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交野ヶ原七夕伝説
  大阪府交野市〜枚方市

 

大阪・交野市〜枚方市周辺に広がる台地、
通称「交野ヶ原」。
そこには古より、いくつもの「星」にまつわる伝説が伝わっている。

 

 

1.七夕伝説 〜天の川

 

交野ヶ原には、「星」に関するものをあちこちで目にすることが出来る。
左の写真・・・、上は交野市各所で見られる「電信柱カバー」、下は枚方市で見つけた、天体図と天の川をデザインしたモニュメント。


交野ヶ原の数々の星伝説の中でも、この地は日本人にとってはお馴染みの行事に深い関係があるという。
7月7日、星に願いをかける日・・・。
そう、 「七夕」。

実は七夕伝説は、この「交野ヶ原」から発祥したものなのだという。

今回は、その「七夕伝説」を追っていこうと思う。

 

2003年夏。七夕も近づいたある夏の日・・・私はその「七夕伝説」を訪ねる旅に出た。

 

 

交野ヶ原には、緑豊かな川が流れている。
その名もズバリ・・・

天の川(天野川)」。

 

 

あまり整備の手は加えられておらず、周囲は木々や水草がうっそうと茂る。
そのせいだろうか、水は驚くほど澄み、多くの生物が生息している。

ぱっと見は悪いが、見れば見るほど美しい川だ。

実はこの川、元々は「甘野川」という漢字が当てられていたらしい。しかし平安時代、貴族が銀河の「天の川」になぞらえ「天野川」と呼び、それが定着したのだという。


一般に知られる七夕伝説の通り、この「天の川」を挟んで、二人の人物が存在する。互いに深く愛するがゆえ、引き離されてしまった男女・・・。
そう、「織姫(おりひめ)」と「牽牛(けんぎゅう)」である。

 

 

 

2.織姫が祀られし社 〜機物神社

 

天野川の東側に位置する、織姫を祀る神社が存在する。
それが「機物神社(はたものじんじゃ)」である。

 

機物神社は、とても交通量の多い府道枚方・大和郡山線に面している。
参堂は結構長く、入口の鳥居から、奥へと長い道が続いている。

この参道は年に一度・・・「七夕まつり」の時は、凄まじい人で賑わうという。
私が訪れた時、その七夕祭りの訪れを知らせる、ノボリが立てられていた。

自転車を降り、奥へと進む。

 

 

機物神社本殿。

正直言って、もっと「七夕」を感じさせるものと期待していたのだが・・・、境内を見渡す限り、ごくごく普通の神社・・・といった感じである。
パイプが地面に打ち込まれている。恐らく、祭りの際、このパイプに笹を立てるのだろう。
色とりどりの短冊・飾りが揺れる境内を見てみたいものだ。

元々は「機織(はたおり)」の技術を伝えた人々(漢人)を祀っていたという。だが、いつの間にやら祭神は織姫・・・棚機姫(たなばたひめ)へと変わっていった。

 

本殿は平成元年に改修されたばかりの、とても新しいものである。特に「七夕」的な雰囲気があるわけでもない。絵馬に七夕の絵が描かれているわけでもない。

本殿は、深い紅色で塗られている。もしかしたらこれは、祭神である「織姫」をイメージして着色されたのかも知れない。あでやかな、織姫のイメージカラーとしては、この色はピッタリだ。

でも・・・ぶっちゃけ、絵馬ぐらいには、星や織姫の絵をあしらって欲しかったなあ。ちょっと残念。

 

神社の一角に、機織機(はたおりき)が置かれてあった。
そんなに古いものではないようだが、ホコリまみれだった。これでは織姫が泣くぞ。綺麗にしておいて欲しいものである。

私は神社の境内を、「七夕」を探してまわった。
ほとんどソレらしきものは無かったが、あまり目につきにくい場所に、小さな歌碑が建てられていることに気がついた。

この歌碑については、後に紹介する。

 

さて・・・。

お次は、もう一人の「七夕の主役」に会いに行こう。
そう・・・織姫の旦那である「牽牛(けんぎゅう)」である。

 

 

 

3.牽牛が宿る巨石 〜牽牛石

 

天野川を挟み、機物神社の西数キロの地点に、「牽牛石(けんぎゅうせき)」と呼ばれる石があるという。
そしてその石には、「牽牛」が宿っているというのだ。

ハッキリ言って、この「牽牛石」を見つけるのには苦労した・・・。
探し回っても見つからない。交番で聞いても知らない。地元の人に聞いても知らない。

ようやく、この地に詳しいぽよよんさんから「中山観音寺(既に廃寺)跡の公園内にある」と教えてもらうことができた。ぽよよんさん、ありがとうございます!

そしていよいよ、「牽牛石」が祀られているという・・・中山観音寺跡・「観音山公園」へと赴いた。

 

公園というより、小高い山といった感じの「観音山公園」。ほとんど管理はされていないようだ。遊具器具なども一切無い。

先に書いた通り、牽牛石がかつて祀られていたという「中山観音寺」は、既に廃寺となっている。
公園の一角に、「中山観音寺跡」を示す石碑が建てられていた。
かつては栄えたという寺も、今や見る影もない。盛者必衰の理を感じる。

石碑には「七夕伝説の牛石」の文字があるが・・・。一体、この公園の中のどこにあるのか見当もつかない。

公園内には、案内地図看板などひとつもない。まさにナイナイ尽くしだ。
正直言って、初めてここへ来て「牽牛石」を発見するのは至難の業だといえる。

 

公園内は、木々がうっそうと茂っている。
牽牛石は、その木々の向こうに存在した。

全く整備されていない、急な坂。木々が日光を遮るため、昼間でもこの坂は暗い。
そして、その坂を登っていくくと・・・、やがて、目的のものが見えてくる。

牽牛石だ!!

 

これ(上)が「牽牛石」。ぶっちゃけ、ただの馬鹿でかい石である。

一体、・・・この粗末な扱いは何だ。織姫は神社で神として祀られているのに、牽牛はこんなトコロで寂しく、地元民にも知られることも無く・・・。
なんだか、そう思うと石に哀愁を感じる。

牽牛石の前に、小さな説明書きの看板が立てられていた。間違い無い、れが牽牛を祀る「牽牛石」なのだ。

 

牽牛石は、公園内で最も高い場所に置かれている。周囲の景色はいい。
この石は、ずっとこの場所で・・・空の天の川を見続けてきたのか。

七夕の主役の一人は、人知れずひっそりと佇んでいた・・・。

 

「天の川」、「織姫」、「牽牛」。
これで「七夕伝説」の主役は全て揃った。
だが、交野ヶ原七夕伝説には、もうひとつの伝説スポットが存在する。

牽牛石の説明看板にあるように、7月7日・・・、二人が再会するという橋があるのだ。

その名も・・・「逢合橋(あいあいばし)」。

 

 

 

 

4.愛し合う二人が出会う橋 〜逢合橋

 

逢合橋は、当然のことながら天野川に架かっている。

一年に一度だけ逢うことが出来る二人。
そのロマンチックな伝説、最大のスポットなのである。

私はどんな橋だろう・・・と、様々な想像をめぐらせながら、逢合橋に辿りついた。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・。」

 

 

 

 

 

 

なんだコリャ?本当に「普通の橋」ジャンかあ〜〜!!

鉄筋製のそんなに大きくない橋。
交通量はハンパじゃなく多く、ひっきりなしに乗用車が通過する。
逢引きどころか、こんなトコロで会ってたら確実に交通事故だ。
七夕に関する装飾など全く無い。欄干さえない。ありえない。

もっとステキな橋を想像してたのに〜〜〜。・゚゚・(×_×)・゚゚・。
(筆者の想像していた逢合橋→こんなの

 

 

逢合橋には、歩行者・自転車専用の橋も併設されている。もし二人が出会うとすれば、こっちのほうになるんかな。

当然ながらこちらの橋も、鉄製・無機質。せっかくの伝説の橋なのに・・・。綺麗のにしてくださいよ〜〜〜お願いします!

七夕の7月7日の夜には、機物神社や交野市の関係者がここへ赴き、天野川にお札を流すという。

このような橋だが、七夕の夜だけは「神聖な場所」となるのだ。

 

交野ヶ原に残る「七夕伝説」。
「天の川」、「織姫」、「牽牛」、そして「逢合橋」。

それらを巡って感じたことは、「もう少し本気で整備して欲しい」ということであった。

交野ヶ原に位置している交野市も枚方市も、「星のまち」であること、そして「七夕伝説発祥の地」であることを誇りにしている。

だが、その肩書きに「現実」がついて来ていない。神社で祀られている織姫は別として、牽牛石など、地元民でさえもその存在を知らない。逢合橋に至っては、何の変哲もない鉄製の橋。説明看板さえない。
これでは「七夕伝説発祥の地」の名が泣く。
もっともっと多くの人(特に子ども達)に「七夕伝説」を知ってもらうため、積極的に整備を進めていくべきではないだろうか。

 

 

 

5.交野ヶ原七夕伝説 〜エピローグ

 

「七夕伝説」を巡る旅も、終わりに近づこうとしている。

ここで、先に紹介した「機物神社」の境内の片隅に、ひっそりと建てられていた歌碑を紹介しようと思う。歌の作者は、かの有名な「紀貫之」である。

夏の木漏れ日の中に、その歌碑は建てられていた。

 

 

 


一年に 一夜と思えど

たなばたの逢ひ見む

秋の限りなき哉

紀 貫之

 

 

今となっては、ひっそりとしている交野ヶ原の七夕伝説。
だが、この歌に詠まれているように、ここは間違いなく「七夕の地」なのである。

 


七夕前日、7月6日。
私は、七夕伝説の最後の取材として、機物神社の「七夕まつり」へと出かけることにした。

 

 

 

沢山の人でごった返す境内。
本殿前には巨大な笹が何本も立てられ、綺麗に飾り付けられ、人々の願いが込められた短冊が風に揺れていた。

そして何より・・・祭りを楽しむ人々の「笑顔」があった。

 

 

交野ヶ原に伝わる、元祖・七夕伝説。
それは決してロマンチックなものでは無かったが、過去の時間を感じるには充分な旅だった。

この日、人々は天空の星々に願いをかける。
その行事は、ずっと昔から行われてきた。
そしてずっと、これからも。

 

七夕の夜・・・、あなたは、星に何を願いますか?

 

平成15年7月7日

 

 

 

「交野ヶ原七夕伝説」
交野ヶ原各所・交野市〜枚方市

機物神社:交野市倉治1丁目1−7
府道枚方・大和郡山線沿いにあります。

牽牛石(廃中山観音寺跡=観音山公園):
枚方市香里ヶ丘4丁目
かなり解り難い場所にあります。マップ必須。

逢合橋:
交野市私部西4丁目15
機物神社〜牽牛石の中間あたり、天野川に架かっています。


これらのスポットは、それぞれかなり距離が離れています。
筆者はJR星田駅でレンタサイクルして回りました。

全く役に立たない概略地図は→こちら