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西寺跡
  京都府京都市
京都を訪れたことがある人で、「東寺(とうじ)」を知らぬ者は居まい。
広大な境内に並ぶ、重厚な建造物の数々。
そびえ立つ美しい五重塔、国宝仏像が並ぶ立体曼荼羅。
ユネスコの「世界文化遺産」にも登録された。
歴史ある京都の中でも、最も有名な観光地の一つだ。

ところが・・・意外と知られていない事実がある。
当時の、平安京南端の地図を見てみよう。
そう、「東寺」は羅城門のすぐ東側に位置しており、それを中心として西側に同規模の寺、「西寺(さいじ)」が存在していたのである。

西寺が存在したことを、どれだけの人が知っているだろうか。


日差しが厳しいある夏の日、私は歴史に埋もれてしまった「幻の寺」跡を訪れてみることにした。
当時の平安京の南端地図。羅城門を中心とし、東寺と対称に巨大な寺があったのが解る。
羅城門跡周辺を回ってみたが、 詳しい位置が解らない。
そこで、地元の人に聞いてみると、
「西寺???なにそれ???」
みたいな顔をされてしまった。私が説明すると、
「ああ、西寺公園のことか、それならあっちだよ」
と、ようやく理解してくれた。

それにしても地元の人にさえ、「公園」としての認識しかないのか・・・。
ちゃんと公園の名前に入っているのに。
なんだかとても寂しい気がした。

そして、ようやくその公園に辿りついた。

(上)大きな山。公園の総面積の大半を占める。ぽつんと突き出た石碑は結構目立つ。




(下)石碑付近まで続く小道。

「西寺児童公園」はわりと広く、綺麗に整備された公園だった。子ども達の元気な声も聞こえる。

真っ先に目に飛び込んできたのは、公園の中心にある大きな山。
そう、ここが「西寺跡」なのだ。


山の中心付近に、「史跡 西寺跡」と刻まれた石碑が立っていた。まるで、
「おーい、ここだ・・・」
と、手を挙げているかのように。

山の一角に、西寺跡であることを伝える看板があった。
かなり大きな寺であったことが解る。それは、東寺に勝るとも劣らない。
どうやらこの地は、西寺の講堂付近に当たるようだ。

看板によると、建立は延魏15(796)年ごろ、平安遷都とほぼ同時だ。
しかし、早くから衰え、五重塔も天福元(1233)年に焼失。
以後、再興されることは無かった。
東寺には何度も訪れている私は、どうしても「西寺」という存在を東寺に重ね合わせて考えてしまう。

何故だろう。東寺と同じような規模、同じような広さ、そして同じような立派な五重塔を持ちながら・・・西寺だけ没落して行かなくてはならなかったのだろう・・・。

本当に時の流れは残酷だ。



感傷に胸を痛めながら、公園中央の山に登ってみた。
参考写真、東寺の五重塔。国宝。京都を代表する建造物のひとつだ。
西寺にも、同等の塔が建っていたという。
山に登ると、そこは平坦な広場になっていた。
夕暮れどきが近づき、空が美しい。

しかし・・・石碑の周りに、なにやら巨大な石が転がっている事に気がついた。
それもひとつでは無い。3〜4個、無造作に転がっている。

それを調べた時、私は愕然とした。

間違いなく「礎石(そせき)」である。建物の柱を建てる時に礎に地中に埋めるものだ。
どうやらこの地に建っていた、西寺の講堂のものらしい。
歴史的な建造物の礎石である。もっと大切に保存することを考えてもいいと思うのだが・・・。


礎石のひとつは山の中央付近にあり、座るのに丁度いい場所にある。どうやらベンチ代わりに使われているようだ。
私もその礎石に座ってみた。かつてこの石の上に、立派な講堂があったなんて誰が想像できるだろう。



日も暮れ、周囲の家や街灯にも明かりが灯り始めた。
私がそろそろ帰路につこうと思った時、強烈な光が目に飛び込んできた。

夜の西寺公園。
投光機のまばゆい光が、中央の山を照らし出す。
闇夜に浮かび上がる山。
それは、まるで宙に浮いているかのようだ。

幻想的な世界が、公園に広がる。


東寺と同等の規模を持ちながら、
悲しくも没落していった西寺。
その存在は、人々の記憶から消え去ろうとしている。
そしてその歴史は、この地で永遠に眠り続けるのだ。

そう・・・・この、光の中で。
西寺跡(西寺児童公園)
京都市南区唐橋西寺町

アクセス:
    京都市営バス 西寺前下車3分
    JR西大路駅から、充分歩いて行ける距離です。