平成16年(2004年) 「開門神事福男選び」 |
04年は福男選びにとって、まさに“悪夢”の年であった。 年々早まる開門待ち、そして重要文化財の横でのキャンプなど、近年は多くの問題が噴出してきた。それらに歯止めをかけるため、私や有志の参加者は神社側と話し合い、いくつかの取り決めをしてもらった。 1.早くからの開門待ちは禁止 これらを張り紙に書き、正月頃から赤門に掲示することで、その抑制を図ったのである。 前年、最も早く来ていた消防士集団。彼らはこの年、なんと3日も前から門前にテントを張ていた。先述の禁止の張り紙があるにも関わらず、である。彼らの主張はこうだった。 かくしてこの年も、いつの間にやら彼らが作ったシステムで、彼らを中心に神事を進めることになった。前年にも書いた通り、開門神事にはルールが無いために誰かがある程度のリーダーシップを取らねばならない。 そして起こったのが、福男選び史上最悪の「妨害疑惑事件」であった。 |
この開門直後の「妨害」で大騒動に… |
前年、実際に仲間が妨害→一人を独走させる、というコトがあったので、スタート前から「また妨害があるだろう」ということは誰もが解っていた。しかし、誰もそれを止めることはできない。あくまで神事、スポーツではない。相手を妨害してはならない、というルールはどこにも無いからだ。 だが、ここで疑問が沸き起こる。あれだけ混沌としたスタートの中、消防士集団は各々の判断で、バッチリと有力参加者を狙って抱きつく…ということができるだろうか? 門が開く前の段階から、彼らの計画は着々と進んでいたのである。 騒動のことは、平成17年福男選び前に編集した「言っておきたい福男選び」にまとめてあるのでそちらをどうぞ。 未だに思ってしまうのは、一番に本殿に駆け込んだ彼の最大の誤りは、妨害疑惑が浮上した際に「妨害行為は一切ありません」と言ってしまったことにある。あのねぇ…カメラにバッチリ映ってる。前年の前例もある。この状態で、知らぬ存ぜぬで通るわけがないだろ…。 神事から3日後の1月13日、渦中の彼は神社へ一番福を「返上」する。これについても、 1.返上するにしても一人で神社へ行ったのではなく、テレビカメラを引き連れてきた と、不可解な部分が多い。だが、彼が「返上」したのは正解だ。なぜなら、そうすることでしかあの騒動を沈静化させることは不可能だったからだ。中には「返上する必要はない」などと論じている人がいたが、私に言わせれば「馬鹿も休み休み言え」。あの騒動でどれだけの人が傷ついたか。必要があるかないかではなく、そうすることが最善の策だったのだ。 最後にこれだけは言っておきたい。 しかし、その実現の可能性は限りなく低い。次の年の神事前に彼は「二度と出ない」と明言している。 今回の騒動の最大の被害者は、神社でも妨害された参加者でもない。彼自身だったのだ。 |
マスコミはこぞって「妨害疑惑」を報道した |
平成16年福男選び結果 |
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一番福 |
― (該当者なし) |
二番福 |
栄 悠樹 (さかえ ゆうき) |
三番福 |
石田 博康 (いしだ ひろやす) |