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太陽の塔内部公開・息づく生命

 

平成15年、12月13日。
私は歴史的な建造物の内部に入ることができた。
「太陽の塔」である。

1970年に開催された、日本万国博覧会(万博)のシンボルタワーだ。もうひとつのシンボル、エキスポタワーの「未来」に対し、「原始」の象徴として製作されたという。
万博中は内部に入れたが、終了後に閉鎖され、33年間・・・その内部は未公開であった。
そしてこのたび、抽選による一般特別公開があり、私は幸運にも当選したのである。

 

エキスポタワーに興味を持ち、調べ初めてから、ずっと心の中にあった疑問。
「EXPO70とは、一体何だったのか」。
リアルタイムで万博を経験していない私にとって、それは永遠のテーマと言える。今日、初めて踏み込む、万博の「核(かく)」。今日の経験は、その答えを導き出してくれるのではないか・・・と密かに期待していた。

受付を済ませ、係員に促されて地下通路へ。
薄暗い通路で待つ間、受付時に手渡された、太陽の塔の解説プリントに目を通す。


通路で待ったのはものの15分程度だったはずだ。しかし私には、あまりに長い時間に感じられた。
この先に・・・太陽の塔がある。ずっと胸は高鳴りっぱなしで、「待ちきれない」という思いと、逆に「このドキドキがずっと続いて欲しい」という相反する思いが交錯する。

そしてその時はやってきた。
いよいよ、その内部に突入する。
少しカビ臭い空気を感じながら、踏み込んだその先は・・・、この世とは隔離された、全くの別世界だった。

 

塔内部に入ったとたん、私の目の前が強烈な「赤」に染まった。
塔内部壁は鮮烈な赤に塗られている。赤と言っても、鮮やかな赤ではない。ブラッディ・レッド(血液の赤)とでも言うのだろうか。深みがあり、催眠術にでもかけられているような、不思議な赤である。
その赤い壁には、まるで血管の拡大図に描かれる「ひだ」のようなレリーフがビッシリと張り付いている。その「ひだ」が僅かな光に対して無数の影を落とす。その影は、宇宙のような漆黒の闇だ。
私は無意識に目を上に向けた。そこには、巨大な木が、天に向かって伸びていた。
「生命の・・・樹・・・。」
「原始」の象徴、太陽の塔。そしてその内部に作られたのが、「生命」の象徴である「生命の樹」だ。まるで大蛇のようにうねりながら、頂上へ向かって立っている。赤、青、黄、緑・・・。ビビッドな蛍光塗料で塗られた幹と枝は、ブラック・ライトに照らされて怪しく光っている。今にも脈打ち、動き出すのではないか?と本気で思ってしまうほど、その木は圧倒的な生命力を感じさせた。
生きている。この木は生きているんだ。万博開催から33年間、ずっとこの場所で息づいていたんだ。感動というより、恐怖に近いものを感じた。
生命の樹には、いくつかの模型がとりつけられている。三葉虫、クラゲ、ブロントサウルス、首の無いプテラノドン。はるか上部にゴリラが見える。会期中にはこういった模型が300以上も取り付けられ、その一部は、まるで生きているかのごとく動作していたという。今では見ることはかなわない光景だが、見上げていると・・・まるで33年前の残像がそこに見えるかのようだ。


「太陽の塔内部公開」を伝える新聞記事。
クリックすると大きな画像が出ます

 

係員が「観覧時間終了」を告げる。その間、僅か10分。塔内に入る前は「詳しく見よう、いろいろなところを調べてみよう」・・・と考えていたものの、そんな余裕は一破片も無かった。突然に異次元空間に放り出され、五感を奪われ、ゆらゆらと漂っていたような時間だった・・・。

外へ出て、私の感想はひとつだった。
「良かったぁ・・・」。
本当に素晴らしいものに触れた時は、ごくごくシンプルな言葉しか出てこないのだ。

「EXPO70とは、一体何だったのか」
その明確な答えは、太陽の塔の内部に入ったあとも出てこない。だが、そのキーワードは「生命」だったのではないか、と感じ初めている。当時の最先端の科学を集めた万博だが、最終的には、万博会場そのものが、ひとつの生命と化したのではないか。
いや、生命というより、「心臓」と表現すべきかも知れない。

千里丘陵に万博会場が築かれた。まだそこは何の命も無い、人工建築物が並んでいるだけの場所だった。
やがてそこに、「血液」とも言えるものが流れ込む。「人」である。日本のみならず、世界各国から凄まじい数の「人」が訪れた。人が存在する場所には、感情があふれる。喜び、悲しみ、怒り、快楽・・・。様々な感情が万博会場に流れ込み、それがやがて巨大な渦となって会場を覆いつくしてゆく。
そしてそんなことを繰り返すうち、万博会場は「生命」を持った。まるで生きている心臓が生々しく脈打つような機能を持ち始めたのだ。
「血液」である会場を訪れた人々は、生命を持った「心臓」に力をもらい、それぞれの帰るべき場所に戻っていく。その血液たちは全世界に栄養を運び、骨を作り、肉を作り、新たな血を作っていった・・・。

想像が飛躍し過ぎだろうか。だが、太陽の塔内部に生き続けている「生命の樹」を目の当たりにした後ならば、この想像はあながち間違っているとも言えなくなる。
万博が終了してから33年、四半世紀以上前も経っているのも関わらず、今だに人々を魅了し続けているのはなぜだろう。そう考えると、この世界で最も神秘的で強い力・・・「生命」を、万博そのものが有していたから・・・とは思えないだろうか。


太陽の塔を離れ、エキスポタワー跡地へと向かった。そこには、ヤノベケンジ氏の作品「タワー・オブ・ライフ」の外殻が置かれている。

太陽の塔内部の「生命の樹」を見たあとだから、その差は歴然だ。これは作品なんかではない。ただの残骸だ。
「生命の樹」と、この物体の決定的な差。それは「生命」にある。

ここに置かれている物体は「死んでいる」。現実的に生命があるかどうかではなく、伝わってくるものが無いのだ。氏の展覧会の時は、まがりなりにも「美術作品」として存在していたが、今ではヤノベ氏の手からも離れ、核となっていたユニット部分までも剥ぎ取られ、「美術作品」としても完全に死んでしまった。

しかし、生命の樹は違った。あの木は、確かに「生きていた」。圧倒的な存在感で、我々に迫ってきた。だからこそ、見上げる人は言葉を失い、感動し、涙さえ流すのだ。

万博跡地に残る「生命の塔(タワー・オブ・ライフ)」は、太陽の塔内部のものだけでいい。

 

太陽の塔内部の巨大な樹木は、これからも生き続けるだろう。そしてこれからも多くの人々の心に、大きなものを残して行くに違いない。

 

太陽の塔内部・・・・そこには、力強い生命が息づいていた。

(2004年2月4日)

 

 

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