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「明日の神話」…なぜ渋谷なのか

 

 日本の芸術家の巨匠・故岡本太郎氏の最大の壁画「明日の神話」。原爆の炸裂の瞬間を描いている。長らく行方不明だったが、2003年に海外で発見され、2006年には修復が完了。東京で一般公開され、大きな話題を呼んだ。


「明日の神話」公開風景。多くの人が詰め掛けた。

 一般公開終了後、壁画を「どこで保存するか」で争奪戦が繰り広げられた。最終的に名乗りを上げたのは、大阪・吹田氏、広島・広島市、東京・渋谷区の3都市。各都市はそれぞれ誘致活動を展開し、そして2008年3月18日、壁画を保持する岡本太郎財団は、東京・渋谷区に寄贈、保存することを発表した。

 この一報を聞いた時、私は思わず「はぁ?」と口にしてしまった。3つの誘致場所のうち、渋谷だけはない、と思っていたからだ。某新聞の「渋谷に決定」の記事に、私の思いを代弁するような言葉が載っていた。大阪誘致委員会の会長の言葉である。

 「広島ならともかく、なんで渋谷やねん…」

 

 

 「なぜ」。その思いを、私は拭い去ることはできなかった。

 

 

 まずは広島。

 先に書いた通り「明日の神話」は原爆をテーマにした作品だ。被爆地である広島は、誘致に最も熱心だったと言われている。


原爆の恐ろしさを現代に伝える、広島の「原爆ドーム」。

 終戦記念日前には、原爆ドーム前に「明日の神話」をプロジェクター投影するなど、大規模なイベントも実施していた。原爆の恐ろしさを今に伝える原爆ドームと、その炸裂を描いた芸術作品。その2つを広島で並べることが、どれほど大きな意味があるか想像に難くない。

 そして、もしかしたら何よりも大きいと思われるコトがある。太郎氏の養女・岡本敏子さんの意思である。太郎氏の死後、彼の作品を守り続け、行方不明になっていた「明日の神話」発見のために奔走した。彼女にとって「明日の神話」の修復はライフワークといえるものであった。…実際に敏子さんは筆は入れていなくとも…「明日の神話」は、太郎氏と敏子さんの“合作”と言えるほどのものだ。

 その敏子さんは生前、この作品を広島で保存したい、と言っていたのである。メキシコで発見され、日本に輸送&修復を計画している段階のこと。コピーライターでエッセイストの糸井重里さんとの対談の一幕。作品をどこに置くのか?という話題に、一通り候補地を挙げたあと、敏子さんは言った。

 「……でも、ほんとは、広島に置きたいわね。」

 広島への誘致活動を進めてきた団体のメンバーは、被爆地であることはもちろん、この敏子さんの言葉が決め手となり、候補地として手を挙げたことを表明していた。

 以上のことを考えると、作品を「どこに置くか」ではなく「広島のどこに置くか」で動くべきではなかったのか…とさえ思ってしまうのだが。

 

 次に大阪。

 大阪には、岡本太郎の作品としては最も有名な「太陽の塔」がある。「太陽の塔」は、現存する太郎氏最大の彫刻作品。「明日の神話」は、同じく最大の絵画作品…。2つの最大の作品を並べて展示するなんて、考えただけでワクワクする。大阪は2つの作品をシンボルとして、ここから芸術文化を発信したい…と考えていたようだ。

 そして、気になる話もある。これは誘致理由とは関係ないかも知れないが、近年、実はこの「太陽の塔」も「明日の神話」と同じように、原爆がテーマだったのではないか?との説が浮上している。


大阪万博のシンボル「太陽の塔」は原爆がテーマだった?

 「米米クラブ」などで活躍したアーティストの石井竜也氏が提唱するこの説。

 てっぺんの金色の顔は炸裂した原爆を、万博当時に塔を囲んでいた銀の大天井はキノコ雲を、塔側面の赤い模様は炎を表している…というのだ。平和的な国際博覧会のシンボルが原爆がテーマだった、などと口が裂けても言えるわけがない。太郎氏はその“隠しテーマ”のことを生涯口にしなかった…。

 太郎氏亡き今、真実を知ることはできないが…この2つの作品は制作時期も重なり、互いに影響し合っていても不思議ではない。この説が真実ならば、「太陽の塔」と「明日の神話」は、まさに対をなす作品ということになる。

 

 残る東京・渋谷。

 太郎氏のアトリエは同区の青山にあり、現在は記念館として公開されている。たしかに太郎氏ゆかりの地ではあるが、広島&大阪に比べ「明日の神話」を是非!という理由に欠けるのは事実だった。

 では、なぜ渋谷なのか。

 設置予定地は有名なハチ公像の近くで、日本でも最も人通りが多い場所だと言える。この場所に設置を決めた岡本太郎財団の関係者は「最も多くの人にパワーを与えられる」と言った。つまり、何よりも“どれだけ多くの人の目に止まるか”を重視していたわけだ。それならば、首都である東京が誘致に手を上げた時点で、他地域は勝ち目が無かったことになる。“地方在住”の私からすれば正直、気分のいい話ではない。


東京・青山にある「岡本太郎記念館」。元・太郎氏のアトリエだ。

 確かに「明日の神話」が持つ意味、思想などを考えると、渋谷よりも広島か大阪か…というコトになるだが、財団としては、絵画の持つ意味を重視するのか、はたまた岡本太郎という芸術家の名を残すことを重視するのか…という二者択一であったと思う。結果、後者を取った。重要なのは「岡本太郎は既にこの世にいない」ということだ。また、太郎氏亡きあと、彼の作品を伝えていくことに奔走した養女・岡本敏子さんも亡くなった。もはや、太郎氏の名を世に轟かせる最後の機会である。絵の持つ意味などよりも、とにかく目立つ場所に!となるのは当然かも知れない。

 何はともあれ、設置場所は東京に決まった。渋谷の名所のひとつとして、ゆくゆくはガイドブックなどにも掲載されるだろう。太郎氏の最大の作品が果たして、ただの観光名所として形骸化していくのか、はたまた原爆の恐ろしさを訴えてゆくのか。数年後にはその未来がハッキリするのではないだろうか。

 ◇  ◇

p.s.

 寄贈地決定から約3ヵ月後の2008年6月6日、新聞の片隅に、この誘致騒動の“エピローグ”がひっそりと掲載されていた。岡本太郎財団が「明日の神話」の原画の一枚を、広島市に寄贈したという。

 壁画自体は広島へ寄贈されることはなかったが、財団側がその誘致活動の熱心さに応えた形だ。私は心から「良かった」と思った。絵に込められた意味、そして敏子さんの生前の意思をを考えれば、やはりこの絵は広島に寄贈すべきだった…と個人的には思っている。もしかしたら財団も、同じ思いだったのかも知れない。真相はどうにせよ、財団のこの配慮に、心から敬意を表したい。

(2008年7月7日)

 

 

 

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