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             <特別編>
エキスポタワー
       大阪府吹田市
タワー解体終了


ついにこの日がやってきた。
3月15日・・・エキスポタワーの解体工事、終了予定日。

あの地に行っても、もはや見るべきものも無いだろう。
しかし私は、エキスポタワーへの思いに区切りをつけるべく、
タワーが建っていた場所へと出向いた。

・・・やはり・・・。

かつてエキスポタワーがそびえ立っていた場所には、もはや何も残っていなかった。
工事期間中は敷地内を覆っていた防護壁も無くなり、ガランとした風景が、空しさをさらにが募らせる。

そう、エキスポタワーは、無くなってしまったのだ。
この地を訪れて、改めて実感した・・・。

万博建設工事で亡くなった方々の慰霊碑。何事も無く、ひっそりとこの地に残されていた。

工事の規模がどれほどになるか予想もつかなかったので、工事前に「移転もあり得るかも」と言っていたが、そんなことも無かった。
万博跡地を見下ろせるこの場所に在るのが、当然ながら一番いい。慰霊碑を確認し、ちょっぴりホッとした。

解体工事以前からここに置かれていた、鉄骨とボールジョイントのモニュメント。意外にも撤去されておらず、工事前と全く同じ状態で残されていた。

エキスポタワーの墓標代わり・・・と言うと縁起が悪いか。タワーがこの地に存在した、数少ない証だ。できればずっと、このままここにあり続けて欲しい。

だが、予定では・・・(これに関しては後述)。

実はこの日、少し離れた通路では、通路にひかれた鉄板を回収する作業を行われていた。
重い鉄板をクレーンを使い回収するので、とても時間がかかる。今日中に全ての鉄板を回収するのは不可能だろう。

まだ「タワー解体工事の関連作業中」であり、厳密には今日が「解体終了日」とは言えない。だが、私はあえて今日、「3月15日」をタワー解体終了日として刻みたい。

理由として、
@タワー自体は既に無く、メインの解体工事は終了している。A当初の完了予定日。B万博開催記念日と重なり、最もその日として相応しい。

と、いうわけで・・・タワーの解体は終わった。

・・・。

タワー跡地を一通り見たあと、私は万博記念公園へと移動した。
この日、公園内で植樹イベントがあるそうなので、ちょっと見に行ってみたのである。


イベント自体は小さなもので、そこはかとなく終了した・・・。

と、そこで・・・新聞で見覚えのある顔を発見した。
思い切って声をかけてみたところ、やはり!万博記念協会の「吉田元雄」さんであった!以前、電話でお話した者です・・・と言うと、私の事を覚えていて下さったようであった。

万博記念協会の方と、直接お話できる貴重なチャンスである!私は思い浮かんだ、いくつかの質問を投げかけてみた。

そして、とても貴重な情報を得ることができたので、ここで紹介します。



 

 



1.なぜ記念協会は、タワーの記念品を製作しなかったか

タワーに関心を持つ全ての人が、この件に関して疑問を持ったに違いない。
タワー解体が本格化した11月21日、一部新聞で「タワー鉄材を使った記念品の製作を検討している」と報じられた。
<<参考・サンケイスポーツ記事>>
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200211/sha2002112205.html

私も含め、この言葉に期待を寄せた人は少なくなかっただろう。
だが・・・、実際には、製作されることは無かった。

なぜ、あれほどまでに希望も多く、一度は報じたことにも関わらず、記念品を製作しなかったのか?
私はこの疑問を晴らすため、吉田さんに聞いてみた。すると、意外なことを聞くことができた。


まず大前提として、あの報道の時点では本当に「検討」段階だったということ。
マスコミの取材に、ちょこっと漏らした言葉が大きく報道され、吉田さんも困惑してしまったらしい。
そしてその「検討」の結果、記念品の製作を断念した。その理由は二つある。

@予算がつかなかった
現在、万博記念協会は慢性的な予算不足の状態にある。
その状態の中で記念品製作の予算を作ることが難しかった。

A素材の問題
当初、もし記念品を製作するとすれば「キャビンのパネルを使ったメダル」を考えていた。
ところが、キャビンの素材は加工が難しく、記念品の製作は困難であった。

・・・とのことであった。
しかし、吉田さんはこのあと、意外なことを言った。
「実は今、それとはまた別に、改めて記念品の製作を考えている」とのことである!
加工が簡単なボールジョイントを、協会側が数個押さえている。
それを使い、文鎮のようなものを1000個ほど製作する計画だという。

もちろんこれも「予算がつけばの話」と、吉田さんは念を押した。

だが、万博記念協会は本気で記念品の製作を考えている・・・ということが解っただけでも、
とても嬉しいことではないか!!!

この先、記念品製作が実現することを期待しよう!!


2.タワー跡地について


以前に電話でお話をした時は「跡地利用予定は未定」とのことだった。
何か、決定したことはないのだろうか?

吉田さんによると、跡地利用は依然「未定」だという。

しかし現在、新たに跡地の周りに柵を作ることも検討しているという。
また、跡地に残っている鉄骨とボールジョイントのモニュメントも、いずれは撤去する予定なのだという。

正直、この話には疑問が残る。
現在、跡地は以前からの白い柵で囲まれているが、
また新しい柵を設置することに対してのメリットが見えてこない。
また、鉄骨とボールジョイントのモニュメントも、
残しておくことには予算は一円もかからないはず。
それに、撤去予定ならば、タワーそのものの撤去工事のついでに、
モニュメントも撤去していても良かったはずだ。

この話については、どうも首をかしげるばかりである。


3.万博の遺構の今後について

万博の遺構は、次々と消えていっている。
「エキスポタワー」は既に消え、発表によると、
さらにこの先の数年で「エキスポホール」「国立国際美術館」「鉄鋼館」・・・と、
万博当時からの建物が、次々と消えていくという。

万博の遺構を保存し、次代に伝えていくのが、万博記念協会の仕事ではないのか?
補修もせずに放置しておいて、古くなったから取り壊し・・・というのは、あんまりではないか?

とても答え難い質問だとは思ったが、このことを吉田さんに聞いてみた。
すると、吉田さんは少し困ったような表情を浮かべ、
とても申し訳なさそうに答えて下さった。

残念ではあるが、今後、万博の遺構を取り巻く環境は、さらに厳しくなっていくのは確実だという。2003年10月で「万博記念協会」はその名称が変わり、規模も大幅に縮小される予定なのだ、と。

予算の問題も、人員の問題も。
「なんとかしたい、しかし、どうしようもない」。
それが今の状況である、と・・・。

永久保存が決まっており、もはや大阪のシンボルと化している「太陽の塔」、それ以外の万博の遺構は、このままでは消えていく一方だ・・・。




(上)万博公園内・某所に置かれているタワーの廃材。 ボールジョイント×5、銀色パネル×6、赤色パネル×6、キャビン丸窓×2、その他。

4.某所に保管されているタワーの廃材について

実は、万博記念公園の某所に、エキスポタワーの廃材が置かれている。 これはどういった目的で使われるのか、とても気になる。
そのことを聞いてみると・・・。

「あの廃材は、ヤノベさんに提供するもの」

と、いうことであった。
以前に取材した通り、タワーの廃材の一部は、二人に贈られることになっている。

一方は、エキスポタワー設計者・菊竹氏。
(これは私が目撃した、トラックに載せられた廃材である)

もう一方は、美術家・ヤノベケンジ氏。
ヤノベ氏は、タワーの廃材を使い、美術作品を制作する予定だという。
その素材が、某所に置かれている廃材なのだという。

ヤノベ氏のその作品は、2003年8月頃、「国立国際美術館」にて展示予定。
国際美術館はそのイベントを最後に、大阪市内へ移転、現在の建物は解体が決定している。

 
吉田さんはあとに仕事が控えておられ、多くの話をすることができなかった。
しかし、今回、吉田さんと直接話ができたことは、とても有意義なことだったと思う。


忙しい中、丁寧に対応して下さった吉田さんに感謝します。







最後に、エキスポランドの観覧車から、タワー跡地を見下ろしてみた。

かつてタワーが立っていた場所は、六角形の跡が残っていた。

半年前までは、ここに巨大な塔が立っていたなんて、想像もできない。





「過去が夢見た未来の塔」、エキスポタワー。

ありがとう、そして、さよなら・・・。
近日中にもう一度、更新予定です。

それを最終更新としまして、足掛け約一年間続けてきた「エキスポタワー」のコンテンツの更新を終了したいと思います。

長らくの間、ありがとうございました。