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1999年
12月23日〜12月31日

12月23日  和太鼓発表会
12月23日 この日は、私にとって忘れられない一日だった。
京都の大学には「単位互換制度」があり、 事前に申し込めば、
自分が在籍している以外の大学でも講義を受けることができるのだ。
私はその制度を利用し、某大学で「和太鼓」の講義を受けていた。
この日は、その講義を指導してくれていた、先生の和太鼓チームの発表会。
そしてその発表会のプログラムの一部として、
「和太鼓」受講生達が、一曲演奏することになっていたのだ。
一年間やってきた和太鼓を、たくさんの人たちの前で演奏する・・・。
みんな、ものすごく緊張していた。

でも、本番は大成功!!! 演奏終了後、舞台裏で仲間同士、手を取り合って喜んだ。
あの時、私は全ての力を使って、体を躍動させ、目一杯に太鼓を叩いた。

事故に遭う、わずか二日前のことである。
12月24日〜25日  クリスマス会、そして事故  
京都で、和太鼓の講義で知り合った友人達とクリスマス会。
みんなで鍋を囲み、先日の舞台の話などで盛り上がる。
しかしながら・・・私は、最後まで参加することが出来ないのだ。
大学入学時から続けてきた新聞配達のアルバイトの為、
尼崎市の自宅まで帰らねばならない。
バイクで帰宅する予定なので、お酒も飲めない。
しかし、気の合う仲間たちに囲まれて、充実した時間を過ごすことが出来た。

宴もたけなわであったが、そろそろ出発しなければならない時間になる。
友人たちに別れを告げ、バイクで出発した。


その日付が変わる。 12月25日。

京都南I.Cで名神高速自動車道に入る。
順調に走っていたが、天王山トンネル出口付近で転倒してしまう。
転倒時の状況のことはだいたいのことは解っているが、
私以外にも色んなことがからんでくるので、 ここで詳しい状況説明はしないでおく。
でも、考えて欲しい。
普通の道で転んだのではない。高速道路でぶっ転んだのだ。
それも深夜の高速道路、スピードもそれなりに出ていた。
どんな状況か、ある程度は想像できると思う。

私の体は中に投げ出され、道路に叩き付けられた。
余りに痛くて起き上がれない。意識はあった。
今、道路の上で倒れている・・・とすると・・・・早く逃げなければ!!!
解っていても、体が言う事を聞かない。
そこに・・・・「ガンッ!!」という大きな衝撃が私を襲った!!!
直感で「あっ轢かれた!!」と思ったのを覚えている。

・・・・・・。

気が付くと、高速道路の路肩に寝ていた。
私は、どうなったのだろう・・・。 どうやら、生きてはいるようだが・・・。
何とかしてヘルメットを取ったものの、痛みをこらえるのに必死だった。
特に・・・・右足の痛みが酷い。 折れているのだろうか?
手を右足に伸ばした・・・・はずなのに、右足に触れない。
いつもはそこにあるはずの・・・右足に触れることが出来ないのだ!!
おかしい。痛みさえ忘れ、体をよじるように恐る恐る見てみると・・・、
なんとそこには、右足がなかった。
ズボンの脛のあたりをまさぐってみると、
右手のグローブ越しに、何とも言えない感触が伝わってきた・・・。
この時、初めて、自分の足がどのような状況を理解した。
半狂乱の状態で「右足がないー!!!」と叫んだことを覚えている。

やがて到着した救急車に載せられ、運ばれていく。
ずっと意識はあったのだが、あまりの痛さと恐怖でよく覚えていない。
救急隊員の方に、ずっと
「右足は・・・右足はどうなるんですか!」
と、大声で聞いていたことと、
「とにかく早くなんとかしてくれ〜」
と言い続けていたことだけ、かすかに覚えている。
とても長い間、救急車に載せられていたような気がする。
あの時はまさに悪夢を見ているようだった。



生々しい表現になってしまったが、これが「交通事故」の現実だ。
特にバイクに乗っている人には、交通安全を祈らずにはいられない。
12月26日  現実との対面

気が付くと病院のベッドの上だった。
点滴・輸血・体中に包帯・ギブス。全身が痛い。
しかし私は生きているらしい。
どれぐらい気を失っていたのだろうか?見当もつかない。
右足は大きな鉄の棒のようなもので固定されていた。
そのことを私は不思議に思った。
鉄の棒が不思議だったのでは無く、「右足がある」ことが不思議だった。

やがて主治医の先生から様々なことについて説明を受けた。
この病院は京都市のはずれに位置する病院であること。
手術は7時間以上の大手術で、命すら危うかったこと。
右足は原型を留めていなかった程の複雑骨折であること。
そして・・・今は右足はなんとか接合されているが、
この先の状況次第では切断も有り得るということ。
また・・・その可能性が高いこと。
更に、もし順調に回復したとしても、以前のようには走れないだろうこと・・・。

ここで、私は初めてなぜあれほど長い間救急車で運ばれていたのかを知った。
右足の状態が余りにも酷かったため、近場の救急病院に運ばれていたら、
私の右足は確実に切断されていただろう。
救急隊員の方がそれを防ぐために、
接合手術の設備・人材ともに揃っていたこの病院まで運んでくれたのである。
説明を受けて、私は救急隊員の方に、
主治医を始めとする病院の方々に、生きていることへの幸運にと、
様々なことへの感謝を捧げなければいけないのだが・・・、
この時は余りのショックと混乱にそれどころではなかった。


事故の連絡を受けた友人が次々に見舞いに来てくれた。
事故の数時間前まで、一緒に過ごしていた友人達だ。
皆、病室に入ってきたときは、余りにも酷いこの怪我に言葉を失っていた。
しかし事故の様子を知るにつれ、
「生きてるだけでも幸運やで」と皆は口々に励ましてくれた。
たくさんの友人たちの励ましに少し元気が出た。
しかし同時に、 これは悪い夢ではなく、
紛れも無い現実なのだということを改めて知らされることになる。

これから、多くのことと闘っていかねばならないのだ・・・。

12月31日  緊急手術、・・・年越し
左足には特に大きなケガは無いと思われていたが、
左足の指の骨がかなりズレていること判明。 緊急手術となる。

大晦日の夜。テレビもつけずに静かに過ごす。
朝の手術の麻酔がまだ残っているようだ。
例年、大晦日は中学からの友人と初詣に行くことになっていた。
去年の今ごろは、確か・・・京都・八坂神社に行く途中だったなあ。
今年も同じメンバーで行く予定だったのだが、
不本意にもベッドの上で年を越すことになった。
あいつら、今ごろはどうしてるかな。


1999年は、私にとって何だったんだろう。
そんなことを考えながら、眠りについた。
年が、暮れてゆく。