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その4

我が友、チムに捧ぐ

◆私と開門神事を出会わせてくれた友

 開門神事に深く関わっていることもあり、私は神事前になると各メディアから様々な質問を受ける。どんな神事なのか、何が魅力なのか…等。そして必ずといっていいほど聞かれるのが次のコト。

 「あなたが、福男選びに参加しようと思ったキッカケは?」

 私は決まって「尊敬する先輩が、この神事に参加していたから」と答える。その先輩とはかつて、何度も福男に輝いた「ミスター福男」善斉さん。このことに偽りはない。だが、それ以前の「開門神事を知ったキッカケ」という次元の話になると、別の名前が脳裏に浮かぶ。

 「チム」。もちろんあだ名で、本名は市村拓也(いちむら・たくや)という。…私の大切な大切な友人だ。…そのチムは2008年の夏の終わりに、天国へと旅立った。


1999年1月9日夜、赤門横でチム(右)と

◇    ◇

 「平尾くん、やんな。」

 今でも、彼に初めて話し掛けられた言葉を覚えている。大学に入学した私は、入ると決めていた陸上部の勧誘ブースに行ってみた…そこに彼がいた。そして、驚いたように先の言葉が。彼と私は高校時代、何度か同じ陸上の大会で顔を合わせていたらしい。無頓着な私は全く覚えていなかったが、彼は私のコトを知っていた。

  すぐに打ち解けた。本人も好んで使っていたあだ名の「チム」も、元々は私が呼び始めた。「木村拓哉がキムタクやから、市村拓也はチムタクやな」。それがいつの間にやら縮まって「チム」になった。部で同期の選手はチムと私の2人だけ。だから仲間でもあり、常にライバルだった。

 ある日、チムが私にこんなコトを訊ねてきた。

 「なぁ、福男って知ってるか」。

 …フクオトコ?初めて聞く単語だった。チムは続ける。「西宮の神社であるんやけど、お前も来えへん?」私は軽く断った。「よくわからんし、遠慮しとくわ」。…それからしばらくした1月10日。何気なく、新聞の夕刊を手に取った私は驚いた。そこにチムの姿があったのだ。


1996年の開門の様子。そこにチムの姿が!

 そしてこの年、一番福を取ったのは善斉さん…私の高校時代の先輩のライバルであり、憧れの選手である。相関図はこんな感じ。


 ちなみに「S先輩」も私が心から尊敬する人だ。「福男選び」には必ず赤いハチマキを締めて参加するが、これはS先輩が高校卒業時に私に譲ってくれた“宝物”なのである。


「福男新報」第1号(当時は「国際新報」)。大きくチムの名が…。

 ともあれ「善斉さんが参加しているのか。それなら私も!」…そう考えた私は、早くも次回の「福男選び」に目標を定め、そして一年後の1997年に「福男選び」初参加した。その際に作ったのが、現在も製作している「福男新報(当時は在籍していた大学の名前から「国際新報」)」の第1号。見ての通り、「チム」の名前がドドンと…。そう、当時は誰よりも、チムへ向けて作った新聞だったのだ。私のライフワークとなった、開門神事を伝える新聞作りも、元々はチムから始まっていた。

 初参加で二番福になった私は、次第にこの神事にのめり込んでいく。思えば、チムとともに神事に参加していたこの頃が、神事が一番楽しかった頃だったように思う。門前で一晩を過ごすと、神事に参加しに来ていた人たちの間に不思議な絆が生まれる。どこからともなく回されてくる差し入れの暖かさ。あまり好きな表現ではないが、開門神事の「古き良き時代」だったように思う。

 やがて私は、神事に参加するだけではなく、参加者の代表として神社側とかけあい、裏方としても活動するようになった。一方、チムは私の“福男熱”に反比例するかのように、神事から遠ざかっていった。…とはいっても、毎年参加する私を、何かしらの形でサポートしてくれた。2001年は、私が事故で入院中にも関わらず神事に参加した。この時、チムは私を心配して、ずっと付き添ってくれたのだった…。


テレビに偶然映っていた、私とチム(右)。左は現・開門神事講社メンバー、江原さん

神事後にチム(右)と記念撮影。左は、この年は不参加だった前年度の一番福・吉田

 神事を通してだけでなく、一人の友人としてももちろん、チムとの交友は続いた。一緒に沖縄に卒業旅行にも行った。結婚式も呼ばれた。大学卒業後はなかなか会う機会も減ったが、それでも同期の仲間とともに、年に数回の“同窓会”で顔を合わせた。やがて愛娘を授かったチム。本当に幸せそうだった…。


2007年5月19日、チムとの最後の集合になった…

◆もう一度、お前と…

 数年前のこと。チムが病気で入院することになった。何やら難しい手術が必要だという。そこからは入退院の繰り返しだった。2008年夏、また皆で集まる計画をし、日程まで決まりかけていたのだが…チムから「体調が良くない」との連絡があり延期になった。聞こえてくる病状は、とてもじゃないが良いとは言えない。大丈夫とは思いつつ「もしや…」の思いは拭い去ることができなかった。そんな中、友人から一通のメールが。

 「チムが亡くなった」。

 覚悟はしていた。でも…。やりきれない思いが胸に溢れた。チムの通夜…チムは、もの凄くキレイな顔していた。今にも目を開けて、以前のように話し掛けてきそうだった。

 沢山の人が悲しんでいた。チムの生前の人柄を示しているようだった。私も悲しくて、泣いた。

◇    ◇

 私は神事の運営を神社から任される「開門神事講社」の初代講長として、2009年の開門神事を迎える。チムのひとことから神事を知ってから13年…。私がこんな立場になるなんて、天国でチムも驚いているの違いない。

 チムが亡くなってから最初の「福男選び」。見守ってくれ…とは言わないでおこう。面倒くさがりのチムのことだ、そんなコトを頼んだら「ま、適当に頑張ってくれ」と返されるのがオチだ。ただ…今回だけは、ずっと願っていたコト…お前ともう一度「福男選び」に一緒に参加するコトを叶えさせて欲しい。あの時、病院から抜け出して神事に参加した私を心配して、ずっと付き添ってくれた時から、もう一度お前とあの参道を行きたかった。

 開門してひと仕事終えたあと、私は「開門神事講社・講長」から、あの頃の「いち参加者」に戻る。そして…チムと一緒に、本殿を目指す。

 2009年1月10日、午前6時。私にとって、例年よりも特別な瞬間を迎える。