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伝説のLIVE〜英五の降りる夜〜

 

※おことわり:今回の文は、基本的に敬称略です。
※このライブレポの公開にあたり、TEN.TEN.CAFE様の多大なご協力を頂きました。
 心より感謝いたします。

 

 2005年4月16日、この日、ささやかなライブが行われようとしていた。会場は古都・奈良、古い町屋が残る“ならまち”の片隅、こぢんまりとしたカフェだ。大手チケット会社で告知されてもいない、定員は100人に満たない、小さな小さなライブ。
 だがこのライブは、ただのライブではない。そして、この会場に来ている全ての人が、それを知っているようだった。

 今回のライブを語るには、まずはあるコンサートを語らねばなるまい。歌手・河島英五の呼びかけにより始まった阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」だ。

******

 震災が起こった1995年から、毎年恒例で行われていたチャリティーコンサート。「10年は続けたい」…そう言って始まった。英五に共感した人々が集い、毎年大成功を収めていた。
 だが、ラストの10回目を迎えることなく…7回目を前に、英五は帰らぬ人となった。
 “呼びかけ人”…いや、“核(かく)”を、途中で失ってしまったコンサート…。しかし、英五の意思は息子や娘、友人たちにに受けつがれてゆく。英五がいなくなった7、8、9回「復興の詩」。出演者たちは英五の歌を歌い、会場には英五コールが巻き起こった。コンサートは次第に“英五祭”の意味も含み始める。

 そして2004。ついに「復興の詩」はグランド・フィナーレを迎える。英五が志半ばで倒れたコンサートは、見事にゴールを迎えたのである。
 そしてそれは、同時に“英五祭”の終焉でもあった…。

 英五の意思を継ぎ、7回目からは中心となってコンサートを支えた娘・河島あみるは、最後の「復興の詩」のあと、こんな言葉を残した。

 「いつか、何らかの形で…」

 「復興の詩」は終わった。だが、英五を偲ぶ“英五祭”をいつかまた…。

*****

 そして今日を迎える。実はこの日は、英五の4周忌。ライブの出演者は、英五の血を継ぐ者たち。「河島翔馬」「河島あみる」「アナム&マキ」。会場は、英五の奥さんが経営する会場「テンテンカフェ」。ライブは会場から、「テンテンスペシャル」と名付けられている。どこにも、英五の名前は書いていない。しかし、このライブが…昨年の「復興の詩」の流れをくんだ“英五祭”であることは明らかだった。

 この日の開場は18:00、ライブ開始は19:00。私は仕事で遅れ、会場に到着したのは、今にもライブが開始されようとしている時だった。既に熱気ムンムン。超満員である。

 お店の方によると、今日の客は70人だという。ちょっと驚いた。先日に同じ会場で行われた「アナム&マキ」のライブに参加したが、その時もギュウギュウの満員。そのライブで60人だったはず…。それよりさらに多い。「あまりにも希望者が多いための特別措置」らしい。

 拍手が起こった。奥の部屋から、翔馬、そしてあみるが登場したのだ。

 


写真提供:TEN.TEN.CAFE


 あみるは電子ピアノに座り、翔馬はギターを手に取る。こうして、伝説のライブは幕を開けた。

 まずはあみるがトーク。開口一番、あみるは「私たちはアナマキの前座ですんで〜♪」と謙遜。

 「去年までは毎年、「復興の詩」の準備で忙しかったんですが…。やっぱり、10年間も続けてきたものが無くなっくちゃうと寂しいですね」

 そこで客席から「またやったらええやん〜」と声が飛ぶが、あみるは「簡単にいうな〜!」と苦笑い。会場は笑いに包まれる。

 そしてやはり、避けては通れない…父・英五のこと。

 「4月16日は、父の命日なんですが…命日というより、今まで頼ってきた父が亡くなり“独り立ち”した日、という感じが強いんです」

 あみるはそう言って笑った。

 この二人で歌ったことはほとんど無く、初めて歌う曲も多いという。

 そしてそんな二人が、いよいよメロディーを奏で始めた。

【あみる&翔馬】
>風になれ

 現在、あみるには2人の子どもがいる。会場「テンテンカフェ」の名前の由来である長男「天夢(てん)」、そして生まれたばかりの次男「空風(くう)」。

 「この曲は、次男・空風のテーマソングなんです」

 英五は、好んで自然や四季を取り入れた曲を書いていた。しょっちゅう旅に出ていたというから、きっと普通の人よりも敏感に、地球の様々な自然を感じることができたのだろう。

 ♪風が光るのを見ましたか 風が詩うのをききましたか
  風が通り過ぎたのを見ましたか 風が話すのをききましたか

 あみるはこの時、優しい“母”の顔をしていた。この曲のように、息子が爽やかな人間に育って欲しいと願っているのだろう。

>回送電車

 ちょっと、マイナーな曲かも知れない。まだ英五がソロではなくグループ「ホモサピエンス」として活動していた頃の作だ。
 あみるが、幼い頃のエピソードを明かす。父・英五のコンサートでは、アンコールの際、曲を客席にリクエストさせていたらしい。
 「何の曲がいい?」舞台からそう呼びかける英五。その時、横にいたあみるの母が「回送電車!回送電車!」と、あみるをツツいたという。どうやら、母のお気に入りの曲らしい。

>訪ねてもいいかい

 友のことを思い、語りかけるような曲。翔馬が歌い上げる。勢いだけでなく、しっかりとしたボーカルが必要な曲なのだが、翔馬の声は以前にも増して力強い。


>酒と泪と男と女

 もはや、何の説明もいらない。英五の最大のヒット曲である。
 いちファンとして私の意見を言うならば、私はこの曲があまり好きではない。この曲によって、英五のイメージが固められてしまったような気がするからだ。
 実際英五は、この曲があまりに売れ過ぎたせいで、のちの創作活動に悩み、コンサートの曲目からあえて外すことがあったという。

 だが、確かにいい曲だし、「河島英五」の名を広めた名曲であることに異論はない。翔馬とあみるは、この曲を伸び伸びと歌い上げた。


>天を歩け、そして唄え

 一曲目の「風になれ」が、あみるの次男・空夢のテーマ曲。そしてこの曲は、長男・天夢のテーマ曲なのだという。
 だが、一般認知度は低い。会場の人からも「どんな曲?」なんていう戸惑いの声も。それもそのはず、これは英五のライブ専用曲。CDにも、一度しか収められたことがない。興味ある方は「河島英五ラストライブ〜今日はどうもありがとう〜」をどうぞ。なかなかアツイ曲なのだ。


>湾岸ハイウェイブルース

 この曲は、翔馬の十八番、といっていいと思う。先日のワンマンライブでも歌っていたが、翔馬の持つイメージと、この曲の雰囲気が見事にマッチしている。どんな雰囲気?う〜ん、いわば「ちょいワル」な感じかな(^_^;)

 今まで何度か、翔馬の歌を聞かせてもらった。「復興の詩」でも、先日のワンマンでも。その姿を繰り返し見るたび、確実に“アーティスト”への道を昇っているなあ、と感じる。前々回より前回。前回より今回。確実に上達している。

 まだアーティストとしては駆けだしだが、いつか父を超えて欲しいなあ。

休憩を挟み、アナム&マキが登場する。


写真提供:TEN.TEN.CAFE

【アナム&マキ】
>魔法の絵の具

実は私は“アナマキの一曲目は何が来るのか”が、とても気になっていた。シットリした曲で静かにスタートさせるのか、はたまた激しい曲で観客を乗せるのか。

ところが始まったのは「魔法の絵の具」。
この曲が始まった時、思わず苦笑いしてしまった。「やられた」という感じである。
…いい意味で裏切られた。まさかこの曲を選ぶとは。

この曲、知る人ぞ知る、英五の異色曲。
なんとこの曲、あのNHK「みんなのうた」で放送された曲なのだ。
歌詞もちょっとコミカル。
「魔法の絵の具があったら、空は水玉桜色、海はたまご色にしてやるのに」

アナマキの二人も、歌い上げるでもなく、熱唱するでもなく。
笑みを浮かべながら、カラオケで歌うかのごとく軽く歌っていた。
休憩明けの会場に明るい雰囲気が広がる。
この選曲、いわばアナマキの“ジャブ”だな。

>祖父の島

 優しく祖父や祖母を想う曲。郷愁を呼び起こす曲なのだが、アナマキの持つ雰囲気にピッタリなのだ。アナムの高音、マキの低音が重なり、歌詞に込められた意味がさらに深みを増す。

 この曲の時、私の横にいた英五の義理の兄弟の方(英五の奥さんの、妹さんの旦那さん)が私に耳打ちしてきた。
 
「この曲な、俺の田舎に河島(英五)が来た時に創りおったんや。
  んで、レコードのジャケットも、うちの畑で撮りおったんやで」

 む、それはちょっと自慢できるエピソード。しかし続けて、

  「あのレコード、どこ行ったんやろ。どっかにあると思うんやけど…」

 …(^_^;)(^_^;)(^_^;)


>この星をたゆたう

 アナマキのオリジナル曲。この曲は間もなく発売されるアルバムに収められるという。
 アナマキって本物のプロだ。ボーカルはもちろん、ギターのテクニックも素晴らしい。会場の客の多くは(もしかしたら全ての客が)、この曲は初めて聴く曲のはずなのだが、みんな彼女らの歌に引き込まれていた。


 ここで突然、マキが退場する。
「次の曲は、是非ともアナム独りで歌いたい」とのことだった。
 一体、どうしたんだろう。会場が静まり返る。
 やがて、アナムが語り始めた。


 アナムの家族は「霊感」が強いのだという。例えば、母(=英五の奥さん)のは「さっき、あそこに(英五が)来てた」と、サラリと言ってのける。姉・あみるも、夢の中にしょっちゅう英五が出てくるという。なんとあみるの息子・天夢でさえ「あっこにジジ(じいちゃん=英五)いてる」なんてことを言うらしい。
 アナムはそれを「うらやましい」と言った。私には見えない。夢にも出てこない。なぜ、私には…。

 そんなある日、携帯電話に謎の電話がかかってきた。
 電話に出てみると…なにやら唸り声のようなものが聞こえて、切れた。イタズラ電話だったのかも知れない。だがアナムはそれを「父からの電話だ」と思ったらしい。根拠はない。しかし、アナムはそう思った…いや、思いたかった。

 今でも、その電話は父からのものだった、と信じているという。


 そしてその出来事、アナムの思いを、この曲に込めたのだという。

 アナムが歌い始めた。


>ユーレイの携帯(仮)

 この時歌ったのは、まだ完成版ではない、という。
だが、アナムの気持ちがストレートに伝わって来るのだ。


「なぜ、私には見えないの?私の夢には出てきてくれないの?
 声だけでいいから…お願い、聞かせて欲しい…」

 思わず、目頭が熱くなった。
 若くして天に召された父、それを思う娘の思い…。


 歌い終えた時、会場から大喝采が。ここに居る全ての人が、アナムの気持ちを痛いほど感じたに違いない。


 再び、相棒・マキがステージに上がる。
 そして、その英五の曲を奏で始めた。いつも…より力強く。


>月の花まつり

 この曲が始まった時、心の中で「待ってました!」と叫んだ。この曲はあみる、翔馬の時も含め、今まで歌われた英五ナンバーとはちょっと意味が違う。この曲は正式に、アナム&マキが“カバー曲”として歌ってきており、彼女たちのCDにも収められているのだ。

 一般認知度はあまり高くない曲だが、ファンの中では特に人気があり“名曲”の呼び声が高い。英五の曲は、人の悲しさや男くささ爆発の、ストレートな歌詞のものが多い。だがこの曲は異色中の異色作。歌詞には「眠らない鳥」「傷ついた魚」など意味深なキーワードが散りばめられている。テーマはズバリ“輪廻転生”。燃え尽きた命やがて、別の命となって蘇える…。

 ♪何もかもが生まれ変わるよ 風も星も繰り返す波も
  命はやがて空から降りて 地上に咲いた幾千万の花

 歌がサビに差し掛かった時である。…どうしたことだろう、アナムの目から、滝のような涙が流れ始めた。一瞬…アナムの声が嗚咽で詰まったような感じになった。だが、それは一瞬のこと。アナムはすぐに声を取り戻し、歌い続けた。涙を流し続けながら。彼女はれっきとした“プロ”なのだ。

 …アナムの涙の意味はなんだろう。父の歌を歌いながら、生前の姿を思い出したのだろうか。私はそんなことを思った。だが、曲の間奏の時、驚くべきことが起こった。アナムがステージの横を指差し、こう叫んだのである。

 「お父さん、来てる!」

 なんと彼女は曲の途中で、英五の…父の声を聞いたのである。のちに彼女は自身のHPで、「かなり大きな声で、別世界からぐおーーーっと聞こえてきた」と語っている。この時のアナムの表情を、私は忘れることができない。涙で濡れてグショグショだったが“人はこんなに素敵な表情ができるのか”と思うほど、素敵な笑顔だった。
 ずっと聞きたかった父の声。アナムのその思い、その歌…それが天国の英五に届いたのだ。

 英五が降りてきた。自身の命日でもあるこの日、その意思を受け継ぐ者たちが歌うこの場所に。会場は異様な雰囲気に包まれた。

 ここで、あみる&翔馬が再び登場、ステージに上がる。あみるの鼻は真っ赤だ。きっと、彼女も父を感じ、涙を流していたのだろう。

 かくして、4人のライブに最高の“ゲスト”が加わり、後半へと突入してゆく。


【あみる、翔馬、アナム&マキ】
>伝達

 まるで4人が「しんみりしてる暇はないよ!」と呼びかけているようだった。

 ♪手をつなごう(手をつなごう!)手をつなごう(手をつなごう!)
   創り出すんだ 心のヒストリー
  愛しあおう(愛しあおう!)愛しあおう(愛しあおう!)
   今生きてる それが真実さ

 “英五節”全開のこの曲。観客もその勢いに乗せられ、タイミング良く合の手を入れる。会場が一体となる。


写真提供:TEN.TEN.CAFE


>百年たったら

 勢いのある曲が続く。この曲はサビの部分がとても覚えやすく、即興で歌いやすい。英五も生前のライブで、観客をノセるための曲として好んで歌ったようだ。

 ♪百年たったら 天国で会おうよ
  百年たったら も一度会おうよ

 誰もが迎える“死”を、とんでもなくポジティブに捉えた曲だ。
 翔馬の歌声、あみるのアコーディオン、アナマキのギターも全開だ。

この曲には、「天国の庭でパーティー開こうよ」という歌詞があるのだが、英五はコンサートで歌う際、「庭」の部分の歌詞、をその会場に変えて歌っていたという。実際、「復興の詩」で歌った時のライブ音源では、「天国の野外音楽堂で〜」(その時は大阪野外音楽堂で開催されていた)となっている。
 もちろんこの日は…。

 「天国の、ならまちテンテンカフェで!パーティー開こうよ!」

 となっていた(^^ゞ。天国にならまちがあるか解らないし、かなり早口の苦しい歌詞だったけど、会場は大喜びだ。


>出発

 後半に入ってから、全て観客参加型(^_^;)。前の2曲の勢いそのままに、ライブ最終曲へと突入だ。この曲もちゃっかり、観客がお決まりの“合の手”を入れる箇所がある。観客はそのフレーズに合わせ、天に拳を突き上げる。

 ♪本当の(ヤァ!)幸せと本当の(ヤァ!)喜びを 探し求めよう

 私も力いっぱい、拳を突き上げた。拳を突き上げる瞬間、まるで会場が揺れるようだ。

 
 …最後の曲が終わる。4人は一礼して、奥の控え室へと消えてゆく。
 
 終わり?まさか!当然のように巻き起こる
 「アンコール!アンコール!」の声。しかしそこで客の一人が叫んだ

 「違う!英五コールだ!英五!英五!」

 その客に引かれるように、一瞬にして「アンコール」の声は「英五」に変わった。

 「英五!英五!英五!英五!」

 やがて、4人が再び登場した。翔馬の上着が変わっている。「復興の詩」でも見せた、英五を彷彿とさせる黒のランニング・シャツ。

 アンコール・ナンバーを前に、ここでアナムがメンバー紹介。

 「長男、翔馬!」ワー!(拍手)
 「長女、あみる!」ワー!(拍手)
 「次女、アナム!」ワー!(拍手)
 「近所の子、マキ!」ドッ!(爆笑)

 マキはちょっとはにかみながら応える。「近所の子のマキでぇ〜す」。こういうトーク場面では、いつもマキが“オチ”に来る。アナムとマキ…本当にいいコンビだなあ。2人の掛け合いは絶妙なのだ。
 今回のライブ出演者の4人、その中でマキだけ、英五の血縁者ではない。だが、そんなことは問題ではないのだ。アナムとマキを見ていると、血の繋がり以上の絆があることを実感させられる。

 アンコールの曲が始まった。英五の曲の中でも、1、2を争う盛り上がり曲だ。

>元気だしてゆこう

 ♪元気出してゆこう 声かけあってゆこう
  サムライでゆこう 日本男児でゆこう


写真提供:TEN.TEN.CAFE

 もう全てを忘れ、歌った。
 
 曲が終わっても、客の思いをすぐに翔馬が代弁する。

 「まだ歌い足りないか〜!じゃあ、もう一回行くぞ〜!!」

 何度も、何度も。サビの部分をリピートする。


 そして…最高潮の興奮の中、ライブは幕を降ろした。

 

 「テンテンスペシャル」は大盛況のうちに終わった。だが、ひとつだけ疑問に思ったことがあった。それは「旧友再会」のことである。
 
 「旧友再会」は英五の“遺作”となった曲である。英五が入院している時、見舞に来てくれた友人たちに、感謝の気持ちを込めて作った、という。だが皮肉にも、この曲は英五の“遺作”となってしまった。英五は亡くなる2日前、人生最後のライブのラストに、この曲を歌っている。
 そんな背景を持つ曲だけに、英五の葬儀で出棺の際に、この曲を参列者で合唱した。また英五が亡くなってからの7、8、9、10回目の「復興の詩」は、この曲を合唱して幕…というのが通例になっていた。

 今回のライブは、名前は違えど、04年に終了した「復興の詩」の流れをくむもの。そして、今日は英五の命日。さらに、この日の会場には、この曲をCD化する際に“バックコーラス”の一人として参加した、落語家の桂南光も会場に見えていた。
 ここまで揃うと、最後はこの曲を歌うのだろう、と思っていた。だが、この曲が歌われることはなかった。なぜなのか…。

 確かめたわけではない。もしかしたら、私がこんなに考えるようなことはなく、単純に曲目から外れただけかも知れない。それを前置きして、私が考えたことがある。

 この「旧友再会」という曲、あまりに“悲しすぎる”ので、演奏するのを避けたのではないか…。

 少し前になる。私はテンテンカフェのスタッフの方と話している時、何気なく「旧友再会、とても好きな曲なんです」と言ったことがある。だが、スタッフの方の答えはこうだった。
 「実は私、あのCDは2回ぐらいしか聞いてないんよ」
 え?なんで?英五さんの最後の作品だし、とてもいい曲なのに。疑問に思った私に向かって、スタッフの方はこう続けた。
 「あの曲の英五さんの声、明らかに声に生気が無いのがわかる。だから辛いんよ、あの曲を聞くのが」。
 私にとっては「旧友再会」は“好きな曲”。“あったかい歌詞とメロディー”。“英五の遺作”。だが、英五を良く知る人にとっては“辛い曲”だったんだ…。
 もちろん今でも、私はこの曲が大好きだ。しかしあの時、軽々しく「あの曲が好き」と口にした自分の浅はかさを反省した。

 だからこの「テンテンスペシャル」では、あえてこの曲をリストから外した。病と闘う、父の辛い姿を連想してしまうこの曲ではなく、ラストは最高にポジティブな「元気だしてゆこう」をもってきた。このライブは、河島英五という人を偲び、しんみりする時間ではない。河島英五はまだみんなの心に生きているはず。明るく行こうぜ!…そんなメッセージが込められていたのではないか。

 こんな私の想像はどうあれ、「元気だしてゆこう」でシメたのは素晴らしかったと思う。まさに完全燃焼のラストだった。


 私はテンテンカフェを出て、家路についたライブの余韻がまだ体に残っている。僅か2時間だったが、その間に叫び、歌い…心の中が満たされたというより、すっきりカラッポになったような爽やかさ。これがカタルシス(精神浄化)というのだろうか。


 2005年4月16日。最高の夜。恐らく、一生忘れることのないひとときだろう。
 
 できることならまた、私もいつか…英五に会いたい。夜空を見上げながら、そんなことを思った。

(2005年5月12日)

 

 

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