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             <特別編>
エキスポタワー
       大阪府吹田市
未来への出発
1月22日

1月22日、私は久しぶりにエキスポタワーの元へ訪れた。前回から、一ヶ月以上も経っている。年末、正月、福男・・・とイベントが続き、タワーを見に行く時間が無かったのだ。

しかし・・・もしかしたら、ほとんど降ろされたキャビンを目の当たりにし、「タワー解体工事」への感心が薄れてしまったのかも知れない。

久々のタワーは、もはや「エキスポタワー」と呼ぶことさえ躊躇してしまう鉄塔と化していた。
この程度の高さのビルなら、そこら中にたくさん建っている。

前回ははるか高所で作業をしていたが、今では作業箇所が肉眼で充分確認できる。

この日は私より先に、タワーを観察していた人がいた。聞いてみると、午前中のうちに主柱が3本降ろされ、一気に低くなった・・・という。


タワーの主柱が焼き切られた跡がはっきりと確認できる。
本体下部には、大きな変化は無い。

前回訪れた時はあった、「保存予定キャビン」が消えている。
その場所には、切り取られた丸い窓と、キャビンの一部だったと思われるパネルが一枚だけ放置されていた。
巨大なキャビンを、そのまま移動させるのは不可能。解体することは予想できた。


・・・ しかし、他の部品はどこへ行ったのだろうか?既に別の場所に移されているのか、はたまたどこか、敷地内に置かれているのだろうか?

タワーの向こう側では、今日降ろされたのであろう主柱の解体作業が行なわれていた。

タワーの残骸は大型トラックにまとめて入れられ、鉄クズとして運ばれて行く。

来ていた人に聞いたところ、搬出トラックは一日に2〜3度、敷地を出入りするという。

キャビンも消え、あとはアームを焼き切っていくだけ。
近い将来、この塔は跡形も無くなるだろう。

私はその姿をカメラに収めるべく、タワー北側の陸橋へと移動した。

と、その時・・・。

トラックが一台、ゆっくりと工事敷地内から出てきた。廃材を運ぶトラックよりも、ずっと小さい。

あ・・・。



あれは!!
間違い無い!!
保存予定キャビンの部品である!!

廃材扱いのものは、もっと大きなトラックに、
無造作に放り込まれて運ばれて行く。

しかしこれは明らかに違う。
丁寧に積まれ、固定し、慎重に運送している。
これらが「保存」されるのは明白だ。

別角度から。
敷地内に残されていた窓は、これらから刳りぬかれたものだろう。

少し意外だったのは、ジョイントも一緒に運んでいること。
『この運搬物=保存』と考えると、
ジョイント類も保存対象ということになる。

 

 

もしかしたら・・・だ。あくまで仮定なのだが。

エキスポタワーのキャビンの保存は、
「万博」とは全く違う機関で行なわれる可能性もある。

ずっと前に書いた通り、エキスポタワーはただの鉄塔ではない。
当時のひとつの建設思想、「メタボリズム」を現実化させた塔なのである。

つまり「万博の遺構」である以前に、「建築史上において重要な建物」であることになる。

それを考えると、「建築学」方面での保存・・・ということも、あながち考えられないとは言えない。


何はともあれ。

エキスポタワーはもはや風前の灯。
次々と本体は切断され、まもなく跡形も無くなるだろう。

しかし、今・・・、タワーの一部が、未来に向けて出発した。
あの頃の人々が見た夢を、後世の人々に伝えるために。


運ばれて行ったのは、タワーの「部品」ではない。
エキスポタワーが、確かにこの世に存在した「証」なのだ。