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令和2年(2020)
 「開門神事福男選び」

 

 昨年に引き続き、記念すべき年になった2020年。「平成最後の神事」だった19年…ということは、今回は「令和初の神事」ということになる。昨年5月に新元号となったため、元年ではなく「令和2年」というのが、何とももどかしいが…。

 毎年、西宮に呼んでいる東北からの協力者。今年に限っては、かなり前から誰を呼ぶのか決めていた。女川の「復幸祭」の実行委員であり、「復幸男」を運営している高橋浩二さん、磯部哲也さんである。


高橋さん(左)と磯部さん

 これまで女川の「復幸男」、釜石の「福親子」や「福女」などの方々に声をかけてきた。実際にイベントで走り、称号をつかんだ人たちだ。しかし今回は“中の人”。なぜ?と思った人もあったかもしれない。そこには女川という町が大きな転換期を迎えたからである。

 「復幸男」の母体となる「復幸祭」は、昨年でファイナルを迎えた。それは女川が“被災地”から脱却し、本当に魅力ある町作りを進めていくという決意の表れである。 復興計画事業が一段落して、町づくりは新しいステージに入ろうとしているのだ。このタイミングで、今こそ「復幸男」の中心を担っている2人に“本家”福男選びを見ていただきたいと思ったのだ。


女川の2人の「福男選び」協力を伝える新聞

 「やはり」というか何というか、一部のマスコミは高橋さんが震災でご家族を亡くされていることを事細かく聞いていて、ちょっと配慮に欠けている感じもあったが…当の高橋さんは「慣れてます」とのこと。3・11が近くなると、被災地ではマスコミが手当たり次第に“お涙ちょうだい”の話題を探し回ると聞く。女川で生活している人たちの苦労を痛感した。


この年の担当開門メンバー

 この年の開門メンバー9人はなんとも豪華。私のほかは女川の2人、元福男の開門神事講社の講員、さらに昨年の二番福で、吉本新喜劇で活躍している伊丹祐貴さん、三番福・ 玉暉活也くんも「お手伝いしたい」と駆けつけてくれた。そして学生時代から神事に参加してくれている某通信社記者も加わった。

 

開門
全てが解き放たれる瞬間!

 

一番福!
赤い服の男性がトップで本殿へ!

 

本殿に上がる福男
誇らしげに米俵を掲げる一番福。

 


今年の福男が決定
左から三番福・川端くん、二番福・黒木さん、三番福・藤本くん

 

福男による鏡割り
飛び散る酒!本殿は歓声に包まれる。

 


開門時に危険な状態に

 開門時にヒヤリとする場面があった。内側から門に向かって右側で転倒者が続出し、将棋倒し状態になってしまったのだ。大事故には至らなかったが…。

 実は原因はわかっている。ある参加者の“わがまま”。危険だからとお願いを繰り返したが聞き入れてもらえず、案の定、こんな状態を引き起こした。表には出ないが、我々開門神事講社は危険を回避するため、色々な策を講じている。参加者に対して“お願い”することも多い。だが、それには強制力はないのだ。

 今回、こんな危険な状態を生んでしまった以上、さらなる対策を考えなければならないだろう。


1月末、スポーツ紙に掲載された記事

 高校の先生で、野球部の顧問であることでスポーツ紙に“後追い”記事が掲載されるなど注目された。


二番福の藤本くん

 あまりマスコミには取り上げられなかったが、神事直後に大きな注目を集めたのは二番福の藤本くん。市立西宮高校の1年生で、バリバリの地元の若者が福男になった!と参拝客の話題をさらった。

 三番福の川端くんは就職活動中とのことで、神奈川県から青春18きっぷを使ってはるばる参加してくれた。毎年、福男選びには「何かを始めよう」としている人たちが多くやってくるのだ。

 


 

 この年も福男選び終了後、東北へとお手伝いに出かけた。まずは2月の釜石「韋駄天競走」。


寂しげな鵜住居ラグビー場

 「韋駄天競走」の前日、「福親子」の藤井さんに釜石を案内してもらった。昨年、ラグビーW杯の会場になり話題を集めた「 釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」を初めて訪れた。壁に囲まれておらず、広場にポールと客席があるだけ…という簡易な作りに面食らった。W杯後の活用方法が定まっておらず、課題は山積みなのだという。


釜石の慰霊碑

 スタジアムのほど近くには、立派な慰霊碑が建立されていた。刻まれている名前の多さに、震災の被害の大きさを再認識する。心静かに手を合わせた。


盛大に行われた「韋駄天競走」

 「韋駄天競走」は盛大に行われた。当初は中心となっていた釜石応援団のメンバーは少なく、現在は地元の有志が多くを担う。長く続けていくための地盤は固まっているように感じた。

 そんな中でも、この年の話題は…中国から広がっている新型のウイルス。国内でも少しづつ感染者が出ており「いつかこっちにも来るのかな」と話していた。不安はあった。しかし、まさかこれからとんでもない事態になるなんて、誰も想像しなかったろう。

 


 

 釜石「韋駄天競走」から1カ月半。世の中を取り巻く状況は悪化の一途を辿っていた。

 新型コロナウイルスの感染拡大が勢いを増し、女川でこの年から新たに始まるはずだった祭りは中止。それに伴い「女川復幸男」は延期となった。


震災遺構の旧女川交番

 祭りも「復幸男」もないが、私は迷ったあげくに女川へと向かった。昨年に復興計画が一段落した女川は、また一段と綺麗になっていた。昨年は近くで見れなかった震災遺構・旧女川交番周辺も整備されていた。


観光協会に「福男選び」コーナーが

 「福男選び」で協力してくださった、高橋さん&磯部さんとも再会。今回「復幸男」はあくまで延期、新型コロナが収まった頃にやりたいと話していたが…。

 

令和2年 福男選び結果
一番福
黒木 悠輔 (くろぎ・ゆうすけ)
二番福

藤本 陽紀(ふじもと・はるき)

三番福
川畑 陽平(かわばた・ようへい)

 

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