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“悪意”ある記事・マスコミの罪

 

 かねてから何度も当HPで言及しているように、福男選びは「マスコミによって成長してきた祭り」である。かつては西宮市の、ごくごく限られた地域での祭りだった福男選びは、そのドラマ性・勝負性により、数年前からマスコミで大々的に紹介されるようになった。
  しかし2004年度の福男選びでは、その本質とはまったく別の観点から、マスコミがこぞってこの祭りを取り上げた。一部参加者による「妨害行為」である。


 2004年1月10日、西宮神社で毎年恒例の「福男選び」が行われた。有名になったとはいえ、新聞各社の扱いはまちまち。その日の夕刊に「速報」として取り上げる社もあれば、次の日の地方版で扱ったり、関西ではもっとも有名な「今宮戎(大阪)」の記事のオマケ的な感じで扱うところもある。

ただ、この年は少し勝手が違っていた。

神事終了後、だいたいパターンとして地方版(番組の間に入る5分ぐらいの)「お昼のニュース」で、数十秒で紹介される。
昼のうちに流された「福男選び」のニュース映像は、恐らく数えるほどだっただろう。だがその映像に、見事に「妨害行為」の場面が映っていた。
知識の無い人が見れば「あれっ?」ぐらいのレベルだろう。だが、気づく人は気づいた。そして行動派の人が、西宮神社に問い合わせの電話をしたりした。

ここまでは、本当に「気づく人は気づいた」のレベルの話であった。

だがこの日の夕方、ある新聞によって事態は急変する。

「<西宮神社>えべっさん苦笑い「一番福」仲間がアシスト!?」

 えべっさん総本社、兵庫県西宮市の西宮神社で行われた恒例行事「福男選び」で、トップで本殿に駆け込み「一番福」に認定された大阪市消防局の消防士(22)を助け、他の参加者を妨害した仲間がいるとして、十日、市消防局に抗議の電話が相次いだ。
(中略)
 大阪市消防局によると、この日夜、ニュースで見たという市民から(中略)電話が五件あった。また、消防士が住む市の消防本部にも、同様の抗議電話が十件以上、寄せられたという。
(中略)
 消防士は「確かに仲間らと一緒に走ったが、妨害行為は一切ない。ねたみの声があるのでしょう」としている。
 福男に関する著作があり、毎年参加している西宮市の高校教諭は「(妨害行為は)よくあること。周りに『今年のブロックはすごかった』との声もあったが、福男選びは陸上競技ではない。チームプレーで勝つのもありだ」と話している。

 

 この記事で、状況が一変する。
マスコミ各社はこぞって「福男選び妨害疑惑」を大々的に取り上げ初め、TVニュースでは「検証映像」を繰り返し流す。「一番福」の青年は当初は英雄扱いだったが、それを機に写真・映像では顔にモザイク。まるで犯罪者扱いである。
 騒動はこのあと広がり続け、ついに共同通信が「福男選びで抗議続出」の記事を配信した。これにより、一般の社会記事をほとんど扱わないスポーツ紙や、「福男選び」自体を全く扱ったことのない地方紙までもがニュース配信。大騒動となる。
 この騒動は、数日後に渦中の青年が「一番福返上」という、前代未門の事態を引き起こすまで終わることは無かった。


 この「2004年福男騒動」、原因は青年にあったのは確かだ。だが、このような大騒動まで発展した引き金は、間違い無くこの新聞記事にあった。

 私はこの記事は、マスコミが「このことで大騒ぎにしてやろう」という、悪意とも取れる思惑が込められた記事だと確信している。


1.「苦情が殺到」
 記事内容では、確実にかかってきた抗議電話は5件。市の消防局へは「10件以上」、極端な話、10件でも1000件でも「10件以上」、実際はどのぐらいの電話があったかわからないが、どのぐらいで「殺到」になるかの線引きは難しいが、1日で、別々の場所に5件と10件の電話を、「殺到」と解釈するのは過大解釈ではなかろうか。


2.青年たちを「悪者」へと導く記事内容
 特に酷いのは「ねたみがあるのでしょう」のコメントの掲載。これは確信犯だ。のちに彼は、実際にこの発言をしたことを認めている。だがそれはあくまで、実際に参加して、福男になれなかった人たちに対するものであった。だがこの扱い方では、「福男選び」に参加していない、苦情を言ってきた一般の人への発言になってしまう。
その人たちに向かって「ねたみがある」はまずい。この言葉で納得する人など居るわけがない。
さらに見出しから、妨害行為はあったものだというニュアンスを受ける。さらに写真にはボカシ入り。ここまでやったら彼らは「犯罪者」である。


3.福男選び良く知る「教諭」のコメント
 これが最悪である。「情報操作」とは、こういう時に使うのだろう。私はこのコメントを寄せた人を知っている。「福男選び」を通して知りあった人の中では、最も深い着き合いがある一人である。彼は何年もこの神事に関わってきて、この神事を愛してやまない人間だ。そして実際、今回の「福男選び」を終えた直後、えげつない妨害について怒りをあらわにしていた。その彼が果たして、妨害行為について、
「こういうのもありだ」
こんなコメントを出すだろうか。信じられない。私はこの記事を目にしてすぐ、彼に連絡を取った。
案の定である。彼は困惑していた。そんなことを言った覚えは無いと。彼がコメントを求められた時、答えたコメントは次のようなものだったという。

「長い福男選びの歴史の中で、妨害行為はあった。
 なので、妨害行為自体は責められない。
 だが個人的には、そういうものを認めるつもりは無い」

彼は私なんかより、ずっと福男選びに詳しい。その歴史を調べ、何十年も前の「一番福」を訪ねていったり、参加と同時に「学問研究」の対象にしている。それがあるだけに、先のように答えたのだろう。
だが新聞社はこのコメントを、まるでコメントを出した本人が「妨害OK」というコメントを出したことになっている。

さらに、絶対に許せないのはここから。
このコメントに対し、世間が猛反発、彼自身に対し「あんな妨害を認めるのか」と非難が集中した。とんでもないトバッチリである。
彼は当然、新聞社に抗議の電話をかけた。自分の名誉を守るため、発言が間違っていたことを主張したい、と。
だが、なんと新聞社の回答はこうだったのだ。

「新聞社としての信頼が疑われる。内容が真実が違う、というのはやめて欲しい」

実際に、記事によって不利益をこうむった人間に言う言葉か。そしてさらに、電話口でこんなことまで言いだした。

「ここまで騒動になったのは、あなたのせいでもあります。
 なので現在にように大騒ぎになったことについて、コメントをお願いします」

…ここま来ると呆れてしまう。事実と違う記事を載せて世間を煽ったばかりか、それによって被害を受けた人間に対してこの発言である。

 新聞を含めたマスコミは、原則的に「真実」を配信しなければならない。2004年度の福男選び騒動において、一部の参加者が「妨害行為」を行ったのは事実かもしれない。だが、その騒動を大きくしてやろうと、端々に見えた真実のねじ曲げ。

4.決定的となったテレビ報道
 この記事が出た夕方、記事掲載と同じ系列の番組で「福男選び」の特集が組まれていた。その時すでに大騒ぎになっていたので、参加者のひとりが、取材記者に電話をかけた。その答えは「放送前に内容を漏らすことはできない。我々は“本当のこと”を伝えるだけ」だったそうだ。
 そしてその番組の中で、スタート時に「容赦無用のブロック作戦!」と、映像を止め、印までつけて「妨害行為」をしっかりと映し出した。まだ、渦中の青年が「妨害は無かった」という姿勢を取っていた時である。
 これで、騒動は収まりがつかなくなった。「彼らはウソを言っている」ということをババンと出されたのだから当然である。

 ちょっとおかしくないか?
「妨害行為があったかも」と「本人は否定」という二つの相反するコトがあれば、その次に続くのは「検証」でなければならない。だがこのテレビ報道は、いきなり「結論」が来ている。ここにも、マスコミの悪意が臭ってくる。

 今まで、神社側は「取材ならいくらでもどうぞ」という姿勢を取っていた。テレビのどんな企画にもOKを出してきた。しかし、もうその考えではダメだ。

 2005年度より、神社側も、報道にある程度の規制を引きはじめたようだ。マスコミによって発展してきた「福男選び」。しかし今は、マスコミから「神事を守る」ことも考慮しなければならないだろう。