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2002年3月27日 朝日新聞夕刊
「さようならエキスポタワー」
朝日新聞夕刊に掲載された、解体決定の第一報。
そう大きな記事でも無いが、「速報記事」ということを考えると、比較的大きな扱いであると言える。
文字部分より大きな写真を掲載しているのは、「エキスポタワーと聞いてもピンと来ない読者が多いのでは」という配慮からか。
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2002年5月3日 朝日新聞朝刊
見納め紀行Eエキスポタワー「「未来」の思い出 見届けたい」
朝日新聞の短期連載企画「見納め紀行」。向こう一年間に姿を消すことが決定した場所を訪ねる・・・というもの。全6回の中で「宝塚ファミリーランド」や「宮崎シーガイア・オーシャンドーム」等が紹介され、その最終回がエキスポタワーであった。
タワーに思いを寄せる人達へのインタビューが中心。文章がとても解りやすく、好感が持てる内容だ。 |
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2002年9月10日 日本経済新聞朝刊
「未来の夢見た塔 最後の夏」
かなり大きく取り上げられた記事。内容も素晴らしく、エキスポタワーファンならずとも、全ての人に読んで欲しい。
万博記念協会の方が、エキスポタワー設計者・菊竹清訓さんに「タワー解体」を伝えに行く。その時の菊竹氏の反応は・・・。
エキスポタワーを設計した人間と管理してきた人間。立場は違えど、誰よりも深くタワーに関わり、そして深く愛した人達。・・・その物語に胸が熱くなった。
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2002年9月10日 読売新聞夕刊
「万博の記憶 次代へ」
エキスポタワーというより、「万博の遺構」そのものに対する記事。
EXPO70の跡地・万博公園は今、大きなターニングポイントを迎えているのは間違い無い。エキスポタワーの解体、国立国際美術館の移転、さらにエキスポホールの取り壊し決定・・・。
そんな中、「どうやって万博の歴史を受け継いで行くか」を考えるメール会議が発足したという。
万博に興味を持つ者にとって、とても気になる記事である。
記事中で紹介されているサイトは→こちら。
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2002年10月15日 朝日新聞夕刊
「ザウスとエキスポタワー」
副題に「着地できたか巨大な「妄想」」とある。メインはエキスポタワーではなく、2002年9月に閉鎖された屋内スキー場「ザウス」の話題である。その中で、同じような位置付けの建造物として、エキスポタワーの名前が挙げられている。
記事の中に「妄想」という言葉がやたら出てくる。果たしてそうなのか?私はエキスポタワーを見てきた中で、あの塔は当時の「夢」そのものであったと確信するようになった。エキスポタワーを「ずっと前向きな妄想」と表現しているが、その表現に違和感を感じたのは私だけだろうか。
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2002年11月21日 朝日新聞夕刊
「さよならエキスポタワー」
エキスポタワー解体工事が、いよいよ「タワー本体切断」に及んだことに対する記事。「解体工事が始まった」という記事には、ずっと見続けて来た人間としては「何を今頃・・・」というのが本音。
上で紹介している、朝日新聞の解体決定第一報と、構図や掲載写真が非常に似ている。解体工事着工前と現在、見比べてみるのも面白い。
また、先に紹介した日本経済新聞の記事に出ている、吉田元雄さんのコメントも短いながらも掲載されれいる。 |
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2002年11月21日 夕刊フジ
「エキスポタワー解体」
上のものと同じ日に掲載された、夕刊フジの記事。駅売り夕刊紙にもエキスポタワーの記事が載るとは、ちょっぴり意外だ。
記事的には大きなものでも無いが、「解体工事は万博の開幕日に合わせ、来年3月15日ごろに完了予定」というレアな情報も。 |
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2002年12月24日 朝日新聞朝刊
「未来の廃墟の進化形〜EXPOSE2002〜」
KPOキリンプラザ大阪で開催されていた、「EXPOSE2002」の紹介記事。
美術家・ヤノベケンジさんは、万博終了後に無残に壊されていくパビリオンを目のあたりにし、未来の廃墟を感じたという。
私も見に行ったが、かなり衝撃的な作品が並んでいた。万博が指し示した未来とは、一体どんなものだったのだろう。
今、エキスポタワーを初めとする、万博の遺構が次々と消えつつある。「万博とはこの国にとって何だったのか」を再考する時期に来ているのではないだろうか・・・。
ヤノベさんは、エキスポタワー解体後、タワーの廃材を利用した作品を制作する予定だという。
ちなみにこの「デメ」と「スタンダ」は、 「会場に居る人間の放射能を20回感知する度に稼動する(会場の係員さんの説明)」仕組みになっている。 |