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自作新聞
「福男新報」

私は、毎年福男選びに参加する時、自作の新聞を作って行き、参加者に無料配布する。これが意外にもなかなか好評だったりする。平成13年からは門横で待っている時に張り紙を出し、希望者には誰にでも差し上げている。

ここではその幻の新聞「福男新報」を公開いたします。字が汚いのは、カンベンしてくださいませ。

※補足
初期の新聞の名前が違うのは、初めは私が通っていた大学の友人向けに製作していたため。「福男新報」になったのは平成13年度からです。

抜けが多いですが補完していきます!

新聞をクリックすると大きな画像が出ます

令和4年(2022年)号外

令和4年(2022年)版
第25号
 福男選びは2年連続の中止。それでも前を向いていかねばならない。

 この年は実験的な試みとして、参加者列の最前に「ユニバーサルエリア」を設置。とはいえ大人の事情で大々的に告知することができず、表に出たのはこの新聞だけであった。そのこともあり、手に取ったメディアからの問い合わせもあった。

 また小ネタとして、重要文化財である大練塀の修復完了の話題も。

  令和3年(2021年)号外

令和3年(2021年)版
第24号
 「その福で、悪夢(コロナ)を断ち斬れ」。
  大ヒットしたアニメに“乗っかった感”があるが、まぁ手に取ってくれた方が喜んでくれたらいいなぁ…と振り切った。

 54年ぶりに中止となった福男選び。落胆の声も聞こえてくるが、それは決して無駄なものじゃない。未来につながる神事であることを伝える内容にした。

 夏に改修が終了した赤門、東北からのメッセージカード、本来は参加者に着用してもらうために制作した特製マスクの話題など。

令和2年(2020年)釜石版
  令和2年(2020年)女川版
令和2年(2020年)版
第23号
平成31年(2019年)号外

平成31年(2019年)女川版
女川復幸男特別号
 釜石韋駄天競走特別号に続いてカラーになった。女川の人たちの“熱さ”が伝わるようにと思いを込めて制作。

 この年、本家・福男選びで二番福となり、注目を集めている芸人・伊丹さんからのエールのほか、復幸祭当日に興行がある全日本プロレス・ゼウス選手のインタビューも掲載。あるツテで連絡を取ったのだが、趣旨を説明すると二つ返事で快諾。撮影にも笑顔で応じてくれた。

 参加者の方々にも好評で、喜んでもらえたのが何よりだった。

平成31年(2019年)釜石版
平成31年(2019年)版
第22号
平成30年(2018年)号外
平成30年(2018年)版
第21号
平成29年(2017年)女川版
平成29年(2017年)釜石版
平成29年(2017年)版
第20号
  平成28年(2016年)女川版
平成28年(2016年)釜石版
平成28年(2016年)版
第19号
 

平成27年(2015年)女川版

平成27年(2015年)釜石版

平成27年(2015年)版
第18号
 昨年にお手伝いに赴いた宮城県女川町の「復幸男」で出会ったのは、第一回・第二回と連覇を果たした“ミスター復幸男”鈴木大さん。この年の福男選びに鈴木さんを正式な協力者として招き、神事の運営を手伝ってもらうことになった。

 伝統の福男選びと、命を守るために福男選びを参考に生まれた復幸男。その2つが力を合わせることの意義が、何も知らない参拝客にも伝わるようにと書いた。

 またこの年に新発売されたチャリティーグッズ「こけし人形」も紹介した。

平成26年(2014年)女川版
初の特別号
 宮城県女川町で行われた「福男選び」をモチーフにしたイベント「復幸男選び」をサポートすることになり、現地へ“本家”と
同じものをもっていきたい…と製作。現地で参加者と関係者に配られた。

 メイン記事は、これまで震災後に神事で配布してきた黄色い手袋について。西宮と女川をつなぐシンボルになるように思いを込めた。また、この年の福男からのメッセージも顔写真入りで入れるなど、できるだけ神事を身近に感じてもらえるようにした。

 とりあえず、皆さんに喜んでもらえたのが一番。また機会があれば特別版を作りたい。

平成26年(2014年)版
第17号
 スタンダードにコース紹介、開門フォーメーションなどを。

 前回の神事後、一番福がツイッターのフォロワー拡大という形で「福」を広めたと聞き、福男の形も時代とともに変わっていく…そんな内容。

 また、この年から発売になった新チャリティーグッズ「福男法被こけし人形」の紹介も。ぶっちゃけ売上自体は少なかったものの、手に取ってもらった参拝客からはおおむね好評だった。

 配布数は3000ほど。今後はヘタに部数を増やすよりも、しっかりと配布できる数を発行しようと思っている。

平成25年(2013年)版
第16号
 前回までの構成を踏襲しながら書き上げた。イラストは結構書き込んだので、参拝客はどれが誰なのか楽しみながら見てもらえたようだ。

 今回の記事の中心は、昨年に続いて行った、参加者に配布する「黄色い手袋」。ただ身につけて走ってもらうだけじゃ思いは届かない。しっかりと走る人、見る人にその意味を伝えたかった。また、新たに加わったグッズ「福男手ぬぐい」の紹介も下部に。

 配布数は前回と同じ5000。少なくとも今後、これ以上は増やすことはないだろう。これまで年によって発行部数はアバウトだったが、これからはハッキリと「限定5000部」としようかな。

平成24年(2012年)版
第15号
 晴れて、正真正銘の「15周年」となった。配布場所はこれまで赤門前だったのだが、この年からチャリティーグッズ(『一番福』ストラップ)を販売する関係で、赤門入って左側に移動した。

 内容は、開門神事講社の講長として「東日本大震災後初の開門神事の意味」について書かせてもらった。日本が困難にブチ当たっている中で、私たちにできることはないか。使命感の中で一気に書き上げた。

 配布数は5000部。当初から用意していた枚数で、増刷はしなかった。正直、チャリティーグッズ販売と、そのあとのスケジュールを考えると、この部数がギリギリのライン。これまで部数を増やしてきたが、恐らく次からは印刷数を減らす方向になっていくのではないか。

平成23年(2011年)版
第14号
 タイトル部の不自然な「15年目!」の表現は、当初「15周年」と書いたが違うことに気づいたため。

 かつては趣味の範囲を出なかった新聞作りだが、私が開門神事講社の講長になったことで、福男新報は「広報紙」的な意味合いが強くなった。オチャラケ過ぎてはいけないし、堅苦しい情報ばかりでは一般参拝者は読まない。バランスが難しい。

 もらってくれる方は増え、増刷を重ねた。正確な部数は分からないが、もしかしたら6000部を超えたのでは。過去最高だったのは間違いない。

平成22年(2010年)版
第13号
 読みやすさ第一な感じでまとめてみた。遊び心を忘れない中にも、ちゃんと参加者に伝えなければならない部分は押さえた。

 某テレビ局の方のブログでも「こんなのもらいました」と紹介されていたのだが、右上の文字が修正されていた。いわゆる“大人の事情”というやつである。うむむ。

 この年はなぜか福男新報が大ブレイク。刷っても刷ってもすぐに無くなるという状態で、合計約5000枚をほぼ配りきった。素直に嬉しいです。わーい。

平成21年(2009年)版
第12号
 一度やってみたかった!コース解説を中央に大胆に配置。記事の切り貼りに苦労したが、見栄えはとても良くなったと自画自賛。

 今回も記事の中に前年の流行語を混ぜ、イラストには“時の人”を描いた。手に取ってくれた人が屋台でビールを飲みながら「これってアノ人ちゃう?」なんて話題にしてくらたら嬉しい。

 日程が週末と重なったこともあり「十日えびす」はスゴイ人。この新聞も当初用意していた2000枚はすぐに消え、増刷した2000枚もほぼ無くなった。合計4000枚…ちょっとスゴイ。

平成20年(2008年)版
第11号
 コース解説を少し小さめに、視覚的な楽しさと情報量のバランスを考えて作った。

 今回はちょっと“いちびって”みた。福男にハッピが贈呈されることになったのを、その年に流行した「××王子」にかけて「ハッピ王子」としたり、イラストの参加者に前年に活躍した著名人を混ぜるなど、前年の出来事を絡めての構成になっている。

 当初は2000枚用意していたが足りず、追加で1000枚刷ったが完全に無くなった。今年も「字がヘタすぎ」の声が絶えなかったのは、もはや勲章?

平成19年(2007年)版
第10号
 当初は完全“遊び”で製作していたこの新聞も、ひとつの区切りといえる10号を迎えた。

 今までのものより、パソコンで製作した見出しを多用するなど、パッと目を引くように工夫してみた。それでも基本は「手書き」。毎回色んな意見を頂くが、この基本スタンスは貫いて行こうと思う。

 配布数は約1500枚。ここ数年は右肩上がりだったが、この年は前年の半分ほどだった。しかし宵えびすが平日だったこともあり、参拝客が少なかったことを考えれば上々。手にとってくれたお客さんに感謝である。

平成18年(2006年)版
第9号
 昨年のものをベースに、情報量をUPさせた。福男新報のひとつの完成形、といえるかもしれない。

 参加者の増加により、昨年から導入された「くじ引き」制度。ぶっちゃけ、こんなものは無かったほうがいい。だがそうせざるを得ない現状。その理解を求めるととともに、変わっていく神事への警鐘を鳴らす意味で、少し辛口な記事を書いた。

 約3000枚ほど用意していたものが、ほぼ全て配りきってしまうほど、多くの人が手に取ってくれた。この稚拙な新聞が、神事への理解を少しでも広げてくれれば…と思う。

平成17年(2005年)版
第8号
 昨年好評だったコース紹介を、少しコンパクトにする形で残した。

 昨年は福男選びで騒動があり、不名誉な形で注目されてしまっていた。そこで参加者に対し、神事参加への意義を呼びかける文章も載せた。
 またこの年、参加者の増加に対応するために新スタート方法が導入されたので、それを解説。神社側からのルール通達という意味でも活躍した。

 発行部数は、なんと約2000枚。この年の神事への関心の高さが伺えた。

平成16年(2004年)
第7号
 昨年までは簡単だった「コース紹介」をグレードアップし、要所の名称&攻略法を書いた。これが好評で、ワイドショーなどではこれをそのまま使った報道もされたりして驚いた。

 また、常連だけではなく、多くの新規参加者が押し寄せていることから、この年のキーワードを「NEW-GENERATION(ニュー・ジェネレーション=新世代)として紹介した。

 総発行部数は1000枚。年々、もらってくれる人が増えていることに、神事の注目度の上昇を感じている。

平成15年(2003年)
第6号
 好評だった昨年のものをベースに製作。事前に某新聞で「福男新報」の名前が出たこともあり、多くの人がもらってくれた。その際に「この前、新聞に出てた人やろ」と声をかけてくれた方もいて、とても嬉しかった。

 だいたい450部ほど配ったと思う。

 今回は一号からずっと続けてきた「福男有力候補者紹介」を無くし、福男の新時代の幕開けと、参加を呼びかける記事に差し替えた。

 福男後の報道では「過去の一番福不在!」と伝えるメディアもあり、この新聞が結構、マスコミの役に立ったようである。

平成14年(2002年)
第5号
 久々に縦書きにしてみた。このほうが「新聞」っぽい。
 門の横で積極的に参拝客に配ったこともあり、発行部数は過去最高。300部以上は配ったと思う。
また新たな試みとして、新聞に私のHPのURLを載せのだが、福男終了後、コレを見て訪れて下さった方も沢山いた。

 今まで遊び半分で書いてきた新聞だが、多くの反響にとても驚いた。

平成13年(2001年)
第4号
 名前が「福男新報」に変わり、内容も大幅に変更された。今までは、私の福男への思いが中心だったが、この号から万人へ「福男選び」の魅力を広めることに重点を置く内容になっている。

 この号から、参加者以外の人にも配布された。

<欠番>
平成12年(2000年)版
当時私が入院中だったため欠番です。

平成11年(1999年)
第3号
 この前年、私は大学を編入学して所属が変わったので、新聞名も変更されている。
いかに、私が福男に賭けていたかが解る。

 ちなみにこの年に、私はゴール前で転倒したのだ。

平成10年(1998年)
第2号
 この号から横置きに。左側は「福男選び」の概要、右側は有力選手の紹介となっている。
「福男新報」の基本形を、この号で確立した。

 前回二番福だった悔しさをバネに、思いっきり一番福奪取に燃えていたのがうかがえる。

平成9年(1997年)
記念すべき第1号
 縦置きにして書いているが、ちょっとゴチャゴチャしている気もしないでもない。
 このあと数号は横置きになったのは、(横置きだと)紙の中心で紙面を分断できるので、記事をまとめ易かったからだと思われる。
 「チム」とは、当時私を福男選びに誘った友人で、善斉さんの高校の後輩でもある。

 当時は福男を面白おかしく紹介することを目的としていた。

平成28年(2016年)版

 

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