▲TOPページへ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一条戻橋 京都府京都市左京区 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都の町を南北に走る道、「堀川通り」。 道幅も広く、交通量も多い、京都の基幹道路の一つだ。 「堀川通り」の名の元になっている「堀川」に架かる、一本の橋。 それが、「一条戻橋(いちじょうもどりばし)」だ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一条戻橋のたもとから。橋は意外と新しく綺麗だ。 柳が大きく覆い被さっているのが不気味な雰囲気をかもし出す。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
びっくりしたのだが、橋に到着した時、 若い女性観光客が群がっていた。 後で知ったのだが、 この橋にゆかりの深い「安倍晴明(あべのせいめい)」を題材にした、 「陰陽師(おんみょうじ)」という漫画が女性の間で大ブームとなっているらしい。 し、知らなんだ・・・。 平安時代、葬儀の列がこの橋を渡った時、死者が一時蘇生したという。 それからこの橋は「戻橋」と呼ばれ始めたらしい。 この橋は平安遷都当初から存在していたようだが、「戻橋」と呼ばれるようになったのはその時(918年)からだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柳に隠れていた、「戻橋」の歴史を伝える立て札。私の横で、若い女性達も熱心に見つめていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀川通り側から撮った一条戻橋。堀川通りに面していることもあり、交通量は非常に多い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
散歩していた地元の人に橋のことを訪ねたところ、色んな話を聞けた。 当初、一条戻橋は、ものすごく小さな木製の橋だったらしい。 橋の北側を覗くと、元の橋幅の名残があった。 昭和初期に鉄製のものに架け直されたが、戦争中に兵器の製造原料にするため、国に回収されたという。 終戦後、石橋が架けられ、さらに1995年に改装された。それが現在の戻橋だ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(上)一条戻橋北側の堀川 (左)同じく南側 かなり状況が違うのがわかる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一条戻橋のかかる「堀川」は、一条戻橋を境に大きく変化している。 左上の写真は橋の南側。堀川はもはや「川」ではなく、排水溝的な役割でしかない。子どもが数人遊んでいた。子ども達には、格好の遊び場となっているようだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一条戻橋とは切っても切れないほどゆかりの深い「晴明神社」。戻橋からは歩いてすぐの場所にある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この戻橋、とにかく伝説が多い。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(左)晴明神社の一角に、1995年に改装される以前の、戻橋の欄干が置いてある。 (右)その、改装以前の戻橋。現在よりふたまわりほども小さく、橋幅も狭い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長い歴史の中で、数々の伝説を生んだ一条戻橋。
「この世とあの世を繋ぐ」とまで言われるこの橋は、 今日も、堀川通りを往々する車を眺めている。 その姿は、まるで新たな伝説を待つかのようだ・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一条戻橋 アクセス:京都市営バス・「一条戻り橋」下車すぐ 晴明神社 アクセス:一条戻橋から、堀川通りを渡り、北へ100m |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||