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シーサー
    
     〜地域の守り神〜
     沖縄県各地
「シーサー」・・・。それは沖縄の守り神。
本土でいう、神社の獅子にあたる。

家の門柱、屋根の上、町の公衆電話にまで。
沖縄のありとあらゆる場所で、その姿を見ることが出来る。


壷屋通りの公衆電話。 こんなところにもシーサーが。
いかに沖縄の生活に密着しているかがうかがえる。
普段見かかるシーサーのほとんどは、最近作られた焼き物だ。

しかし・・・もちろん、ずっと昔に作られたものもある。

沖縄各地には、昔から伝わるシーサーがいくつか点在している。 シーサーは沖縄の村や町、部落ごとに伝わっているものが多く、それぞれの地域の守り神として祭られているのだ。
その数は、60以上にのぼる。


 
(左下)那覇市・上間に伝わるシーサー。
(右下)与那原町のシーサー。
玉泉洞王国村・シーサー展での写真。どちらも個性的。
昔に作られたシーサーは、そのほとんどが自然石を彫ったものだ。
どれも愛嬌のある顔立ちをしていて、見る者を惹きつける。

そのいくつかを訪れることができた。
ここで、「地域の守り神」として伝わるシーサーの姿を紹介しよう。

その@ 糸満市照屋の石彫りシーサー

糸満(いとまん)市は、沖縄本島の最南部に位置する市だ。

先の大戦時、最も激しい戦闘が行われた地域でもあり、「ひめゆりの塔」なども糸満市だ。



静かな町並み。

道のかたわらに、そのシーサーはあった。

特に説明書きなどは無い。
そばに立つ木柱には「照屋の石彫シシ」とある。

漆喰で固められた土台は、子どものいたずら等からシーサーを守るためだろうか。

製作者は不明。製作年代も不明。
この手のシーサーは、ほとんどの記録は残っていないらしい。

ただ解っていることは、少なくとも200年以上、この場所で、この方向を向いて鎮座し、この地を守り続けて来た・・・ということ。

 

全高は1メートルほど。大きな口や舌なども確認できる。石彫りシーサーとしてはかなり細かく彫られている部類に入るだろう。

かなりか薄れてきてはいるが、シーサー特有の巻いたタテガミなども確認できる。

腕(前足)が顔付近から彫られているのはこの当時のシーサーの特徴だ。


シーサーは道路とは反対方向を向いている。道路のほうを向いていたらもっと見栄えがするのに・・・と思ったが、それはできない。
鎮座しているシーサーは絶対に「位置・向きを変えてはいけない」のだ。
もしそれを変えようものなら必ず災厄が起こる、と沖縄の人々は信じている。

 

照屋のシーサーは、天に向かって吼えるかのごとく、
空を見上げ続けている。
この地をずっと守り続けているその姿は、愛らしくも勇ましい。

地域の守り神として各地に鎮座するシーサー。
しかし、その全てがそれぞれの部落で祭られ、大切にされているわけではない。
そんな・・・少し悲しいシーサーを訪れた。

そのA 豊見城村名嘉地のシーサー
叔父さんと食事をした夜の帰り。
「見捨てられたかのようなシーサーがある」と、叔父さんは言った。
とても興味を持った私は、そのシーサーに会いに行く事にした。
「あれだよ」と叔父さんが指差した方向には、確かにシーサーが立っていた。

暗闇のなかで、ぽつんと・・・・。

シーサーは、民家のブロック塀から不自然に突き出た台座の上に乗っていた。
タダでさえ狭い道幅の場所にあるため、往々する車は、通り難そうに避けて行く。



造形的には、とてもコミカルな顔をしている。大きな鼻、ぷっくりと膨らんだ頬。口の作りが厚く、あたかもくちびるのように見える。
なんだか、かなり人間っぽい。

しかし、間違いなくシーサーだ。この、豊見城村名嘉地(とみぐすくそんなかち)の守り神だ。


叔父さんによると、やはり製作時期、製作者とも不明。恐らくは照屋のシーサーと同時代に作られたもので、200年以上はここに置かれているんだろう・・・とのこと。


しかし、「地域の守り神」という雰囲気は無い。
なんという寂しげなシーサーだろうか・・・。
照屋のシーサーで述べたように、地域の守り神であるシーサーは、絶対に置かれている位置や、向きを変えてはいけない。
もしそんなことをしたら、必ず災厄が訪れる。

しかし、道路の拡張、開発等で、どうしても「じゃまなシーサー」が出てくる。
だが、どうすることも出来ない。
このシーサーは、それの最も顕著な例だ。




ずっと昔から、この地を守ってきた。今も。
そしてもちろん、これからも。


「大丈夫、がんばっとるから」

シーサーの後姿が、そう語りかけているようだ。


全てのシーサーが、大切に祭られていると信じていた私は、
このシーサーを見て、かなりのショックを受けた。
時代の流れと言えば仕方ないのかも知れない。
でも・・・あまりに切ない。

いつかこの場所が、彼の落ちつける環境になって欲しい。
そう願わずにはいられなかった。
そのB 豊見城村饒波のシーサー

最後に、豊見城村、饒波(のは)に伝わるシーサーを紹介しようと思う。
実は、饒波は私の母の実家がある部落だ。
つまり・・・私の一族は、このシーサーに守られてきたことになる。

実家から歩いてすぐの木の下に、
そのシーサーは座っていた。

 

饒波に伝わるシーサー。向かって左は昔からのもの、右は最近になって加えられたものだ。
石彫りのものと焼き物のものが2体、並んでいる。石彫りのものは昔からあるオリジナルのシーサー、焼き物のものは近年になって加えられたものだという。


かつてこの場所には、2体の石彫りシーサーが並んで置かれていたらしい。しかしそのうち一体は、戦争の混乱の中で失われてしまった。


しばらくは一体だけだったが、やはり2体にすべきだという声があったため、最近になって焼き物のシーサーを加え、現在に至る。









新しく加えられたという焼き物のシーサーは、造形的には美しい。
しかし・・・なぜ、焼き物のシーサーにしたのだろう。オリジナルと並べるとあまりにもアンバランスだ。


どうせなら石彫りのものを加えるとか、せめて灰色に着色するとかの配慮が欲しかった。

なんだか・・・とても残念だ。
(上)オリジナルの石彫りシーサー
(下)新しい焼き物のシーサー

今まで見てきたシーサーの中で、最も「原始的」といえるシーサーだ。
口や目のあたりに穴をあけ、シーサーの形にしてはいるが、余分な装飾はまるで無い。

シーサーには失礼だが、昔流行った「たまごっち」に似ている。


やはりこのシーサーも、製作時期は200年以上前というだけで、詳細は謎。
守り神に、いつ作られたか・・・なんて、どうでもいい事なのかも知れない。
風化はかなり進んでいる。
何かの拍子で、真っ二つに割れてしまうのではないか・・・という気さえする。


写真では解り難いかも知れないが、表面には無数の穴があき、そこから蟻が出入りしている。どうやら内部は、完全に蟻の巣と化しているようだ。
ずっと・・・この場所で、この風景を見てきた。そして、守ってきた。
今回、いくつかのシーサーを見て回り、
もっともっと、シーサーについて知りたくなってしまった。
いつか、色んな地域に伝わるシーサーを訊ねて、旅をしてみたい。
そんな気分にさせられた。


沖縄を、ずっと昔から守ってきた「シーサー」。
お土産屋にいけば、置物のシーサーが安く買える。
最近では、携帯ストラップや、「縁結びシーサー」なんてのもある。

沖縄を訪れたなら、記念土産に、ひとつどうですか?
きっと・・・あなたを守ってくれますよ・・・。