その1 |
「写真判定導入」報道の裏側 |
◆「転ばぬ先の杖」のはずが… 平成18年(2006年)12月のある日。私はパソコンを何気なくパソコンを開いて驚いた。思いもかけないニュースが、かなり大きな扱いで配信されていたのだ。 『「福男選び」で写真照合導入へ』
◆マイナスイメージのコメント ところがある新聞社の記者が、西宮神社の関係者からこのことを知り、冒頭の記事を出したのだ。正直、我々「開門神事保存会」も、写真撮影に関して認識が甘かったのは認めざるを得ない。だが…それ以上にこの記事には、神事に対する“悪意”があったのではないか、と思う。それを裏付けるのが添えられているコメント。大阪の今宮戎神社に関わっている人間からコメントを取っているのだ。 ハァ?こういう時って、その方面に詳しい人に聞くものじゃないの?開門神事とは全く関係ない人間じゃないか。しかも今宮戎といえば、えびす神社の中で最も有名で、本社・西宮神社の“ライバル”ともいえる神社。そこに関わっている人間からコメントを取れば、マイナスイメージの言葉が出てくるのは明白である。 そして当然ながらそのコメントも“識者の見解”とはかけ離れた…関門神事、さらにはその参加者をバカにするようなものであった。 「この過熱ぶりは人を出し抜いてでも一番に、という時代の風潮。苦肉の策やね」 この記事を目にしたスポーツ新聞社が1社、夕刊紙が1社、同じように記事を出した。どちらも見出しは「写真照合」ではなく「写真判定」になっていた。「照合」と「判定」。微妙なニュアンスだが、「判定」という言葉になったことで、念のため…というニュアンスは消え、内容も“ここまでする必要が出てきた”的なものになってしまった。 結果的に、話だけが大きくなってしまい、我々は検討していた「写真照合」を見送ることになった。小さな話も書き方によっては簡単に大きくされてしまう。今も「福男選び」の報道の際、平成16年度のことを持ち出すメディアも多い。あの「福男騒動」は、まだまだ尾を引いているのだ…と実感した出来事であった。 |