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 醍醐味と引き換えの“時間差スタート”

 

 

  2005年福男選びでは、参加者を数ブロックに分割することになっている。

 門に一番近いAブロックに100人、その後ろのBブロックに200人、さらにその後ろに無制限のCブロック。

 開門時、まずAブロックがスタートする。しかしB、Cブロックはまだスタートできない。安全確認ののち、ワンテンポ遅れてのスタートとなる。つまり、Aブロックに入らないと、まず福男にはなれないということだ。午前0時の閉門時、集まっている参加者が100人を超えていたら、AかB、どちらのブロックに入るかはくじ引きになると思われる。つまり、一番福への思いは満々なのに、走る前から権利を失ってしまう人が出てくる。こればかりは、「くじ運も福男への資格のひとつ」と考えなければならないだろう。

 私は順位うんぬんより、懸念するのは「神事としての魅力の半減」だ。今まで色んなところで書いたように、「開門と同時に、みんなが一斉に同じ場所を目指す」という迫力が、開門神事の魅力であった。だが、このようなブロック分けでは、「みんなが一斉に」ではなくなる…。

 しかし、こればかりはどうすることもできない。神社側の思惑、参加者側の理想を超えた、大きな力がかかったからである。

 数年前の、明石の歩道橋事故。花火大会を見ようと歩道橋に人が殺到、数人の命を失った。この事故で、警察が警備を怠ったと、重い責任を問われている。
 このことがあり、警察側は、同じような事故が起こらぬよう、とても神経質になっている。

 狭い場所に人が多く集まり、押し合いになる…、規模は違えど、福男選びのスタート直前は、明石の事故状況と似ている。今の警察がこれを見逃すはずはない。2005年の開門神事の警備計画には、警察の指導が深く取り入れられている。

 神事としての醍醐味、それが薄れてしまうのはとても残念だ。しかし、よく似た状況で実際に、尊い命が失われている。何より安全が第一。我々はその安全策に従い、その中で神事に参加していくべきだ。もしそれがイヤだというのなら、この神事への参加を控えてもらうしかない。

 もはや開門神事は、いつ重大事故が起こってもおかしくない、そんな巨大なものになっていることを、まず理解して欲しい。