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その2

「2時間」の意味と二つの自覚

◆「2時間繰り下げ」が意味するもの

 2009年は、スタート位置を決めるクジ引きの実施場所、および開始時間が変更になる。場所は境内の外に、開始時間は例年の午前0時から午前2時へと、後ろに2時間ズレることになった。


クジ引き時間の繰り下げを伝える新聞記事

 「クジ引きの場所変更」はこの制度が導入されてから、ずっと検討されてきたことであった。本来ならば、1月10日の午前0時以降は、境内で神事が行われている時間。かつては神社関係者でも、高い役職の人しか境内に残れない神聖な夜であった。その時間に、境内でワイワイとクジ引きしているのはどうか。今回、クジ引き場所が変更になったのは当然のコトだと言える。


2008年、クジ引きを待つ参加者。奥には本殿が見える

 では「クジ引き開始時間変更」についてはどうだろう。この2時間が意味するものは何なのか。それを考えてみたい。

 今までの「クジ引き午前0時スタート」には、ちゃんと意味がある。「福男選び」のスタート地点である西宮神社の表大門(正門)「赤門」が閉められる時間だ。厳密に言えば、神事はこの門が閉まった瞬間から始まる。“場所取り”が過熱していた当時、数日前から門前で寝泊りする者も出現していた。警察からの指導もあり、開門時の安全確保の方法を模索していた時期でもあった。クジ引き制度の導入は、安全確保のためのスタート位置抽選を導入するとともに、神事を「1月10日午前0時、赤門閉門の瞬間から始まる」という元の姿に戻すチャンスであった。


2004年1月9日の門前。場所取りで“キャンプ”も

 しかし、このクジ引き制度は近年、参加者の急増を招いている。午前0時に開始ということで2時間ほど前からクジ引き会場に参加者が並び初めるが…午後10時というとまだ境内は参拝客で溢れている時間。テレビカメラが並び、何やら人が並んでいる…参拝客の視線は、自然とそちらへと向く。

 「何してんの?アレやん、福男選びやん!俺も並んでみよ〜っと」

 そんな“とりあえず並んでみました”な参加者が増えているのだ。神事に参加するのは自由だし、参加者が多ければ盛り上がる。だがクジ引きは「本当に福男を目指す人たち」だけで行われるべきで、面白そうだからと軽いノリで来られても困る。こんなことを確認するのもバカバカしいが、当選してから「当たってしもた、どうしよ」とか言うのなら初めからクジを引くな。迷惑この上ない。

 この2時間は、参加者を「ふるい」にかける時間と思ってくれていい。参加者の「本気度を測る時間」とも言える。深夜2時に集まるとなるとそれなりの覚悟も必要であるし、一般参拝客も全ていなくなる時間だ。

 さらに、今までは当選者でスタート位置を決めたあと“一時解散”の時間があった。スタート位置が決まれば、そこに留まる意味もあまりない。この数時間の間、参加者は家に一度戻ったり、中にはネットカフェで仮眠を取る者もいたようだ。だが今回、クジ引き時間が後ろにズレたことにより、その“一時解散”は廃止する。クジ引き→開門までの時間は短くはなる。だが同時に、その場から離れる余裕もなくなる。参加者は真冬の空の下で開門を待つことになるが、クジ引き導入前は参加者はずっと赤門の前で待っていた。今まで“一時解散”があったこと自体、おかしかったのだ。

 さらに“一時解散”が無くなったことにより、服装に対しての言い訳もきかなくなる。おおよそ走れないようなラフな服装でクジ引きに現れ「当選して走ることになったら着替えてくる」という言い逃れも通用しない。もちろん寒い中なので防寒はしっかりして欲しいが、基本的にはクジ引きの時点で「そのまま神事に参加できる服装」で来ているはず。近年問題となっている“コスプレ参加者”への抑制も期待できる。

 この「2時間」が、神事をよりよい方向へと導いてくれることを期待する。

◆肝に銘じるべき二つのこと

 そして、開門神事に参加する者、特に本気で「福男(もしくは福女)」を目指しクジを引くのであれば、次の二つのことをしっかりと肝に銘じること。

1、いつ大事故が起こってもおかしくない危険な神事である

 クジを引くということは、当選すれば「最前のブロックから、開門と同時に全力疾走する」ということ。それに耐えられるだけの身体能力が不可欠だ。転んだら自分が怪我するだけの“自己責任”なんて通用しない。一人が転べば、後ろから走ってくる参加者も必ず巻き込まれる。また大事故が起きれば、この神事の存続に関わってくる。幸い、開門神事で死亡事故は未だ起こっていない。しかしそれは今回、あなたの友人や恋人、家族、あるいはあなた自身の身に降りかかるかもしれない。脅すつもりはないが、開門神事はそれほどまでに危険なものであることを自覚すべきである。

 もちろん、後ろのブロックから参加するなら安全。毎年、家族連れやお年寄りなどを含め、多くの方が参加している。開門神事は、全力疾走して福男になればいい…というものではない。まっすぐな気持ちで本殿を目指せば必ず「福」はやってくる。不安ならば、勇気を持って後ろのブロックから自分のペースで本殿を目指して欲しい。

2、スポーツ競技でなく、あくまで「神事」である

 もうイヤというほど訴えてきているが、福男選びはスポーツ競技ではなく「神事」である。なぜ1月10日の朝6時、本殿へ走っていくのか…それは、えびす神社にとっての元旦とも言える本えびすの日に“参拝一番乗り”を競っているのだ。危険が伴う神事なのため、動きやすい格好で参加することは大前提だが、神様に参拝しに行くのに失礼な服装ではないか?いいかげんな気持ちでないか?…もう一度自分の胸に手を当てて、自分を見つめ直してみて!


2008年の開門時。一人が転倒すれば…

 ◇    ◇

 午前2時のクジ引き開始前に、並んでいる参加者を「開門神事講社」のメンバーがチェックする。服装はもちろんだが、態度が悪い者は「神事」に参加する自覚なき者と判断し、その場で指導、改善が見られない場合は強制排除も辞さない。これは遊びではないのだ。

 開門神事を作り上げていくのは、神社側でも、我々「開門神事講社」でもない。最終的には、参加している者一人ひとりの自覚が、神事を素晴らしいものにする。それを忘れないで欲しい。

 みんな、まっすぐな気持ちで参加して、2009年の「福」を持ち帰ろうぜ!