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             <特別編>
エキスポタワー
       大阪府吹田市
「エキスポタワー」とは?
1970年、大阪府吹田市で開催された、世紀の祭典「万国博覧会(万博)」。そのシンボルとして建設された塔、それがエキスポタワーである。

万博にふさわしい「未来」をイメージして設計されたという。今見ても、その斬新なデザインに目を奪われる。

真っ直ぐに立てられた3本の柱、そしてそれに固定されているいくつかのキャビネット。当時、ひとつの未来生活のコンセプトだった「空中都市」を形にしたものである。


万博終了後も、しばらくは展望台として登ることができた。しかし老朽化・入場者の減少から、1990年に閉鎖された。



高さ:127メートル
総工費:約8億円
エキスポタワーは開けた場所の高台に立っている。そのため、かなり遠くからでも目立つ。
隣接する遊園地・エキスポランドの大観覧車(85m)と比べれば、その大きさが解ると思う。

今は紅白のツートンカラーだが、万博当時、タワーは総銀色だった。

右の画像はTVからのキャプチャー画像だが、当時どれほど未来的だったかうかがえる。


実は当初、エキスポタワーは300〜400メートルという凄まじく高い塔になるはずであった。これは、東京タワーよりも高い。
しかし予算の不足から、幾度となく設計は見直され、最終的に現在の高さ・デザインとなった。
それでも、通天閣(103メートル)よりも高いのだが。



あまりにも設計変更が重なったため、当時のパンフレット等には、全く異なるデザインのエキスポタワーが描かれているものもあったという。

現在のタワーは、総銀色だった頃の面影は全く無い。
あえて探せば、タワーの所々の塗装が剥げ、その下から銀色の鉄骨が覗いている場所もある。

現在のタワーのキャビネット部分。遠くからは解らなかったが、近くから見ればその老朽化は明らかだ。

塗装は色あせ、鉄骨は錆び付き、あまりにも悲しい姿をさらしている。

もはやこの塔に「未来」を重ね合わせる人は居ない。

実は、万博のシンボルとして建設された塔は、もうひとつある。

エキスポタワーの「未来」に対し、
「原始(≒生命)」の象徴としてデザインされた塔。

そう・・・「太陽の塔」である。

エキスポタワーは知らなくても、この太陽の塔を知る人は多いだろう。


故・岡本太郎氏の代表作となったこの塔は、エキスポタワーとはまさに対極的。「生々しさ」を感じさせるその姿は、まるでその中に生命を宿しているかのようだ。

1991年、太陽の塔は永久保存されることが決定し、大規模な修復作業が行なわれた。

またその時、一方のエキスポタワーは全く手を加えられなかった・・・ということを付記しておく。この時が、エキスポタワーが完全に「見捨てられた」瞬間とも言えるかも知れない・・・。

 

エキスポタワーと太陽の塔は、向かい合うようにして立っている。
かつて、万博のシンボルとして建設された二つの塔。
方や解体、方や永久保存・・・。あまりにも極端な結末だ。
2002年3月末。万博記念協会は、
老朽化のため、エキスポタワーの解体・撤去を発表。
同年8月に着工し、翌年3月には撤去完了するという。



「過去が夢見た未来の塔」、エキスポタワー。
その黄昏の季節を、この目で見届けたい。

<エキスポタワー>
大阪府吹田市千里万博公園
エキスポランド南ゲートすぐ


エキスポタワーは、解体が決定しています。
塔が完全に解体・撤去されるまでの姿を、不定期にUPしていきます。