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             <特別編>
エキスポタワー
       大阪府吹田市
エキスポタワー 跡地の謎

今だに、エキスポタワー跡地に置かれている、ヤノベ氏の作品「タワー・オブ・ライフ」の外郭。私は国際美術館で見た時のものは「作品」として認めているが、今の状態は「外郭」でしかない、少なくとも「作品」ではない、と私は捉えている。

様々な憶測と誤解を招きながら、今もあの地に置かれている「外郭」。なぜあそこに、あのような形で置かれているのか。次第にその理由が明らかになってきた。

ここでは、タワー跡地に置かれている「タワー・オブ・ライフの外郭」について判明している情報、また、跡地についての疑問で、判明している事柄についてをまとめてみた。

1.なぜ、あの場所に置かれているのか?

ヤノベ氏はエキスポタワー解体工事の際、現場に赴き、エキスポタワーのシンボルとも言える「キャビン」が下ろされる様を目撃した。その時の様子は、氏の作品展「MEGALOMANIA」展のポスターにもなっていた。


「MEGALOMANIA」の告知ポスター。
クリックすると大きな画像が出ます。


そしてその時感じた、氏のインスピレーションはこうだ。
「熟れきった果実が地上に落ちてきた」
氏の作品「タワー・オブ・ライフ」の根本は、全てそこから始まっている。

そして落ちてきた「熟れきった果実」は、次の世代への「種」でもある。

実はあの外郭が置かれている場所は、一番初めに下ろされたキャビンが、地上に降り立った場所なのだ。
そしてその場所から、「タワー・オブ・ライフ」の一層目が「生えた」という状況なのだそうだ。
なぜ中央ではなく、あんな中途半端な場所に?という疑問は、これで晴れると思う。

2.「タワー・オブ・ライフ」の完成形

氏の作品展「MEGALOMANIA」で展示されていた「タワー・オブ・ライフ」。実はあれは完成形ではなく、氏の中でのタワー・オブ・ライフのわずか「一層目」に過ぎないのだ。
「MEGALOMANIA」では、ロビーにその完成想像模型と、氏自身によるドローイング・スケッチが展示されていた。

(左)タワー・オブ・ライフ完成想像模型。(右)同、ヤノベ氏によるスケッチ。
クリックすると大きな画像が出ます。

 

あの作品と同じ外観のものが、天高くどこまでも連なっている。
そう、これが氏の想像する「タワー・オブ・ライフ」の完成形なのだ。

氏のスケッチにはその解説としてこう書かれている。

『熟した未来の果実は地上に落下した。
 果実の中にある種は芽生え再び天に伸びようとする。
 ヤコブの梯子? バベルの塔? 宇宙に届く軌道エレベーター? ....?
 エキスポタワー解体キャビンの模様を見て』

3.あの外郭は誰のもの?

万博関係で働いている、ある方からの見解だ。
「あの場所(タワー跡地)に置かれているということは、もはや所有権はヤノベ氏には無いだろう。恐らく、氏が万博記念機構に『寄贈』した形になっていると思われる。ああいう形で置くことになったのはヤノベ氏の提案だろうが、あれは万博機構の所有物扱いなのは確かだろう」
つまりあの外郭は、もはや氏の作品ではない。万博記念機構の所蔵品として、あの場所に「保存」されているということなのだ。

4.タワー・オブ・ライフへの思い

私はこれらのことを知り、大きなショックを受けた。
なぜならあの外郭が、今だに「ヤノベ氏の表現の中にある」ことだ。あの形で、あの場所に置かれていること・・・、それは「記念碑」としての意味は絶無で、あくまでまだ「ヤノベ氏のインスピレーション」に縛られたものであるということ。

これらの情報を知ったことで、私も初めて「そうだったのか」と気づいた。曲りなりにも、タワーについて知識のある私でさえその状態である。なのに、大多数の一般の方、はそんなコトは知るよしもない。あの地に置かれている物体を見て「何だコリャ?」としか感じないのは想像に難くない。
このままでは、様々な誤解を与えかねない。満足しているのは当のヤノベ氏だけ、ということになる。

私は、ヤノベ氏の作品に対して、一定の評価をしている。だから氏の作品についてもっと理解したいと、MEGALOMANIA展にも何度も足を運んだ。常に万博ファンから非難されているが、ヤノベ氏も(方向性は別として)万博への思い入れがあり、決して悪意は無いと思う。実際に話をしても、自分の作品に対する真摯な思いを感じた。

ただ、今回の「タワー・オブ・ライフ」の外殻の置などは、やはり許せるものではない。

今回のタワー関連のことは、ヤノベ氏にとっても、タワーにとっても、ファンにとっても、何一つとしてプラスにはならなかった。それどころか、大きなマイナスになっている。
とにかく、現在の状況を早く変えるべき。撤去が一番好ましいが、それができなくとも、「なぜそこに置かれているのか」の説明はきちんと示すべきだと思う。
とにもかくにも、今の最悪な状況を、一刻も早く変えるべきである。

あの外殻がもうヤノベ氏の手から離れているとなると、万博記念機構の対応を期待するしかないのだが、先日送ったメールにも返答が無い。近いうちに、またアプローチしてみようと思っている。

エキスポタワー跡地の謎

エキスポタワー解体当初、タワー跡地には、六角形に未整備箇所が残されていた。

なぜ、あのようなことをしたのだろう?もしかしたら(というか希望として)、「エキスポタワーが存在した証を残すための粋な計らい」なのではないか・・・などと考えたが。
しかし実は、そうではない。

知っての通り、エキスポタワーは凄まじく巨大な塔だった。その塔を、たったあれだけの地上面積で支えるのである。その地上基礎部分は地底深くまで埋められ、相当にガッチリ固められたものであったことは想像がつく。
エキスポタワーは完全に撤去されたが、その基礎部分があまりに深くまで埋められていたため、その部分は陥没の危険性があり、すぐに舗装することはできない。時間を置いて、再工事の必要性があったというのだ。

2月1日にタワー跡地を訪れた時、基礎部分が掘り返されていた。

そこに転がる二本の鉄材は何なのだろう?タワーの一部とも思えない。もしかしたらこの先、大きな変化があるかも知れない。何か情報が入り次第、レポートしようと思う。


タワーの記念品はどうなった?

かつて、万博記念協会(現在は万博記念機構)の方から、「タワーのボールジョイントを使い、文鎮のようなものを作る計画がある」という話を聞いた。

その後、その話はどうなったかというと・・・、ズバリ「消えた」みたいである。元々「予算がつけば」の条件つきであったし、その実現が難しいとは思ってはいた。

それに、仮にそれが実現したとしても・・・、ボールジョイントを再加工して製作するのなら、元の形は完全に失われるわけで・・・、あまり「エキスポタワーの記念品」としての意味は薄い。それなら、タワーの鉄材のちょっとしたカケラのほうがずっといい。

その記念品に使われるかも知れなかったものだろうか。タワー跡地のモニュメントの奥にひとつ、ぽつんとボールジョイントが置かれていた。

あの地に置かれているタワー・オブ・ライフの外郭は、ヤノベ氏の手によって加工され、もはや純粋な「エキスポタワーの遺産」とは言えない。
・・・もしかしたらこのジョイントが、万博跡地に残る「最後のタワーの遺産」なのかも知れない。

 


(エキスポタワータワー跡地・・・平成16年2月1日撮影)