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その1

運営団体「開門神事講社」発足

◆初の開門神事運営団体

 2009年の開門神事は、新しく設立される「開門神事講社」によって、クジ引きなどの運営が行われる。今までは「開門神事保存会」という、参加者の有志団体によって運営されてきた。クジ引き制度はあくまで、神事とは一線を引いた形で行われてきたのだ。


2005年より行われてきたクジ引き

 しかし今回、神社側からの要請で、保存会は神社公認の団体に“格上げ”されることになった。参加する側にすればあまり関係ないかもしれないが、これは歴史的なこと。長きにわたって行われてきた神事だが、このような運営団体ができるのは初めてだからだ。

 ◇    ◇

 元をたどれば、毎年神事に参加していた私が個人で神社へ出かけて、神事の安全管理について「もう少しちゃんとしてくれよ!」と文句を言いに行ったのがキッカケ…つまり、元をたどればただのクレーマーだったわけだ(笑)。その時はメンバーは私1名で、勝手に「福男向上委員会(仮)」を名乗っていた…このHPに、当時の名残がある。元ネタはアイドルグループ「制服向上委員会」。アイドルオタクではありませんので念のため。それがいつの間にやら同志が増え、名前も「開門神事保存会」に変わり、さらに今回、神社公認団体に…。うむむ、何がどう転ぶかわからんものだ。


2002年「福男向上委員会(仮)」発足当時の会合の様子

 この“格上げ”の話をもらった時、名前は変われど…結局は「今までと、するコト自体は何も変わらない、変える必要もない」と思った。スムーズに、安全に神事を行うために尽力する。それなら、今までと一緒じゃないか。

 だが、正式な設立が近づくにつれ、今までと同じではダメじゃないか?という思いが、胸の底から湧き上がってきた。神社公認の団体になる、イコール、私を含めた「開門神事講社」の発言は、そのまま神社の公式発表になる。責任が重くなることはもちろんだが、逆に言えば、今までよりも強い力で、様々な情報を発信することができる。

 では何をするのか?まずは、開門神事についての様々なコトの統一から始めたい。

◆細かな統一も我々の仕事

 例えば、だ。開門神事が行われる西宮神社の参道の長さだが、いまだに各メディアで報道内容にバラつきがある。簡単に言うと「約200メートル説」と「約230メートル説」だ。2008年度の開門神事の記事を調べてみると、各社の記述は分かれている。

 最も多くの新聞に使われたと思われる共同通信社をはじめ、読売、毎日などは「230」。毎日新聞、大阪スポーツや日刊ゲンダイ、東京新聞のコラムなどは「200」。神戸新聞に至っては、神事前に出た記事は「200」、神事の結果を知らせる記事は「230」と、同じ社でも書き手によって距離が違った。


「200」と「230」…同じ新聞社でも統一されていない

 30メートルの違い…これは「約」でくくるには大きな差である。では、本当のところはどうなのか?

 実は数年前、神社側は計測器を使い、参道の長さを調べている。参道の中心を通ったとして測ってみると、本殿前の「えびす坂」の手前ぐらいで200メートル、さらに奥の突き当たり(賽銭箱)まで測ると、230メートルに少し足らないぐらいだったという。それを考慮すると、開門神事のコースの距離は「約230メートル説」が正しいことになる。神社側はこの計測後に、メディア向けの広報紙に「約230メートル」と明記しているらしいが…先に書いた通り、まだ統一されていないのが現実だ。

 こういった今まで誰もタッチしなかったことへの正式見解をしっかり発信し、あいまいな部分への統一を促すのも、我々「開門神事講社」の仕事なのではないかと思う。

◆時には強制力も必要

 当日の運営も今までと同じではダメだろう。参加者の有志団体ということで、今まで運営は“参加者目線”で行ってきた。しかし神社公認団体であれば、ある程度、強制力を持つことも必要だろう。これは参加者を権力で押さえつけるということではなく、常に毅然とした態度で運営に当たるというこだ。神事はもはや、いつ死人が出てもおかしくない危険なものになっている。それを理解していないと見受けられる参加者がいれば、こちらの判断で排除するのもアリだろう。


自覚のない参加者はクジ引き前に排除すべき

 そして何より。「開門神事講」メンバー一人ひとりが「福男」の心境にならねばならない。福男を選ぶ神事の運営を、福男の心境で…とは何か変な感じだが。

 福男になると「その年の福を一身に集める」とされているが、一部メディアでは誤解され、しばしば「福男になると、本当に福が来るのか?」なんて追跡調査を見かける。正直、迷惑極まりない。これって、本人が幸せになる…という意味ではない。その身に集めた「福」を、周囲に分け与えることができる!という意味なのだ。

 我々の行うことも、最終目的は同じ。神事にまっすぐな気持ちで参加してくれた人々、神社関係者の方々、この神事に関わった多くの人たちに「あぁ、いい開門神事だったなぁ」と思ってもらえるように…私たちの活動によって「福」を与えられるように…。

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 「開門神事講社」は、神事の運営を手伝ってくれる講員を募集している。もちろん誰でも良いというわけではない。開門神事は遊びではなく、その名の通り、神様の前で行われる「神事」。もっと噛み砕いて言えば「伝統文化」だ。それを良く理解する人でなければならない。

 まだ動き始めたばかりの「開門神事講社」。どうぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。