▲TOPページへ

その3

クジを引くための“資格”とは


◆クジを引くには基準がある

 「参加しよう!」のコーナーでも触れている通り、福男選びは「誰でも参加可能な」神事である。(「福男選び」という名だが)もちろん女性もOKであるし、子どもさんやお年寄り、さらには車椅子の使用者などハンディを抱えている人だって参加できる。

 ただし“誰でも”という言葉は、あくまで普通に参加…福男になることを狙わず、後ろのブロックから「安全面の徹底」を厳守した上で開門神事に参加する、ということに限定されている。

2007年には、850人もの参加者がクジを引いた

 最前ブロックに入るための事前のクジ引きに参加するには、いくつかの条件がある。

奇抜な服装ではダメ
走りやすい服装、履物であること
激しい走り参りに耐えられること(こども、お年寄りはダメ)

 それぞれ明確な基準がないため、どんな服装が奇抜なのか、どの年齢までがこども、どの年齢以上がお年寄りなのか…という疑問もあるが、それは常識的な範囲内で、係の者の判断基準に委ねられることになる。

 だが私はこの3つ以外にももうひとつ、クジを引くために大切な条件があると思う。それは全ての条件の中で、最も重要なものであると思っている。それは…。

本気で「福男(または福女)」を目指す強い意思があること

 これが無ければ、クジを引く資格はない、と断言しよう。だが、それが守られていないのが現状だ。具体的な例を挙げてみよう。次の2例とも、過去のクジ引きで実際にあった出来事である。

その1・何となく面白そうだから引いてみた

 クジ引きで当選した男性がいた。しかしその男性は、当選してからこんなことを言い出した。「えっ、これって走るやつなん?」。テレビカメラが回っている中でクジ引きが行われると知り、それが何であるかさえ理解しないままカップルで並んでいたのだ。結局、彼は当たりクジを引いたにも関わらず、開門時に門前には来なかった。

その2・「おみくじ」感覚で引いてみた

 残念ながらこれ、女性に多い。走る気は全くないのに、とりあえず引いてみた、という人。当選したら「わー、当たったー!」と大ハシャギ。しかしその後、他の外れた男性の参加者に「私の代わりに走って」と持ちかけていた。2007年は女性ばかり3人が、当たったにも関わらず権利を放棄し、他の男性参加者に権利を譲渡したことが確認されている。

  だが救いは、その持ち掛けられた男性参加者はちゃんとそれを報告し「当たりクジの譲渡禁止」を守ってくれたことであった。彼らの行為は当たり前のことであるかも知れないが、この場を借りてお礼を言いたい。本当にありがとう。また誤解の無いように付け加えると、クジを引いている大多数の女性はもちろん、真剣に参加しようと思っているはずである。

女性の参加者増加は嬉しいことなのだが…

◆真剣な参加者のチャンスを奪うな

 要は、クジ引きを引く者の中に「ハナから走る気が無い」人間がまぎれ込んでいるのだ。メディアでの取り上げられ方も関係しているだろうが、それは年々、増えているのは確かなようだ。

 クジ引きは毎年、数百人という多数の参加者で行われる。当たりクジはわずか108。今まで「一年間、この日のためにトレーニングを続けてきた」という参加者が、クジ引きで外れて涙する姿を何度も見てきた。残念ではあるが、それは現在のシステムでは仕方が無いことである。だが!それは“真剣な参加者だけのクジ引きの結果”でなければ理不尽だ。実際に走る気もない、その場のノリだけで引いてみる…しかも、当選したのに現地に現れない。そのせいで、どこかで別の参加者のチャンスを奪っている。その行為は今まで真剣に「福男選び」を見てきた者にとって、到底許しがたい。

 あまり認識が薄いかも知れないが、それはメディアも同じこと。毎年、番組の企画でクジを引くメディア関係者が何人もいる。神事の様子を最前ブロックから撮影したい、はたまた番組のリポーターも挑戦!といった感じである。クジを引くことはもちろんOKであるが、それならちゃんとした知識を身につけ、それなりの準備をしてから来てくれ、と言いたい。…もちろん今まで、テレビ・新聞の企画ながら真剣に参加し、神事の素晴らしさを伝えてくれた方々も多々いたことを付け加えておく。

 クジ引きに参加するなら、それなりの覚悟を持つこと。1本の当たりクジの裏には、何人もの参加者の涙があることを忘れないで欲しい。覚悟もない、自分だけ楽しければいい、とりあえず引いてみよか…そんな人間は、初めからクジを引くな。ぶっちゃけ、迷惑である。