2002年3月。
新聞で「エキスポタワー解体決定」の記事を目にして、初めてその塔の名前を知った。
ずっと気になってはいた塔。
小学生の時だったろうか。エキスポランドに遊びに来て、その塔を初めて目にし、
「なんじゃ?あの蜂の巣みたいな塔は?」
そんな風に思ったのを、今でも鮮明に覚えている。
とにかく、第一印象は強烈だったのだ。
あまりに奇抜な外観。観覧車よりさらに高い。紅白に塗られているが、明らかに色あせている。
周囲の風景と不釣合いな、なにやら異質な雰囲気を漂わせていた。
幼い私には、「不気味」にさえ思えたのだ。
1990年代後半、私は京都の大学へ、毎日電車に乗って通っていた。
大阪方面から京都に向かう電車の窓から、いつもあの塔を見ていた。
幼い頃に強烈な印象を残した塔。
「あの塔は一体何なのだろう?」
そう、ずっと・・・、気になってはいたのだ。
それが例の「万博」の遺構だということ、
そして「エキスポタワー」という名前だと知ったのは、例の「解体決定」の記事で・・・なのだ。
私は、1976年生まれ。実際に「EXPO’70」を経験していない。
万博記念公園、あの地で世界的なお祭りが行われたのは聞いている。
だが、実際にその時代を知らない私にとって、それはただの昔話にしか思えず、
特に重要なこととも思えなかった。
今回、「エキスポタワー」というものを通して、「EXPO’70」そのものに興味を持った。
様々な資料を読み漁り、少しは日本において「EXPO’70」が何だったのかを理解できた気がする。
私はエキスポタワーを表現する時に、「過去が夢見た未来の塔」という表現を使った。
初めてタワー関係のコンテンツを製作する時、「何かいい表現は無いかな〜」と考えている時に、ふっ・・・と思いついたのが、この言葉だった。
この表現を使い始めてから一年。実は私は今、この言葉が、「エキスポタワー」という存在を表す最適なものなのでははないか、と思っている。
「エキスポタワー」とは何だったのか。
もちろん、世代によって思いの程は違うだろう。
万博を実際に経験された人ならば、「エキスポタワーは解体された今でも、自分にとっての未来の塔だ!」という方もおられるだろう。
だが、万博後に生まれ、紅白に塗り替えられ、廃墟と化したエキスポタワーしか知らない私にとって、やはりあれは「過去のもの」としか言いようが無い。
2002年・春。私が、初めてエキスポタワーの元に訪れた時。
それまでも遠巻きにタワーを目にしたことはあったが、実際にタワーを訪れ、近くで見たのは、その時が初めてだった。
その時、タワーに対して率直に感じた思いは、「あまりに古い」。
ボロボロに朽ち果てたエキスポタワーを見て、輝かしい未来を連想する人は、もはや居ないだろう。もしかしたら、「核戦争後に人類が滅亡した未来」などと言う人は居るかもしれないが。
正直な話、「エキスポタワーはデザイン的にも古かった」。
これには異論もあるだろう。「現在から見ても未来的だ!」という意見もあると思う。
確かに、「斬新」ではある。だが、現在においてタワーのデザインを「未来的」とは、決して言えないと思うのだ。これはデザインが優れているかどうか・・・ではなく、「未来」というものに対する概念の問題である。
1970年代と現在(21世紀)において、「未来」というものに対しての概念は、明らかに隔たりがある。
それを解りやすく説明するとすれば・・・、「直線と曲線」ということになると思う。
かつて・・・人々の思い描く未来は、かなり直線的だったように感じる。
近寄り難く、トンガっていて、憧れるけれどまだまだ手には届かない。そんなイメージ。
では、今の未来のイメージはどうだろう。
正直言って、現在においての「未来」は、限りなく不安に溢れている。増え続ける人口、公害、森林破壊、大量破壊兵器による戦争・・・。
かつて憧れた未来は、ここには無い。人々はトンガった近寄り難い未来より、より身近で、安心できる未来が欲しい。
「地球にやさしく、人に優しい未来」を求めるようになった。イメージで言えば「曲線的」になる。
ちょうど、乗用車のデザインの変遷を見れば、それは顕著に表れているように思う。
かつて1970〜80年代に流行った「スーパー・カー」。直線的でトンガって、どことなく威圧感を醸し出す雰囲気を持っていた。
だが今はどうだろう。とても、曲線的なデザインの車が増えたと感じないだろうか。
威圧感はなく、親しみや、安心感を感じるデザイン。機能的にも、速さではなく、地球と人に優しく・・・を考えられて作られている。
エキスポタワーは限りなく「直線的」に設計されていた。
細部にわたって直線で構成され、トンガり、まさに1970〜80年代に思い描いた「未来」のイメージそのままだった。あの塔は「未来の塔」としてデザインされたが、あくまで視点は1970年。現在からみれば、32年も前の「過去」を基準にした未来だったのだ。
だからエキスポタワーの解体に関し、私は「残念」だとは思ったが、「反対」ではなかった。
・・・というより、朽ち果てたタワーの現状を目にして・・・。
「解体を待つ塔」で書いたように、「早く解体してあげて欲しい」とさえ思ったのだ。
誤解のないように追記しておくが、エキスポタワーは全てにおいて素晴らしかった。思想が新しい、古いとかではなく、存在そのものが芸術だったと思う。
そしてエキスポタワーの設計は、見れば見るほど素晴らしかった。隅々まで計算され、あんなSFアニメでも出てこないようなものを現実化させてしまったのだから・・・設計者の菊竹清訓氏の才能には、本当に恐れ入る。
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最後に、あるサイトに、心からのお礼を言わせてもらいます。
『エキスポタワー写真館』
http://homepage1.nifty.com/forever70s/expotower/
「万博」が好きな人で知らぬ人は居ない、と断言できる超有名サイトである。
その名前の通り、エキスポタワーに関してなら、この右に出るサイトはありません。
私はタワーに興味を持ち、解体工事の様子を伝えて行こう・・・と決めた直後に、このサイトの存在を知りました。
タワーの解体が決定した時、私は「タワーの解体をレポートしよう」と決めたのですが・・・。なんと『〜写真館』さんは、「同位置からの定点観測」ということを始めました。
こちらとすれば、あまりのレベルの違いに戸惑ってしまいました。エキスポタワーを知りたいという人なら、ぶっちゃけ、『〜写真館』さえ見ればそれで全ては事足りるのです。
私のHPのタワー観測には、速報性も無いし、タワーの情報量も明らかに劣る。つまり『〜写真館』が存在する限り、私がエキスポタワーの紹介をする意義は薄かったのです。
そこで私は考えました。
たまにでもいい、エキスポタワーを愛する人たちが、“あのサイトも覗いてみよか”と思うような内容にしてやろう。
確かに、ほとんどの点で『〜写真館』に劣るかも知れない。だけれども、その中に何かひとつでも、キラリと光る「独自性」を出したい、と。
私はタワー関連の更新を終えた今、
自分なりに、一所懸命にエキスポタワーの取材をし、今では納得できる内容にすることができた・・・と感じています。
それはひとえに、『〜写真館』という、目標となるサイトの存在があったからなのです。
『〜写真館』の管理人さんとも、何度かお会いすることができ、貴重な情報も教えて頂きました。
HP『エキスポタワー写真館』と、その管理人クラウス17さんに、深くお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
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足掛け一年間続けた「エキスポタワー」のコンテンツの更新も、これで一応終了することになる。
エキスポタワーは消えた。
だが今でも・・・私は電車の窓から、いつもあの塔を探す。
私は「エキスポタワー」という巨大な塔があったことを、一生忘れないだろう。
「過去が夢見た未来の塔」、エキスポタワー。
さようなら・・・、
そして・・・ありがとう。
2003年4月4日
平尾 亮
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