西宮砲台跡 兵庫県西宮市 |
西宮は、海に面している街だ。 私は初めて西宮砲台を訪れたのは、 本当に偶然だった。 「史跡西宮砲台」 防潮壁に備えられている、小さな階段を昇ると…、目の前に突然、巨大な物体が現れる。 |
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想像していたより、ずっと大きい。 砲門11個と、1つの窓が等間隔に並んでいる以外は、なんの装飾も無い。 明治17年(1884年)の火災で内部は焼けてしまい、残っているのは石郭のみ。昭和49〜50年の補強工事を経て、現在に至る。 |
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建設は文久3年(1863年)。当時、日本は鎖国状態だった。 混沌とした時代。幕末の動乱、そして、異国船=黒船の来航。幕府の勝海舟(かつかいしゅう)は、黒船の来襲に備え、 各地に砲台を建設した。西宮砲台も、その一つだ。 日本中から腕のいい職人を集め、莫大な費用と、4年という月日を費やして完成させたが…、試しに大砲を撃ってみると、煙が砲台内部に充満し、使い物にならんかった・・・という、 なんともお粗末な代物。 「税金の無駄使い」は、江戸時代にも存在してたんやねえ。 |
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西宮砲台全景。本体が白塗りであることが、その不気味さを引き立てる。 西宮砲台全景。本体が白塗りであることが、その不気味さを引き立てる。 |
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西宮砲台は、まさに日本の命運をかけ、必死に作りあげたものの、結局は何の役にも立たなかった。 それは、現代の人達にとってはただの笑い話にしかならない。 しかし、当時の人達は、この日本を愛し、必死に守り抜こうとしていた。この砲台は、その人達の思いが、形になって残っているものだ。 かつては汚点とされていながら、時代の流れと共に、世論の評価が高まって行ったものもある。砲台と同じ時代を生きた、新選組がいい例だ。
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西宮砲台完成のわずか5年後、…明治維新。
西宮砲台跡
西宮市西波止町西波止
アクセス:阪神電車 西宮下車 阪神バス「西波止町」 下車西南へ徒歩3分