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奇跡のドキュメンタリー
「ヒロシマナガサキ」「ひめゆり」「TOKKO -特攻-」

 

 2007年夏。ほぼ同時期に、3本のドキュメンタリー映画が公開された。どれも、太平洋戦争の悲劇を伝えてくれる、素晴らしい作品だった。ここに、その3本の映画をレビューする。また、それぞれのテーマの補足として、関連する創作映画も紹介したいと思う。

 

ヒロシマナガサキ

白い光、黒い雨、
あの夏の記憶

原題 / WHITE LIGHT/BLACK RAIN
The Destruction of hiroshima and nagasaki
公開 / 2007年
監督 / スティーヴン・オカザキ

 映画の冒頭部分。東京の繁華街。街ゆく若者達に尋ねる。「1945年の8月6日に何が起こったか?」。若者達は答える「えー、わかんない」、「地震とか?」…日系3世の監督から、いきなり“唯一の被爆国”の現状を突きつけられる。海外の人が見たらどう思うだろう。なんだか恥ずかしくてたまらなかった。

 冒頭の映像を観ながら、私は2004年に訪れた長崎を思い出していた。

  長崎の爆心地近くに建てられている「平和祈念像」。長崎における「被爆地」の象徴的な像である。高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、閉じた瞳は原爆犠牲者の追悼を表している。

 だが、10分もここで観察していると、あることに気づく。ここで手を合わせる人はほとんど居ないのだ。多くの人たちは、おどけて像のポーズを真似し、記念写真を撮ると早々と去ってゆく。もはやこの像は観光地としての“虚像”に過ぎないのではないか。

  私は像の存在を否定しているのではない。だが先述の“現実”を目の当たりにし、本当にこれでいいのか、と悩んでしまった。長崎に原爆が落とされたのは、誰もが知っている。でも「知っているだけ」なのだ…。

 話を戻そう。映画は14人の被爆者と、実際に原爆投下に関わった4人の米国人の証言により、淡々と進んでいく。目を背けたくなる映像も多く登場する。皮膚の焼けただれた人や、黒こげの子どもの死体…。

 映画の途中、急に涙が止まらなくなった。思いが込み上げてきた、というわけではない。自分でも説明しにくい感情だったが、一番近いのはやはり「怒り」だったと思う。なぜこんな酷い爆弾を使わねばならなかったのか。本当に原爆が落とされたのは「しょうがなかった」のか…。日本人としてではなく、人間として許せない、こんな奥底からの感情は初めてだった。

 劇中の、被爆者の言葉が胸を打つ。

 「私たちはせっかく生き残っても、人間らしく生きることも、人間らしく死ぬこともできませんでした」

 「体の傷と、心の傷、両方の傷を背負いながら生きている苦しみは、もう私たちだけで十分です」

 想像を絶する体験を乗り越え、それを今に伝える方々。体中が震えるような思いで受け止めた。

 この映画は、8月6日―広島に原爆が投下された日―に、全米でテレビ放送された。その反応は伝わっていないが、この映画は「原爆投下は、戦争終結のために必要だった」という考えが根付いているアメリカで、どのような捉えられ方をされたのだろうか。

 この映画を鑑賞して数日後、私は広島へと出かけた。いつか、自分の中でひとつの区切りができた時、訪れることを決めていた場所。逆にいうと、気軽な気持ちでは行けない、と思っていた場所。今こそ“その時”だと感じたのだ。

  念願の原爆ドームとの対面。「想像していたよりも小さい」というのが第一印象だった。崩れた壁、ねじ曲がった鉄骨、散乱する瓦礫。やっと来れたという感動よりも、原爆の脅威に身震いした。

 原爆は核戦争を抑制するための「必要悪」だと説く人もいる。だが違う。原爆は「絶対悪」だ。一瞬にしてあらゆる物を破壊し、無差別に大量の命を奪い、後世にまで悪影響を及ぼす。こんな兵器が正当化されることは、絶対にあってはならない。

 現在、世界には広島原爆の40万個に相当する核兵器があるといわれている。それらを廃絶に導くリーダーとなるのは、世界で唯一の被爆国、日本以外はありえない。

関連映画

夕凪の街 桜の国
公開 / 2007年
監督 / 佐々部清
主な出演 / 田中麗奈 、 麻生久美子

 数々の賞を受賞した同名漫画の映画化。

  原爆投下13年後を舞台にした「夕凪の街」パートと、現代を舞台にした「桜の国」パートの二部構成。幸せを目前にしながら、原爆症で命を奪われてゆく女性。ひょんなコトから広島を訪れ、自分自身のルーツを知ってゆく女性。ふたつの物語が重なり、原爆が残した悲劇を伝える。

 原爆が炸裂する瞬間の物語ではない。原爆の放射能による、長期的な被爆者の苦しみ。あの時に生き延びても、数年、数十年後に影響が出始める。そして被爆した人への差別、偏見。さらに、その子孫にまで影響も。…これは過去の話ではない。実際に、今も続いているコトなのだ。

 前半のヒロイン・皆実が絶命する時の言葉が重い。

「嬉しい?…十年経ったけど、原爆を落とした人はわたしを見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」

 今まで原爆をテーマにした物語は数多くあれど、こんな視点からのアプローチは無かったのではないか。

 「夕凪」パートの麻生久美子、「桜」パートの田中麗奈、どちらも役になり切った熱演。ストーリーに引き込まる。映画館を出る時、本当にいい映画を観た、と思った。麻生久美子は初めて見た女優さんだが、はかなげな日本女性のイメージにピッタリ。田中麗奈は「なっちゃん」のイメージしか無かったが、メチャクチャいい表情するんだよなぁ。

 押し付けがましくなく、じんわりと平和への思いが沸いてくる名作だ。

 

ひめゆり

「忘れたいこと」を
話してくれてありがとう

公開 / 2007年
監督 / 柴田昌平

 沖縄看護学徒隊、とりわけ「ひめゆり学徒隊」の物語は、現在まで何度も映画・舞台化されてきた。この映画は、ひめゆり学徒隊の22人の生存者の証言映像を記録している。当時の沖縄戦の映像も出てくるが、あくまで“資料”。8〜9割は、元学徒の方が1人で話しているシーンが続く。

 一人ひとりの証言があまりに凄まじく…いや、凄まじいなんてものじゃない。彼女たちは筆舌に尽くしがたいほどの、この世の地獄を見てきたのだ。

 砲弾が飛び交う中で息も絶え絶えな兵士たちを看護し、山のような死体を処理し、ノコギリの歯のような岩の上を裸足で逃げまどい…さっきまで話していた学友が、次の瞬間に無残な姿に変わる…。きっと話すのも辛い経験だろう。実際、ひめゆりの生存者で、いまだに資料館を訪れることもできない人、口を硬く閉ざしている方も多くおられるという。だが彼女たちは時には涙ぐみながらも、まっすぐに前を向いて話してくれている。

 「国のためにに死ぬことが当然で、名誉のことだと思っていた人たちが皆、死の一瞬前は『助けて』と言ったんです。生きたかったんでしょうね。それを今、私に伝えて、と言っている気がするんです」

 胸の奥底に封印しておきたいであろう、辛い記憶の数々を語るその表情からは「伝えなければ」という使命感が感じられた。

 私は2001年と2002年に、自分の足で沖縄・南部戦跡を巡り、戦争の傷跡を見て回った。ひめゆりの塔も訪れた。その近くにあった、ひっそりとした病院壕跡(伊原第一外科壕)も。こんな劣悪な場所が「病院」だったのかと、ただただ驚いた。

 あの時の経験が、私が「平和」ということを深く考えるキカッケをくれた。その地で起こった悲劇を元学徒の方の口から聞くことで、あの時に見た沖縄の風景が鮮明に蘇った。

 元学徒の方が、ひめゆり平和祈念館で、学友の遺影を撫でながら言う。ここへ来ると、学生時代がつい最近の事のようだ、と。16歳の同級生が、今も16歳の顔で微笑んでいるから…。

 「私もいつかあの世に行くときは、平和な時代の話のお土産をたくさん持っていきたい。平和な時代を味わえなかった友達に…」

 この映画のポスターにはこう書かれている。『「忘れたいこと」を話してくれてありがとう』。歌手のCOCCOさんが鑑賞後に寄せた文の一節である。この映画の観客は、恐らく誰もが同じ気持ちになったに違いない。

  …私からも言わせてくだささい。ありがとう、ありがとう。本当にありがとう。

 エンドクレジット時、BGMとして流れるのは「別れの曲(うた)」。生徒たちが卒業式で歌うはずだった歌である。だが、その2日前に戦闘動員されたため歌えなかった。動員された後に行われた卒業式では、代わりに軍歌を歌うことになった。いつも犠牲になるのは、弱い立場の人たちなのだ。

 この映画は1994年から13年にわたって撮影された。映画の中で証言した22人のうち、3人が完成を待たずに亡くなっている。

関連映画

ひめゆりの塔
公開 / 1953年
監督 / 今井正
主な出演 / 津島恵子 、 岡田英次

 沖縄のひめゆり学徒隊の物語は、2007年現在で4回映画化されている。そのタイトルは全てが「ひめゆりの塔」(※第2作目のみ「あヽひめゆりの塔」)。知名度的に「塔」がついたほうがアピール度が高いんだろうなぁ。

 初めて映画化されたのが、1953年に今井正監督、津島恵子主演で製作された当作品。当たり前だが、全てにおいて古い。オールモノクロ、冒頭のキャストクレジットは手書き文字。そんな時代の作品でありながら、モノクロ特有の映像美が胸を打つ。中盤ごろ、ひめゆり部隊が青空の下で池に飛び込んで笑顔ではしゃぐシーンがある。色は無いにも関わらず、青い真夏の爽やかさが伝わってくる。

  悲劇的ではあるが、目を覆いたくなるような痛々しいシーンや、残酷なシーンは出てこない。恐らく公開当時の“時代”からくるものだろう、

 この作品に“救い”はない。ひめゆり部隊で生存者がいるなどという事実も語られない。米軍に追い詰められ、あるものは自決し、ある者は撃ち殺され、全てが死に絶えて「終」の文字。おーい、「ひめゆりの塔」なんだから、少しはその慰霊碑建立の後日談があってもいいだろ…。

 「ひめゆりの塔」4作品のうち、現在一番手に入れやすいのはこの第一作。随所に古さは感じさせるものの、今から観ても、心に残る一作だ。最新の1995年版の映画(沢口靖子主演)は、前年ながらDVD化されていないようだ。近々、ビデオを手に入れようと思っている。

 

TOKKO -特攻-

生きたかったよ
死にたくはなかったよ

原題 / WINGS OF DEFET
公開 / 2007年
監督 / リサ・モリモト

 タイトルからもわかるように、テーマは太平洋戦争末期に行われた、日本軍の特攻作戦「神風特攻隊」。特攻隊の生き残りの方々の証言を中心に「カミカゼ伝説の真実」を伝えるものになっている。

 「ヒロシマナガサキ」「ひめゆり」と大きく異なる点は、監督が前面に出てきているコトだろう。他の2本は基本的にインタビュアーの姿も、声も出てこない。あくまでメインは証言者なのだ。だがこの映画は、監督が質問を投げかける声、資料を眺める監督の表情のアップなどが度々登場する。この映画の監督であるリサ・モリモトは日系アメリカ人。亡き叔父が、かつて特攻隊員として訓練を受けていたこと知り、特攻隊の生存者たちへの取材を開始する。

 アメリカでは神風特攻隊と、あの9・11自爆テロを同一視する傾向がある。「一部の狂信的な人間が、自ら進んで、死を恐れず特攻していった」。監督はそのイメージと、優しかった叔父の姿を重ね合わせることができなかった。「日本人では聞きにくい質問も、(アメリカ人である)私なら…」と物語は始まり、ラストシーンでは叔父の墓参りで「叔父からも直接、話を聞いてみたかった」と終わる。この作品はリサ監督の「自分自身のルーツを巡る旅」的な一面もあるのだ。またアニメーションの再現シーンなどもあり、ドキュメンタリーとしてはちょっと珍しい作風となっている。

 どちらかというと、アメリカ人向けに製作されている。そのぶん日本の帝国主義のシステムなどもわかりやすく解説されており、戦争の背景なども同時に理解することができる。

 映画の惹句(じゃっく=映画のキャッチフレーズ)である「生きたかったよ 死にたくはなかったよ」は、まるで死んでいった特攻隊の“心の叫び”のようであるが、実は劇中での、元特攻隊員の発言である。割とサラリと口にする言葉なのだが、この言葉に特攻隊の全てが込められているような気がする。

 既に日本の敗戦濃厚な情勢。いくら(情報操作された)新聞等で日本の奮闘ぶりを伝えられても、現場の人間は、この戦争に負けることは分かっていた。軍は早く降伏して、戦争を終わらせて欲しい…、そんな願いも空しく、下された命令は「お国のために死んでこい」。こんな理不尽な話があるか。誰が、喜んで死にに行くものか。

 当時の日本は末期的状況で“一億総玉砕”などという言葉まで登場。神風特攻隊のほかに人間魚雷「回天」、さらに日本海軍の象徴であった戦艦「大和」までが、特攻という愚かな作戦を取っている。もはや命の犠牲によってしか、国を奮い立たすことが出来なくなっていたのだ。広島の平和記念資料館に展示されていた金属回収令のポスター(複製)には「神風特別攻撃隊の遺勲に応え…」 の文字があった。

  神風による特攻作戦によって、死亡した日本兵はおよそ4000人。だが、撃沈されたアメリカ軍の艦艇は40にも満たなかった。成果だけをみれば、彼らのほとんどは“犬死に”であった。特攻の精神を美化するつもりはない。なぜ彼らは、こんな無駄な死に方をせねばならなかったのか。彼らの無念を思うと、悔しくて悔しくてたまらない。彼らのような者たちを、二度と出してはならない。

関連映画

俺は、君のためにこそ死ににいく
公開/2007年
監督/ 新城卓
主な出演/ 岸惠子 、 徳重聡、 窪塚洋介 、 筒井道隆

  現役の東京都知事・石原慎太郎が製作総指揮と脚本を務めた作品。特攻基地近くの食堂の女将さんで“特攻隊の母”と呼ばれた、鳥濱トメさんの話に証言に基づいた実話。

 若い特攻隊員たちが、「お国のため」の言葉のもとに次々と命を散らしてゆく。胸を張り、凛とした表情で出撃してゆく隊員たち…。目頭が熱くなって、何度も何度も涙がこぼれた。そのシーンに感動したというより、実際に死んでいった特攻隊員さんたちのことを思い、胸が熱くなった。

 トメさんに「ホタルになって帰ってくる」と言い残して飛び立っていった隊員。その夜、一匹のホタルが食堂の庭に現れる。そんな感動的なエピソードも、下手に効果をつけず、あくまでシンプルに映像化している。

 石原氏は「これは反戦映画ではなく“青春群像”だ」と言う。戦争の悲劇を描きたかったのではなく、戦争の中にも隊員それぞれの青春があったことを伝えたかった、と。…とは言いながら、ちょっと偏った考え方を持っている方なので、気になる場面もちらほら。

 創作映画であるから、そりゃ大きく脚色されているだろうが、ひとつひとつのエピソードはトメさんが実際に見た真実。特攻隊員たちも、我々と同じに様々な夢を持ち、恋もした人間だった。そんな彼らが、心から「お国のため」に死んでいったとは到底思えない。いくら軍国主義の教育が徹底されていたのだとしても。

 そんな隊員の思いをストレートに表したタイトル、私は好きだ。実は公開当初は「こんな恥ずかしいタイトルがあるか」と、各所で酷評されたのだが…私はコレでいいと思う。つーか、私はこのテの文章系タイトルが大好きなんで。このHPを見ればわかるでしょ(^_^;)。

 

 

 この3本のドキュメンタリーが、同時期に公開されたのは“奇跡的”と言うしかない。「原爆投下」「沖縄看護学徒隊」「神風特攻隊」。どれも、戦争の悲劇を表す最たるものであり、今まで、何度も映画やドラマの題材になったものである。その“真実”を伝えてくれる映像、全てが、心の奥底から私の感情を揺さぶるののだった。

 私は、この3作品を同時公開していた某劇場に足を運んでいた。戦争という重いテーマということもあり、当初は観客もまばらであった。だが終戦記念日(8月15日)前後には、各作品とも常に満席、補助イスを設置しても間に合わないほどだった。それは口コミや新聞等で紹介された効果もあっただろうが、何よりも、どれも極めて優れた作品であったからに他ならない。

 終戦から62年目。もはや時間がない。「ひめゆり」は取材に13年の年月を要しているが、完成を待たずに、出演している証言者のうち3人が亡くなっている。ダイレクトに戦争を伝えてくれる方々が、確実に減ってきている。そう考えると今回の3本のドキュメンタリーは、それぞれのジャンルにおいて、これらを超えるものを、この先に出すのは非常に難しいだろう。

 3本の映画を観て、私の中にひとつの確信が芽生えた。「無知は恥ではない。だが、無関心なのは大きな恥である」ということだ。「ヒロシマナガサキ」の冒頭部に、原爆が落とされた日も知らない若者が出てくるが…彼らを笑うことはできない。(私も含めた)多くの人が、彼らとそう違わない。平和な時代に生まれ、平和の中で育ってきたのだ。血なまぐさい時代のことなど知るよしもない。知らなくても当然ともいえる。それよりも恥ずかしいのは、過去のことについて知ろうともしない、何の関心も持たないことだ。先の大戦の敗戦国であり、唯一の被爆国である日本に住んでいて、過去を学ぼうとしないのは恥ずべきことだ。

 私は右とか、左とかの思想は持っていない。ただ「平和」を願う。そしてこの夏、3本の映画に出会い、その思いはさらに膨れ上がった。素晴らしい出会いに感謝したい。本当にありがとう。

 私は戦争を憎む。心から憎む。そして平和な世界を求め続けていくことを、誓います。

(最終編集日:2007年8月29日)

 

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