太陽の塔 34年ぶり“開眼” |
2004年9月25日。私は万博記念公園へと出かけた。 目的はひとつ、「太陽の塔」である。 この日はあるイベントが行われることになっていた。 あまりにもレアなイベントだ。これは見ておかないとっ! 万博公園に到着したのは7時前。京都で用事があった私は、6:30分に点灯する瞬間には間に合わなかった。太陽の塔…おお、確かに目が光っている!
会場は大盛り上がり。報道陣も多く、辺りでは一般客に対するインタビューが行われていた。このイベントの注目度の高さを痛感した。まさに「お祭り騒ぎ」状態である。 だが…私は、どことなく違和感を感じた。
もし、老朽化している元からある目(投光機)を修理し、光を出す…というなら、費用も、手間も凄くかかるに違いない。だが、正直…今回のようなものなら、そう費用も手間もかかるまい。先日、美術家のヤノベケンジ氏が、太陽の塔の目玉に上る映像を見た。素人の一個人が簡単に目玉にまで到達できることを考えると、そこに投光機を設置するのは、割と簡単だと想像できる。 そう考えると、だ。 聞こえは悪いが、万博のカリスマ的存在である太陽の塔を、うまく「利用した」というところか。 今回の「目玉点灯」、目玉から発せられる光は、EXPO70当時のもとと比べ、ずっと弱いものだったという。今回のものは「光っているな」とは認識できるが、ただそれだけである。しかし、当時を知る知人は言った。「万博(70年)の時は、ビームの軌跡がはっきりと見えるぐらい強烈だった」と。 太陽の塔周辺では、まだまだ愛知万博のアピールイベントが続けられていた。沢山の人が集まっていたが、その人々はほとんど…イベントもそこそこに、太陽の塔にカメラを向け、飽きることなくその姿を撮影していた。 私はその喧騒を離れ、エキスポタワーの跡地へと向かった。 …誰もいない。遠くには、目を輝かせた太陽の塔、そしてそのイベントの太鼓の音が聞こえてくる。跡地の暗闇には、相変わらずヤノベ氏の製作した「タワー・オブ・ライフ」の残骸が置かれていた。当初は怒りさえ感じたこのオブジェも、今となっては哀れに感じてきた…。
次の日。各新聞には「34年ぶり太陽の塔点灯」の文字が踊った。今回の催しは、愛知万博をアピールしたい側の思惑が見事にハマったと言える。 34年ぶりに、その瞳から光を発した太陽の塔。
もはや「太陽の塔」は、ただのオブジェではない。人々は太陽の塔を通じ、過去、そして未来の風景を見ることができる。この塔は、人々が過去と未来を行き来するためのタイムマシンなのだ。 過去から未来へ。未来から過去へ。 (2004年9月26日) |