今年もまた、1月17日がやってくる。
そう…1995年のこの日、大地震が神戸周辺を襲った。
いわゆる「阪神・淡路大震災」だ。
あれから8年…。
神戸の街は、完全に賑わいを取り戻した。
私は神戸が凄く好きなので、良くぶらりと出かける。
ここ数年、色々な場所を訪れたが、震災の名残は滅多に見ることは無い。
今や、震災の傷跡を見つけるほうが難しい。
神戸市市役所近くの公園「東遊園地」に行けば、
慰霊碑や、震災直後に止まった時計等を目にすることができるが、
あくまで局地的なモニュメントである。
震災直後は、「神戸はもうダメだ」と言われた。
壊滅的な被害を受け、もはやかつての賑わいを取り戻すことは不可能と言われた。
だが・・・今、華やかな神戸の街並みを歩くと、
あの頃の事がウソのように思えてくる。
もはや、震災の記憶は薄れつつある。
それは疑うべくもない。
あの日のガレキの山、忌まわしい記憶。
そんなものにとらわれなくとも、今、光輝く神戸の街がある。
「震災被害者の鎮魂」を目的として始まった神戸ルミナリエは、
商業化が進み、その意義が薄れてきている。
三宮中心街にあった「震災復興支援センター」は取り壊され、
その代わりとなる「震災記念館」は、繁華街とは遠い、アクセスが不便な場所に建てられた。
人々の記憶から、震災が消えゆく速度は加速している。
「震災が過去のものになる」…、
それは喜ぶべきことなのかも知れない。
だが…。
このままでいいのだろうか?
このまま、震災の記憶が風化してしまっていいのだろうか?
絶望の淵から這い上がろうとしたパワー。
人と人との触れ合い。暖かさ。
そして、神戸を愛する想い。
あの時、私はとても大切なものを見たような気がする。
人間の一番奥底にある、輝きを感じたような気がする。
もし、震災の記憶とともに、あの素晴らしいものまで消えてしまうとしたら…。
それは、本当にいいことなのだろうか…。
去る2002年、12月25日。
神戸ルミナリエ最終日。いよいよ、消灯まであと数分、という時刻。
私はルミナリエの光の下に居た。
最後の消灯の瞬間を見たい、という思いからだった。
そこで…思いもかけず、素晴らしい場面に立ち会うことができた。
ルミナリエの光のアーチの下で、整列し、祈りを捧げる方々がいた。
「震災被害者の慰霊を目的に始まったルミナリエ・・・」
と、消灯が近いことを告げるアナウンス。
やがて、流れてきた合唱曲。
「地震になんか負けない…神戸を愛していこう…」
そんなメッセージが込められた歌詞だった。
その時、ルミナリエは決して「お祭り」なんかじゃなかった。
確かに、震災で亡くなった人達を慰霊する、「祈りの場所」だった。
あまりの厳かな雰囲気に、私は熱いものを押さえきれず、自然と涙がこぼれた…。
神戸も必死なのだ。
商業化の懸念や、資金難が毎年叫ばれるルミナリエ。
当初の目的が薄れてきているルミナリエ。
ルミナリエだけではない。
神戸の街そのものから、震災の記憶が消えつつある今、
どうやってその記憶を残して行くか、伝えて行くか。
その道を必死に探しているのだ。
私は微力ながらも、ずっと訴え続けていきたい。
あの震災の記憶を、失わずにいようと。
一年間365日、ずっとその事を考えよう!…とは言わない。
でも、せめて「あの日」…1月17日だけは、
静かに目を閉じて思い出そう。
あの時の記憶。
あの時の荒廃した神戸の街。
そして・・・あの時の、人の心のぬくもり。
――――― 今年もまた、1月17日がやってくる。
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