらしい。
さらに、大学生の選手権で活躍している、 大喜田(おおきだ)氏も参加。
森本さんは欠場したが、 簡単に勝てそうには無い…。

この年、福男選び史上最高の1200人の参加者を集めた。

スタート直後
私は絶好のスタートを切る。同じく、善斉さん・吉田も好スタート。阪神タイガースのハチマキを締めた荒川さんの姿も。今でも十日えびすのポスターなどに使われるショット。

スタートを正面から
上の写真の場面を正面から。何時間も門前で待っていた人々の思いが、開門と同時に一気に解き放たれ、爆発する。「福男選び」の醍醐味を凝縮したようなショット。

 

レース後の表彰式

向かって中央に一番福・吉田、左に二番福・平尾、右に三番福・大喜田。

1000人を超える参加者たちが見守る本殿上での表彰式。西宮神社・ 吉井良隆宮司から、直々に認定書を賜る。この瞬間から、正式に「福男」となるのだ。

「おめでとう」の声が飛ぶ。興奮冷めやまぬ境内。

 

新たな福男3人による「鏡割り」
「福男」の称号を授かった3人は鏡割りを行い、参拝客にお神酒を振舞う。福男とは自分のためだけでなく、あらゆる人に福を分け与えるのが仕事なのだ。
参拝客達は、我先に酒を求め、美酒に酔う。

 

吉田は速かった。
私はダッシュでは吉田をリードしたものの、中盤の長い直線では、走力の差が顕著に表れる。

そして見事、圧倒的な走力で一番福に輝いた吉田は、直後のテレビのインタビューでとんでもないことを口にした。

「結局は、速い者が勝つんです」

「速い者が勝つ」。ある意味、当たり前かも知れない。しかし…私はそれを否定したかった。ならば、足が速ければ、福を得られるのか。
このひとことは、私の心に、さらなる闘志を燃やさせることになる。

三番福になった大喜田氏は、この年の学生選手権で大活躍、今から考えると、私がこの人に勝てたこと自体、奇跡かも知れない。

善斉さんはこの年は4位。大学の後輩である吉田が一番になったので、「福男選びで世代交代」という見出しで、マスコミは紹介した。

2年連続で二番福になった私だが、完全に吉田・善斉さんの世代交代劇に隠れる形になり、全くと言っていいほど注目されなかった。それどころか一部新聞では、「善斉さんが二番福」と誤報されていた。いかに私が無視されていたかがわかる。

一方、この年で、前年までの「善斉・森本ライバル対決」は、事実上終わりを告げたこととなった。

「福男選び」は、確実に新たな次元へと突き進んでいく。

私の「一番福になりたい」という思いは、もはや人生における最大の目標となりつつあった。

※注意!!
一応、吉田の名誉のために付け加えておきますが、吉田本人はとってもいい奴です。でも、私がそれを知るのは、このずっと後のことでした。

 

平成10年度福男選び結果
一番福
吉田 光一郎 (よしだ こういちろう)
二番福
平尾 亮 (ひらお りょう) 
三番福
大喜田 洋一郎 (おおきだ よういちろう)

 

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