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一条戻橋
京都府京都市左京区
京都の町を南北に走る道、「堀川通り」。
道幅も広く、交通量も多い、京都の基幹道路の一つだ。
「堀川通り」の名の元になっている「堀川」に架かる、一本の橋。
それが、「一条戻橋(いちじょうもどりばし)」だ。
一条戻橋のたもとから。橋は意外と新しく綺麗だ。
柳が大きく覆い被さっているのが不気味な雰囲気をかもし出す。
びっくりしたのだが、橋に到着した時、
若い女性観光客が群がっていた。

後で知ったのだが、 この橋にゆかりの深い「安倍晴明(あべのせいめい)」を題材にした、 「陰陽師(おんみょうじ)」という漫画が女性の間で大ブームとなっているらしい。
し、知らなんだ・・・。


平安時代、葬儀の列がこの橋を渡った時、死者が一時蘇生したという。 それからこの橋は「戻橋」と呼ばれ始めたらしい。

この橋は平安遷都当初から存在していたようだが、「戻橋」と呼ばれるようになったのはその時(918年)からだ。
柳に隠れていた、「戻橋」の歴史を伝える立て札。私の横で、若い女性達も熱心に見つめていた。


堀川通り側から撮った一条戻橋。堀川通りに面していることもあり、交通量は非常に多い。

散歩していた地元の人に橋のことを訪ねたところ、色んな話を聞けた。

当初、一条戻橋は、ものすごく小さな木製の橋だったらしい。 橋の北側を覗くと、元の橋幅の名残があった。

昭和初期に鉄製のものに架け直されたが、戦争中に兵器の製造原料にするため、国に回収されたという。

終戦後、石橋が架けられ、さらに1995年に改装された。それが現在の戻橋だ。

(上)一条戻橋北側の堀川
(左)同じく南側
かなり状況が違うのがわかる。

一条戻橋のかかる「堀川」は、一条戻橋を境に大きく変化している。
右上の写真は橋の北側。一番下の溝が、元の戻橋の橋幅だったという。戻橋は、元はものすごく小さな橋だったのがわかる。

左上の写真は橋の南側。堀川はもはや「川」ではなく、排水溝的な役割でしかない。子どもが数人遊んでいた。子ども達には、格好の遊び場となっているようだ。

一条戻橋とは切っても切れないほどゆかりの深い「晴明神社」。戻橋からは歩いてすぐの場所にある。

安倍晴明邸跡に建てられたというこの神社も、若い女性観光客で賑わっていた。
この神社のシンボルには「五芒星(ごぼうせい)」というマークが使われている。本殿の提灯にある星がそれだ。

五芒星は呪術などに使われる星型で、魔力があると信じられている。


この戻橋、とにかく伝説が多い。

先出の「安倍晴明」とは、京都を呪術で守護するという陰陽師(おんみょうじ)であった。
晴明は、「式神(しきがみ)」と呼ばれる使い魔を、 自在に操ることが出来たそうだが、 晴明はこの橋の下にその式神を隠していたらしい。

渡辺綱(わたなべのつな=平安時代のめっちゃつおい人)が、 この橋で鬼の腕を切ったという話もある。

また、豊臣秀吉が千利休を切腹させた後、 見せしめに利休の木像をさらしたのもこの橋のたもとだ。


そして、こんな話も。
戦時中、戦地に赴く前、 男たちは必ずこの橋を渡ったという。
再び、この場所に「戻れる」ように・・・。

逆に、花嫁は、絶対にこの橋を渡らない。 「出戻る」ことの無いように・・・。

(左)晴明神社の一角に、1995年に改装される以前の、戻橋の欄干が置いてある。
(右)その、改装以前の戻橋。現在よりふたまわりほども小さく、橋幅も狭い。
長い歴史の中で、数々の伝説を生んだ一条戻橋。

「この世とあの世を繋ぐ」とまで言われるこの橋は、 今日も、堀川通りを往々する車を眺めている。

その姿は、まるで新たな伝説を待つかのようだ・・・。
一条戻橋
アクセス:京都市営バス・「一条戻り橋」下車すぐ

晴明神社
アクセス:一条戻橋から、堀川通りを渡り、北へ100m