交野ヶ原七夕伝説 |
大阪・交野市〜枚方市周辺に広がる台地、
通称「交野ヶ原」。
そこには古より、いくつもの「星」にまつわる伝説が伝わっている。
1.七夕伝説 〜天の川 |
交野ヶ原には、「星」に関するものをあちこちで目にすることが出来る。
実は七夕伝説は、この「交野ヶ原」から発祥したものなのだという。 今回は、その「七夕伝説」を追っていこうと思う。
2003年夏。七夕も近づいたある夏の日・・・私はその「七夕伝説」を訪ねる旅に出た。 |
交野ヶ原には、緑豊かな川が流れている。 「天の川(天野川)」。 |
あまり整備の手は加えられておらず、周囲は木々や水草がうっそうと茂る。 ぱっと見は悪いが、見れば見るほど美しい川だ。 実はこの川、元々は「甘野川」という漢字が当てられていたらしい。しかし平安時代、貴族が銀河の「天の川」になぞらえ「天野川」と呼び、それが定着したのだという。
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2.織姫が祀られし社 〜機物神社 |
天野川の東側に位置する、織姫を祀る神社が存在する。 それが「機物神社(はたものじんじゃ)」である。 |
機物神社は、とても交通量の多い府道枚方・大和郡山線に面している。 この参道は年に一度・・・「七夕まつり」の時は、凄まじい人で賑わうという。 自転車を降り、奥へと進む。 |
機物神社本殿。 正直言って、もっと「七夕」を感じさせるものと期待していたのだが・・・、境内を見渡す限り、ごくごく普通の神社・・・といった感じである。 元々は「機織(はたおり)」の技術を伝えた人々(漢人)を祀っていたという。だが、いつの間にやら祭神は織姫・・・棚機姫(たなばたひめ)へと変わっていった。 |
本殿は平成元年に改修されたばかりの、とても新しいものである。特に「七夕」的な雰囲気があるわけでもない。絵馬に七夕の絵が描かれているわけでもない。 本殿は、深い紅色で塗られている。もしかしたらこれは、祭神である「織姫」をイメージして着色されたのかも知れない。あでやかな、織姫のイメージカラーとしては、この色はピッタリだ。 でも・・・ぶっちゃけ、絵馬ぐらいには、星や織姫の絵をあしらって欲しかったなあ。ちょっと残念。 |
神社の一角に、機織機(はたおりき)が置かれてあった。 私は神社の境内を、「七夕」を探してまわった。 この歌碑については、後に紹介する。 |
さて・・・。 お次は、もう一人の「七夕の主役」に会いに行こう。 |
3.牽牛が宿る巨石 〜牽牛石 |
天野川を挟み、機物神社の西数キロの地点に、「牽牛石(けんぎゅうせき)」と呼ばれる石があるという。 ハッキリ言って、この「牽牛石」を見つけるのには苦労した・・・。 そしていよいよ、「牽牛石」が祀られているという・・・中山観音寺跡・「観音山公園」へと赴いた。 |
公園というより、小高い山といった感じの「観音山公園」。ほとんど管理はされていないようだ。遊具器具なども一切無い。 先に書いた通り、牽牛石がかつて祀られていたという「中山観音寺」は、既に廃寺となっている。 石碑には「七夕伝説の牛石」の文字があるが・・・。一体、この公園の中のどこにあるのか見当もつかない。 公園内には、案内地図看板などひとつもない。まさにナイナイ尽くしだ。 |
公園内は、木々がうっそうと茂っている。 全く整備されていない、急な坂。木々が日光を遮るため、昼間でもこの坂は暗い。 「牽牛石だ!!」 |
これ(上)が「牽牛石」。ぶっちゃけ、ただの馬鹿でかい石である。 一体、・・・この粗末な扱いは何だ。織姫は神社で神として祀られているのに、牽牛はこんなトコロで寂しく、地元民にも知られることも無く・・・。 牽牛石の前に、小さな説明書きの看板が立てられていた。間違い無い、れが牽牛を祀る「牽牛石」なのだ。 |
牽牛石は、公園内で最も高い場所に置かれている。周囲の景色はいい。 七夕の主役の一人は、人知れずひっそりと佇んでいた・・・。 |
「天の川」、「織姫」、「牽牛」。 牽牛石の説明看板にあるように、7月7日・・・、二人が再会するという橋があるのだ。 その名も・・・「逢合橋(あいあいばし)」。 |
4.愛し合う二人が出会う橋 〜逢合橋 |
逢合橋は、当然のことながら天野川に架かっている。 私はどんな橋だろう・・・と、様々な想像をめぐらせながら、逢合橋に辿りついた。 |
「・・・。」
なんだコリャ?本当に「普通の橋」ジャンかあ〜〜!! 鉄筋製のそんなに大きくない橋。 もっとステキな橋を想像してたのに〜〜〜。・゚゚・(×_×)・゚゚・。 |
逢合橋には、歩行者・自転車専用の橋も併設されている。もし二人が出会うとすれば、こっちのほうになるんかな。 当然ながらこちらの橋も、鉄製・無機質。せっかくの伝説の橋なのに・・・。綺麗のにしてくださいよ〜〜〜お願いします! 七夕の7月7日の夜には、機物神社や交野市の関係者がここへ赴き、天野川にお札を流すという。 このような橋だが、七夕の夜だけは「神聖な場所」となるのだ。 |
交野ヶ原に残る「七夕伝説」。 交野ヶ原に位置している交野市も枚方市も、「星のまち」であること、そして「七夕伝説発祥の地」であることを誇りにしている。 だが、その肩書きに「現実」がついて来ていない。神社で祀られている織姫は別として、牽牛石など、地元民でさえもその存在を知らない。逢合橋に至っては、何の変哲もない鉄製の橋。説明看板さえない。 |
5.交野ヶ原七夕伝説 〜エピローグ |
「七夕伝説」を巡る旅も、終わりに近づこうとしている。 ここで、先に紹介した「機物神社」の境内の片隅に、ひっそりと建てられていた歌碑を紹介しようと思う。歌の作者は、かの有名な「紀貫之」である。 夏の木漏れ日の中に、その歌碑は建てられていた。 |
紀 貫之 |
今となっては、ひっそりとしている交野ヶ原の七夕伝説。
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沢山の人でごった返す境内。 そして何より・・・祭りを楽しむ人々の「笑顔」があった。
交野ヶ原に伝わる、元祖・七夕伝説。 この日、人々は天空の星々に願いをかける。
七夕の夜・・・、あなたは、星に何を願いますか?
平成15年7月7日 |
「交野ヶ原七夕伝説」 機物神社:交野市倉治1丁目1−7 牽牛石(廃中山観音寺跡=観音山公園): 逢合橋: 全く役に立たない概略地図は→こちら |