▲TOPページへ

             <特別編>
エキスポタワー
       大阪府吹田市
ヤノベケンジ -MEGALOMANIA-
「タワー・オブ・ライフ」批評


さて、「作品全貌」で、作品がどのようなものであったか解ってもらえたと思う。

では、ここからは私の主観で、作品の批評を行っていきたい。

<いきなり結論ですが・・・>

いきなりだが、結論から言おう。
「がっかりした」。
待ちに待った、タワーの廃材を使った作品。どんなものになるか、大きな期待を持って待ち続けた日々。それらはあの作品を見て、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
はっきり言って、この作品は発表しないほうが良かったのではないか。氏の作品を期待しているファンにとっても、氏自身にとっても。
様々な制限があった作品だったからか、素人目に見ても完成度が低すぎる。

具体的に、この作品に対する不満点をあげてみよう

1.作品の「世界」に入り込めない

この作品の大きな特徴として、「内部に入ることができる」というのがある。そして作品の中心にある大きなテーブル。その上にある台に、タワーから採取されたコケ。
もしもだ。氏が観覧者に、

朽ち果てたエキスポタワー内部で、新たな生命(コケ)が成長しているのをを発見した

というバーチャル・リアリティー(仮想現実)の模擬体験を狙ったのなら、明らかに失敗だ。
まず、作品の天地には何も無い。作品内で見上げれば、そこには無粋な展覧会場の天井が見える。足元に目を移すと、会場の白い地面。開放感がありすぎる。

もっともこのことについては公開初日、ヤノベ氏の口から直接聞くことができた。
当初はタワーのキャビンそのものを使おうと考えた。しかし、予算の都合、会場の大きさ、廃材の劣化状況・・・などを考え、今の規模にせざるを得なかった」とのことだ。
様々な制約があったにせよ、少なくとも天井部分、及び地面は塞ぐべきだった。

さらに問題なのは、各所に取り付けられている蛍光灯。
蛍光灯は特注のものというわけではなく、市販されている一般的なもの。カバーなどで覆われているわけではなく、裸のままで使用されている。
それはそれでいいのだが・・・。
なんと蛍光灯本体に刻印されている、メーカーや型番を示す文字はそのまま、取り付けユニットには取扱いの注意が書かれたシールが張られたまま・・・。
これらを目にしたとたんに、思いっきり冷めてしまう。

こんな空間では、未来を感じることなどできない。


「タワー・オブ・ライフ」内部スケッチ。
(クリックで大きな画像が出ます)

2.タワー廃材はただの「殻」だった

「エキスポタワーの廃材を使用した作品」。この言葉に、あまりに期待しずぎたのか。私にとってその作品は、「タワーの廃材が主役」であることが大前提だった。どのようなものになるかは解らないが、その作品の中心にはタワーの廃材が配置され、それが最も注目を集める・・・と思っていた。

だが、実際の作品はどうだろう。
作品の中央に配置されているのは円形のテーブル、そして台の上のコケ。この作品においての主役はあくまで中央のテーブルであり、上下する「コケ」である。タワーの廃材はそれを囲む「殻」に過ぎず、ボールジョイントに至ってはただの「蛍光灯の装飾」に成り下がっている。
タワー廃材を使っているのに、それらはあくまで、中央の「コケ」のための引き立て役。これでは、タワーの廃材を使った意味が無いと思うのだが。

3.多くの「疑問」

作品への直接の批評とは別に、この作品には腑に落ちないことが多く存在する。

a.作品の「配置」

「作品全貌」で解説したように、「タワー・オブ・ライフ」はスタンドアロン(個体)ではなく、別の作品である「ニュー・デメ」と「スタンダ」に挟まれるように配置され、この2つの作品の動作に合わせて発光する仕組みになっている。

そしてこの「ニュー・デメ」と「スタンダ」は、お互いに反対方向を向いているのだ。


配置図。
(クリックで大きな画像が出ます)
2002年、「ニュー・デメ」と「スタンダ」が発表された時、この2体は向かい合ってた。そして2つをまとめて「ビバ・リバ・プロジェクト」という名がつけられていた。
つまり「ニュー・デメ」と「スタンダ」は一対の作品であり、この2体がそっぽを向いた状態では、作品として成り立たないはずなのだ。
それなのになぜ、今回はこれらを逆方向に向かせ、さらにその間に「タワー・オブ・ライフ」を配置したのだろうか。理解できない。

 

(右)2002年、作品発表当時の「ニュー・デメ」と「スタンダ」。向かい合って配置されているのが良くわかる。

b.さまざまな「制約」

「作品全貌で」述べたように、ヤノベ氏によると、この作品は多くの制約を受けて製作されたという。

・限られた予算
・会場のキャパシティ
・廃材の劣化状況

などである。
次のスケッチを見てもらいたい。これは「MEGALOMANIA」会場に展示されていた、ヤノベ氏の「タワー・オブ・ライフ」の構想段階イラストを模写したものだ。


「タワー・オブ・ライフ」原型と思えるヤノベ氏のイラストを、
ほぼ忠実にスケッチしたもの。
画像下のメモ書きも、イラストのまま。
(クリックで大きな画像が出ます)

これを見ても解る通り、当初は「タワー解体現場に保管されていたキャビンをまるまる使う」はずだったのである。
それが、先述の制約により、今の規模にせざるを得なかった。

では。
「この作品に、ヤノベ氏は満足しているのだろうか?」
様々な制約を受け、多くの妥協を受け入れて製作したこの「タワー・オブ・ライフ」。タワーの廃材を使って作品を作る・・・と発表した時、ヤノベ氏は「失われた未来の再生」を目指す、とはっきりと言っていた。
では、この作品で(多くの妥協をせざるを得なかった作品で)、果たして氏の目指した「失われた未来の再生」は達成できたのだろうか?
是非とも、氏に直接問いただしてみたい。

c.作品に込められた「魂」

正直言って、この作品からヤノベ氏の思い入れというか、「魂を込めて製作した」というものは感じられなかった。それが顕著に表れているのが、消されていない蛍光灯の刻印や、剥がされていない蛍光灯ユニットのシールだ。
こんなのって無い。

ヤノベ氏は、自分の作品は徹底的に「ヤノベ色に染める」というか、とにかく自分の作品を主張する傾向にあると思われる。

ある作品の例をとってみよう。
ヤノベ氏の作品に「アトム・カー」というものがある。黄色に塗られた、小さな車である。実際に運転することも可能である。
この「アトムカー」を動かすには、「ヤノベコイン」というコインを購入し(一枚500円)、それを投入しなければならない。
直接500円玉を投入するのではなく、500円でヤノベコイン購入→ヤノベコイン投入、というプロセスをわざわざ踏まなくてはならないのは、作品を「作者=ヤノベケンジというアーティストの作品であることへの徹底」という、氏のこだわりだと感じている。

そんなヤノベ氏が、蛍光灯及び蛍光灯ユニットについて、市販されているままに使用していたのは疑問符がつく。この作品を、ヤノベ氏は魂を込めて製作したのだろうか?どうしても、急遽、間に合わせで製作したような感じを受ける。

 


多くの疑問が残る「タワー・オブ・ライフ」。

これは、どうしてもヤノベ氏と直接話をしたい。
いや、しなければならない。そう思うようになった。