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1950年代後半ごろの「福男選び」開門の様子。福を求める姿は、今も昔も変わらない。 |
管理人・平尾の「福男選び」への取り組みについて
私が初めて、この神事に参加したのは平成9年(1997年)。その時は「二番福」でした。その次の平成8年も二番福。 今度は絶対に勝つ!と意気込んだ平成10年は、もう少しで一番福!という本殿目前の最終コーナーで思いっきり転倒してしまい、一番福にはなれませんでした。この様子は当時「奇跡体験!アンビリバボー」という番組で「日本一不幸な男」として取り上げられたので、見たことがある方もおられるかもしれません。 そして、平成11年の「福男」を二週間後に控えた、クリスマスの夜。私は大きな交通事故に遭ってしまいました。高速道路でバイクで転倒→10トントラックに轢かれるという、死ななかったのが奇跡…という大事故でした。その事故で足に障害が残ってしまい、もう以前のように駆けることはできません。 もはや、一番福になることは叶わなくなっても、毎年、足に装具をつけて参加し続けました。競争に勝つことに執着しない、純粋に福男を楽しむ「いち・参加者」として神事に参加することで、初めて「福男選び」の本当の素晴らしさを知りました。
一番になるに越したことはない。「福男」になれたら、もちろん嬉しい。しかし、そんな勝負を超えた部分に、この神事の本当の魅力が隠されていたのです。 やがて私は、神事を「裏方」として支え、盛り上げ、守っていくことはできないだろうか?と考えるようになりました。 その後、一部参加者で呼びかけ合い、「福男向上委員会(仮)」と銘打って、神社関係者と実際にお会いし、意見交換できる機会を作りました。1月9日には、「福男新報」という新聞を自作し、門前で無料配布する活動を続けていました。活動を本格化させるにつれ、団体名もいつしか「開門神事保存会」となりました。 そして平成21年(2009年)。長年の活動が認められる形で、神社側から正式な公認組織「開門神事講社」の発足を打診され、私は初代講長に就任。開門神事講社は参加者の整理やクジ引き、開門など、神事の大部分の運営を任されています。 報道は過熱する一方ですが、それに伴い、参加者のマナーの低下や、マスコミの強引な取材など、新たな問題も浮上してきています。神事をこれからも続け、素晴らしいものにしていくために、少しでも力添えできれば…と思っています。
平成24年12月27日 |