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その1

「開門神事講社」初めての神事

◆「開門神事講社」発足

 平成21年1月4日、この年の開門神事を6日後に控えた日、西宮神社で盛大に「開門神事講社」の設立総会が行われた。

 この日の約2ヵ月前。次回の開門神事について、神社側に話を聞きに行ったところ、唐突に言われた。「次回から、あなたたちは『講社』として働いてもらいます」。今まで参加者の有志として神事の運営の手助けをしていたが、それを“格上げ”し、神社の公認団体として受け入れたいという。

 私がいち参加者として境内を走り、福男になってから12年。そして約10年、開門神事を守り、発展させるために活動してきた。神事を誰よりも深く愛し、強い思いで関わってきたつもりだ。開門神事講社の設立は、その活動が神社から公式に認められた証であった。


2009年1月4日、開門神事講社設立総会で

  講社になっても、我々がすることはそう大きくは変わらない…そう思っていた。しかし、神事が近づくにつれ、その考えが甘かったことを思い知らされることになる。

◆大きな責任とプレッシャー

 今まではクジ引きや参加者の列の整理などしていれば良かったが、講社になれば、準備の全てを任される。町内会からは近隣に迷惑をかけるのに説明が無いとお叱りを受け、警察からは呼び出されて安全対策の重要性を説かれた。今までは考えもしなかった方面へ、開門神事の協力を求めて走ることになった。

 今まで、参加者の有志として精一杯やってきたつもりだった。だが…いざ「講社」のトップとなると、責任もプレッシャーも段違い。しかも、準備期間はわずか2ヵ月…眠れぬ日々が続いた。

 「井の中の蛙、大海を知らず」…私が今までやってきたのは“お遊び”程度だったのか?自信を無くしかけたこともあった。しかし、負けるわけにはいかなかった。私が開門神事に傾けた情熱は中途半端なものじゃない。それを信じた。

 そして、絶対に投げ出すことはできない理由があった。夏に他界した、私を開門神事と引き合わせてくれた友人…チムの存在。絶対に負けない。アイツに無様な姿だけは絶対に見せられない。落ち込んだ時はチムの写真を見て、自分を奮い立たせた。

 

 ◇    ◇

 

 そして、いよいよ迎えた1月10日、午前6時…。

 私はその瞬間、赤門の中にいた。これまで別団体が担当していた開門を、今回から我々開門神事講社が受け持つことになっていたのだ。一般参加者には大したことではなくても、実は神事の歴史からいえばかなり大きな出来事。そしてその合図は、私が行うことになった。


開門は、初めて開門神事講社が行った

 「かいもーーーーん!」

 一日中、参加者への案内をしていたので喉はガラガラだったが、最後の声を振り絞った。初めて、開門の瞬間を内側から見た。続々と境内になだれ込む参加者たち…数年前までは、私もこの中の一員だったと思うと何だか不思議な気分になった。

 参加者の流れが止まったあと、私は参道を一歩一歩踏みしめながら本殿を目指した。懐にチムの写真を忍ばせて…。もう一度、一緒にこの参道を行きたかった。

 走り終えた参加者でごった返す本殿、新たな福男を祝うように「福男!福男!」のコールが続く。祭りの風景は変わっていくが、この開門神事の根底に流れるものは変わらない。

 この年は史上最多の6000人という参加者を集めたが、転倒などによる怪我人は例年に比べて格段に少なかった。毎年、開門時に待機してくれている看護士さんも驚いていたほどだったという。

 

◆講社の“真の目的”とは

 我が講社の仕事は、神事を円滑に、安全に終了させること。しかし設立総会で私は初代講長としての立場から、“真の目的”は別次元にあると説いた。

 講社の“真の目的”…それは、

 「神事に関わった全ての人に<福>を持ち帰ってもらうこと」。

 福男になった3人はもちろん、その後ろの多くの参加者、ご老人や家族連れ…何か大きな悩みを抱えている人も、障害を持った人もいるかもしれない。さらに神社関係者や地域の方々…みんなみんな「開門神事で、これから一年間の福をもらった!」と感じてもらうこと。

 大きすぎる目的、しかしそれに向かってたゆまぬ努力を続けていく。

 開門神事講社が設立されたということは、この先もこの講社が神事を運営していくということ。これまではその年その年に全力投球だったが、未来をも見据えて活動していく必要がある。私たちの下の世代に“後継者”も作らねばならない。

 支えて行きたい。この神事を、ずっとこれからも。

 ここに「福」がある限り。