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若い太陽の塔

愛知県犬山市

このページを訪れて下さった方へ 

 当サイトを訪れて下さりありがとうございます。このページは2008年当時に作成したものです。「若い太陽の塔」は、2010年3月20日〜4月6日に、7年ぶりに一般公開されることが決定しました。

中日新聞記事  「若い太陽の塔」公開へ

 このページが、塔の魅力が伝わる手助けになればと思っています。感想などがあれば、掲示板のほうに書き込んで頂けると嬉しいです。

平成22年2月某日 「遠い目をしていた、あの日の空。」 管理人:平尾 亮



大阪・万博記念公園の「太陽の塔」。岡本太郎の代表作だ。

 芸術家の巨匠・故岡本太郎の代表作といえば、1970年の大阪万博に合わせて製作された「太陽の塔」。あまりにも有名なこの塔は永久保存が決まっており、これから先も“大阪のシンボル”のひとつとして扱われていくに違いない。

 しかし皆さんは“もうひとつの太陽の塔”が存在することをご存知だろうか。1969年…つまり、太陽の塔の1年前に製作された、太陽の塔の“原型”とも言われる作品を…。

 その名も「若い太陽の塔」

 今回はその、知られざる太陽の塔を訪ねる。

 


「日本モンキーパーク」正面入口。あまり儲かってるようには見えない…。

 名古屋中心部から電車で1時間ほど。国宝「犬山城」で有名な愛知県犬山市にある「日本モンキーパーク(旧:犬山ラインパーク)」。サル類の研究施設&動物園に併設されている遊園地だ。目的の塔は、この遊園地のシンボルタワーだというが…。

 平日だからか入園客も少ない。遊園地はどちらかというと、カップルよりも家族連れ向けの、ほのぼのとした雰囲気だ。

 正面ゲートをくぐると、何やら視線を感じた。何だ何だ?私は周囲を見回してみた。

 

 

 


むむっ!あ、あれは!

 

 

 

 

 そこに、私が感じた視線の主が立っていた。

 

 

 

 


「若い太陽の塔」。存在感はバツグンだ。

 


三本の柱の上に、顔つきのボールが乗っている独特のデザインだ。

 これが「若い太陽の塔」。

 想像していたよりも大きい。小高い山の上に立っているためにかなり目立つ。

 その特徴的な顔から、太郎氏の作品であることは一目瞭然である。高さ27メートル、幅は16メートル(川崎市岡本太郎美術館調べ)。現存している太郎氏の彫刻作品としては「太陽の塔(50メートル)」、岡本太郎美術館の「母の塔(30メートル)」に次ぐ大きさだ。これほどの作品が、こんな場所(失礼)に存在していたとは…。

 大阪の「太陽の塔」の1年前に製作され、名前も「若い太陽の塔」…ならば「太陽の塔」を意識して製作されたと考えるのが自然だ。だが、この塔を「太陽の塔」の原型と考えるのは早計かもしれない。

 実は太郎氏の作品の中には、この塔の顔の部分だけの「若い太陽」というものもある。その「若い太陽」は神奈川県逗子市の逗子海岸に建てられている、石原慎太郎氏の小説『太陽の季節』の文学記念碑に取り付けられている。

 


神奈川県の逗子海岸に建立されている『太陽の季節』の文学記念碑。左上に取り付けられているのが「若い太陽」。

 


文学記念碑の台座には太郎氏の名前と「若い太陽」の作品名が。
 ・「若い<太陽の塔>」なのか?
 ・「<若い太陽>の塔」なのか?

 作品名の区切り方によって解釈が違ってくる。そこで、「若い太陽の塔」の英語表記を調べてみた。すると…。

Tower of the Young Sun.
(塔 + 〜の + 若い太陽)

 ということは「<若い太陽>の塔」…という解釈が正しいことになる。つまり、名称からは「太陽の塔」との強い関連性を連想するが、実は直接的な関係は無いというのが正しいようだ。

 しかし個人的な見解として、名前はさておき…

 (1)形状が似ている
 (2)製作時期があまりに近い

 …以上から、同じ人間の作品として全く影響が無かったとは考えにくい。「若い太陽の塔は太陽の塔に何らかの影響をもたらした」と考えてよいのではないか。

 

 大阪の「太陽の塔」については、興味深い話がある。なぜあの塔が「太陽の塔」と名づけられたのか…それには、意外な裏話があったのだ。

 デザインが決まった当初。塔には正式な名前がつけられておらず、仮に「太郎の塔」と呼ばれていた。

 そんな時。大屋根を突き破っているかのような塔の姿を、SF作家の小松左京氏は『太陽の季節』の“障子破り”…障子に陰茎を突き刺す有名なシーンを連想したという。それを聞いた太郎氏は面白がり「太陽の塔」と命名した…。

 この話が本当なら、少なくとも名前については「太陽の塔」と「若い太陽の塔」の関連は全く無いことになる。

 ちょっと待てよ。また出てきた『太陽の季節』という小説を加え、それぞれの作品を関連づけてみる。

「太陽の塔」
『太陽の季節』
「若い太陽」
「若い太陽の塔」

 こう考えると、元々は関連のなかったはずのそれぞれの「点」が、見事な「線」となる。何か運命的なものを感じずにはいられない。

 


塔の下には、展望台へ上がるための螺旋階段が見える。
 

 さて、さっそく「若い太陽の塔」を観察してみる。

 若い太陽の塔は、ただのオブジェではない。一応は「展望塔」なのだ。さすがに塔の顔部分まで上ることは不可能だが、塔の3分の1ぐらいの高さに展望台があるのだ。

 遠くから眺めてみると、塔の下に螺旋階段が見えた。

 さっそく、その下へと向かった。巨大な塔を、真下から見る迫力を想像しながら…。

 


塔へと続く階段への入口は「立入禁止」…。
 …おろ?おろろ?ぐるっと園内を一周しても、塔へと続く道が見つからない。

 ようやくそれらしき階段を見つけたが「立入禁止」。階段そのものも、しばらく使用された痕跡がない。…仕方なく案内所のお姉さんに尋ねてみると、意外な言葉が返ってきた。

 「ずいぶん前に、塔へは行けなくなりました。老朽化で危険になってきたので」

 絶句した。塔はもはやメンテナンスもされておらず、朽ちてゆくのを待つだけの状態だったのだ…。

 


「日本モンキーパーク」の園内マップには、申しわけ無さそうに塔のイラストが。

 園内マップを確認してみると、片隅に塔のイラストは描かれてはいるものの、到達ルートはもちろん、塔の名前すら記載されていない。シンボルタワーであり、巨匠・岡本太郎の作品なのに…この扱いは酷すぎる。ちょっと怒りを感じた。

 今度は、ベテランらしい従業員のオジサンに声をかけてみた。

 「古いものだからねえ。サビついてしまって危険なんだよ。昔はもっと綺麗な色だったけど、すっかり色あせてしまって…」

 …あの塔の“この先”は長くないと思います?と聞くと、オジサンは無言で肯いた。

 

 先の従業員の話によると、塔は日本モンキーパークの所有物とのこと。ということは、もしモンキーパークが閉園なんてことになれば、この塔は即「鉄くず」になるだろう。とても潤っているとは思えないこの施設…、全国の有名遊園地が次々と閉園になっている今、その可能性は充分すぎるほどにある。

 かすかな望みは、太郎氏の作品を管理する「岡本太郎記念現代芸術振興財団」の救いの手だが…近年に海外で発見された太郎氏最大の壁画「明日の神話」の修復にばく大な費用がかかっており、この塔に回す資金など無いだろう…。

 


木々の間から見える塔は、まるで怪獣のようだ。

 

 まさか、塔がこんな扱いを受けているとは…。ショックだった。…何かに似ている。そう、皮肉にも「エキスポタワー」に状況が似ているのだ。「太陽の塔」と対をなす塔でありながら、錆び付き、閉鎖され、放置され、朽ちていった塔。あまりにも皮肉すぎる…。

 


広場の片隅に置かれていた、太郎氏の作品「座ることを拒否する椅子」。

 園内で、興味深いものを見つけた。

 これは…間違いなく太郎氏の作品「座ることを拒否する椅子」である。なぜこんな場所に…。

 もっと大切に扱われてもいいモノだと思うのだが、広場の片隅で、ベンチのそばに“放置”されていた。確認されたのは写真の2つのみ。

 塔といい、椅子といい…この施設は、太郎氏と何らかの関係があったのだろうか?謎は深まるばかりである。

 

 さらに、気になるものを発見。飛行塔(遊具名:フライングツアー)のてっぺんに、何やらどっかで見たようなモノが…。

 


飛行塔の上にあるこの物体は…?

 

 こんなトコロに「若い太陽の塔」の顔にクリソツな物体が!これは、かつて輝きを放っていたシンボルタワーへのリスペクトなのか、はたまた偶然か。…って、偶然だよね…。

 


時代とともに変わりゆく風景。塔だけが取り残されてゆく。

 

 観覧車に乗ってみた。ゴンドラはギシギシと音をたてながら、塔と同じ目線にまで上昇していった。

 塔の眼下に広がる犬山の風景。塔が建てられた当時とは、町並みも大きく変わっただろう。この塔はいつまで、ここに立っていられるのだろうか。

 


塔の完成記念乗車券。

 貴重な資料を入手した。

 塔の建設当時…昭和44年4月、名鉄電車が発行した記念乗車券である。「犬山ラインパーク・シンボルタワー 若い太陽完成記念乗車券」とある。このようなチケットを発行することからも、当時はかなり大きな事業だったことがわかる。

 表面には「若い太陽の塔」のイラストが。写真でないことは残念であるが、建設当初の金色に輝く顔や、柱の鮮やかな色を感じ取ることができる。また、イラストでは展望台が無いことにも注目したい。当初は展望台は無かったのか、もしくはイラストでは省かれたのか。

 そして…チケットの裏側には、この塔の「作者のことば」が記されていた。“作者”とはもちろん…故岡本太郎氏、その人である。

 

作者のことば

ひろびろとした 丘の上に

“若い太陽”が生れる

日に日に新しく生れ変わる

我々の生命の象徴として―

金色に輝く顔は おおらかに

バイタリティを放射する。

赤、青、緑の粧いは、

濃い青春の彩りである。

岡本太郎
現代芸術研究所

 

 今や色あせ、朽ち果てるのを待つ塔。太郎氏の込めた「バイタリティの放射」は、この塔からは、もはや感じ取ることができない。もし太郎氏が今も健在なら、現在の塔の状況を見て、どんな思いを抱くだろうか…。

 

 遊園地の一角に、塔と向かい合うようにして座る像があった。

 「ひとりぼっちで、寂しくないかい?」

 まるで、そんなことを語りかけているようだ。

 


塔と向かい合うように座る像。まるで語りかけているようだ…。

 

 愛知県犬山市に立つ“もうひとつの太陽の塔”。

 それは、悲しい落陽の季節の中で…ひっそりと佇んでいた。

 

 

若い太陽の塔
位置
愛知県犬山市官林26、日本モンキーパーク内

アクセス
名鉄「犬山遊園」下車→モノレール「動物園」下車すぐ。
(モノレールは2008年いっぱいで廃止となります)

備考
老朽化が激しく危険なため、塔の真下へは行けません。
最終更新日時:2008年7月7日

 

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