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<特別編> |
エキスポタワー 大阪府吹田市 |
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「エキスポタワー」とは?
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1970年、大阪府吹田市で開催された、世紀の祭典「万国博覧会(万博)」。そのシンボルとして建設された塔、それがエキスポタワーである。 万博にふさわしい「未来」をイメージして設計されたという。今見ても、その斬新なデザインに目を奪われる。 真っ直ぐに立てられた3本の柱、そしてそれに固定されているいくつかのキャビネット。当時、ひとつの未来生活のコンセプトだった「空中都市」を形にしたものである。 万博終了後も、しばらくは展望台として登ることができた。しかし老朽化・入場者の減少から、1990年に閉鎖された。 高さ:127メートル 総工費:約8億円 |
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エキスポタワーは開けた場所の高台に立っている。そのため、かなり遠くからでも目立つ。
隣接する遊園地・エキスポランドの大観覧車(85m)と比べれば、その大きさが解ると思う。 |
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今は紅白のツートンカラーだが、万博当時、タワーは総銀色だった。
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現在のタワーは、総銀色だった頃の面影は全く無い。 塗装は色あせ、鉄骨は錆び付き、あまりにも悲しい姿をさらしている。 |
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実は、万博のシンボルとして建設された塔は、もうひとつある。
エキスポタワーの「未来」に対し、 「原始(≒生命)」の象徴としてデザインされた塔。 そう・・・「太陽の塔」である。 |
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エキスポタワーは知らなくても、この太陽の塔を知る人は多いだろう。 1991年、太陽の塔は永久保存されることが決定し、大規模な修復作業が行なわれた。
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エキスポタワーと太陽の塔は、向かい合うようにして立っている。
かつて、万博のシンボルとして建設された二つの塔。 方や解体、方や永久保存・・・。あまりにも極端な結末だ。 |
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2002年3月末。万博記念協会は、
老朽化のため、エキスポタワーの解体・撤去を発表。 同年8月に着工し、翌年3月には撤去完了するという。 「過去が夢見た未来の塔」、エキスポタワー。 その黄昏の季節を、この目で見届けたい。 |
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<エキスポタワー> |
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