「私は、臓器提供カードの裏に全部丸つけて、
自分の臓器を提供します、って言ってる若者達を信用しない。
だって彼らは、自分たちが死ぬなんてこと、これっぽっちも考えたコトないんだから」
何故だろう、この言葉が忘れられない。
言葉の主は、激しい実況で有名な、古館伊知郎氏である。
彼は毎年、年末に「トーキングブルース」という独演会を開き、
その内容が、各方面から絶賛を浴びている。
1999年の暮のこと、その「トーキングブルース」が、
テレビ番組で特集を組まれた時があり、 その中で彼がこの言葉を発したのだ。
番組自体はとても面白かったが、冒頭の一節だけが頭にはりついて離れない。
私は、臓器提供カードを持ってる。 初めてこのカードを手にしたのは、もうかなり前である。
このカードの意思表示によって、初めての臓器移植が行われた時、
にわかに脚光を浴びたが・・・私はそれ以前から持っている。
当時の私は「死んでから誰かの役に立てるなら」…なんていう結構安易な考えで、
全ての臓器を提供するように意思表示していた。
しかしながら、このカードを手にした当時と、 現在では、かなり考えは変わった。
大きな、二つの出来事によって。
そのどちらも、1999年(平成11年)末に起こった。
例の、古館伊知郎氏の言葉を聞いて間もなくである。
ひとつは、私の人生を大きく変えてしまった大事故だ。
私は文字通り、死にかけた。
高速道路でトラックに轢かれた瞬間、あるい言葉が頭をよぎった。
“死んだ”…。
こんな時、「走馬灯」というものが、本当に頭によぎるのだと、初めて知った。
だが、ほんの一瞬の差、ほんのちょっとの運命のめぐり合わせで、 私は今、生きている。
他の人間より、「死」への恐怖は知っているつもりだ。
「死んでから誰かの役に立てるなら」。
「死」というものを身近に感じて初めて、思い知らされた。
その考えが、いかに安易であったか…。
もうひとつは、私の恩師の死である。
あの事故に遭うわずか数日前、
その恩師の葬儀に参加させていただいた。
涙が止まらなかった。あんな経験は初めてだった。
今の私は、あの先生がいてくれたからだった。
もしこの先、結婚したりしたら、真っ先に報告に行こうと思っていた人だった。
もう一度話をしたかった、成長した私を見てもらいたかった・・・という思いで胸が一杯だった。
しかし、たったひとつだけ、その思いが救われた出来事があった。
「最後に先生の顔を見れたこと」だ。
もちろん、その顔とは・・・棺に入り、二度と動くことの無い、 先生の亡骸の顔だったが・・・。
それでも、私の心はいくらか救われた。
中学を卒業して8年。 何度か電話で話はしたことがあるが、
先生の顔を見るのは卒業して初めてだった。
亡骸であっても、最後の最後に、
「先生の顔を見ることができた」ということは、 私の心の中で大きなことだったのだ。
もし…葬儀で、
「先生の遺体は臓器提供のため、解体されましたので、最後のご対面はありません」
と、言われていたら、どんな気持ちになっただろう。
私が死んだ時、葬儀で「最後のご対面」が無かったら、
肉親・友人達はどんな気持ちになるだろうか。
様々な考えが巡る中、 私の財布には今も、臓器提供カードが入っている。
初めのまま…全ての項目に、「提供」の意思を示したまま。
古館氏は“死ぬ”と考えた、私の言葉なら信じてくれるのかな。
「人に臓器を提供する」、その考えは素晴らしいことだ。
でも、安易に正義感ぶるのはやめにしたい。そう、思う。 |