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喜屋武岬 沖縄県糸満市喜屋武 |
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戦争の悲惨さを私達に伝えてくれる、 その中でも、特に悲劇の場とされている場所がある。 |
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私が訪れた日は、雲一つ無い快晴。
一月初旬という真冬、 しかも日も傾きかけた時間だったが、 半袖でも十分の陽気だった。 喜屋武岬は「観光地」として整備されているわけではなく、 小さなトイレと休憩所はあるものの、 売店などは一切無い。 いわば、ちょっとした「見はらし台」といった感じの場所だ。 その景色の素晴らしさに、心奪われてしまう。 どこまでも続く海、青い空。暖かな潮風。 切り立った岩石に、絶え間無く打ち寄せる波。 自然の美しさが際立つ沖縄においても、有数の美しさだろう。 |
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景観はこの上無く素晴らしいが、少し下に目を移すと、そこは断崖絶壁。写真では解り難いがかなりの高さだ。
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(上)あたりは、まさに断崖絶壁。足がすくむ。 (下)沖縄国定公園に指定されていることを示す看板。 片隅に、少し傾いて立っていた。 |
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岬の一角に、この地が「沖縄戦跡国定公園」であることを示す看板が立てられていた。
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ひときわ目を引く、大きな青いモニュメントがある。
曲線基調でデザインされている、美しい慰霊碑。 「平和の塔」である。 |
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この喜屋武岬は、沖縄本島のほぼ最南端にあたる。 そして、やがてこの喜屋武岬に追い詰められ、
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「平和の塔」に、その略史が彫られていた。慰霊碑は普通、慰霊されている御霊の数が記されているが、この「平和の塔」は何と一万柱。 まさにケタ違いだ。 ・・・ここから身を投げた人達も、この美しい風景を見たのだろうか・・・。 |
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実はこの「平和の塔」が青く塗られたのはごくごく近年。それまではコンクリート地の塔だった。 右の写真がかつての塔。青い塔も綺麗だが、個人的には昔のままのほうが味があって良かったと思うのだが・・・。 |
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休憩所の向こうに、灯台が見える。その白さが青空に映える。 美しい景色に華を添える、アクセントとしての存在価値も大きい。 |
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「喜屋武崎(きゃんさき)灯台」。
機能的には、先代灯台より1500倍もの明るさと、2倍の光達距離を持つ。灯台の状況は、常に遠隔地から把握できる。 |
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「平和の塔」付近に戻り、しばらく海風に吹かれる。
片隅に、壊れた看板が立てかけられている事に気がついた。 固定もされていない、小さな古いベニヤ板に、 「平和への祈り」という詩が書かれていた。 |
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「平和への祈り」 岬 岬 喜屋武岬 男性のような 荒波の岬 戦争は 西から追われて 南に流れ 着いた所は 喜屋武岬 老いも若児も ここが最後の場所 ここが 喜屋武岬 ここが おいらの岬 |
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誰が書いたのかは解らない。
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どこまでも美しい風景。 そしてそこに秘められた、悲しい歴史。 恒久平和。 この岬は、その願いを新たにさせてくれる。 |
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喜屋武岬 沖縄県本島南部・南部戦跡の手製地図はこちら |
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