▲TOPページへ


1月17日が来る

 

今年もまた、1月17日がやってくる。
そう…1995年のこの日、大地震が神戸周辺を襲った。
いわゆる「阪神・淡路大震災」だ。

あれから8年…。
神戸の街は、完全に賑わいを取り戻した。
私は神戸が凄く好きなので、良くぶらりと出かける。
ここ数年、色々な場所を訪れたが、震災の名残は滅多に見ることは無い。
今や、震災の傷跡を見つけるほうが難しい。
神戸市市役所近くの公園「東遊園地」に行けば、
慰霊碑や、震災直後に止まった時計等を目にすることができるが、
あくまで局地的なモニュメントである。

震災直後は、「神戸はもうダメだ」と言われた。
壊滅的な被害を受け、もはやかつての賑わいを取り戻すことは不可能と言われた。
だが・・・今、華やかな神戸の街並みを歩くと、
あの頃の事がウソのように思えてくる。

もはや、震災の記憶は薄れつつある。
それは疑うべくもない。
あの日のガレキの山、忌まわしい記憶。
そんなものにとらわれなくとも、今、光輝く神戸の街がある。

「震災被害者の鎮魂」を目的として始まった神戸ルミナリエは、
商業化が進み、その意義が薄れてきている。
三宮中心街にあった「震災復興支援センター」は取り壊され、
その代わりとなる「震災記念館」は、繁華街とは遠い、アクセスが不便な場所に建てられた。
人々の記憶から、震災が消えゆく速度は加速している。
「震災が過去のものになる」…、
それは喜ぶべきことなのかも知れない。

だが…。

このままでいいのだろうか?
このまま、震災の記憶が風化してしまっていいのだろうか?

絶望の淵から這い上がろうとしたパワー。
人と人との触れ合い。暖かさ。
そして、神戸を愛する想い。

あの時、私はとても大切なものを見たような気がする。
人間の一番奥底にある、輝きを感じたような気がする。
もし、震災の記憶とともに、あの素晴らしいものまで消えてしまうとしたら…。
それは、本当にいいことなのだろうか…。

 

去る2002年、12月25日。
神戸ルミナリエ最終日。いよいよ、消灯まであと数分、という時刻。
私はルミナリエの光の下に居た。
最後の消灯の瞬間を見たい、という思いからだった。
そこで…思いもかけず、素晴らしい場面に立ち会うことができた。

ルミナリエの光のアーチの下で、整列し、祈りを捧げる方々がいた。
「震災被害者の慰霊を目的に始まったルミナリエ・・・」
と、消灯が近いことを告げるアナウンス。
やがて、流れてきた合唱曲。
「地震になんか負けない…神戸を愛していこう…」
そんなメッセージが込められた歌詞だった。

その時、ルミナリエは決して「お祭り」なんかじゃなかった。
確かに、震災で亡くなった人達を慰霊する、「祈りの場所」だった。
あまりの厳かな雰囲気に、私は熱いものを押さえきれず、自然と涙がこぼれた…。

神戸も必死なのだ。
商業化の懸念や、資金難が毎年叫ばれるルミナリエ。
当初の目的が薄れてきているルミナリエ。
ルミナリエだけではない。
神戸の街そのものから、震災の記憶が消えつつある今、
どうやってその記憶を残して行くか、伝えて行くか。
その道を必死に探しているのだ。

私は微力ながらも、ずっと訴え続けていきたい。
あの震災の記憶を、失わずにいようと。
一年間365日、ずっとその事を考えよう!…とは言わない。
でも、せめて「あの日」…1月17日だけは、
静かに目を閉じて思い出そう。

あの時の記憶。
あの時の荒廃した神戸の街。
そして・・・あの時の、人の心のぬくもり。

 

――――― 今年もまた、1月17日がやってくる。

 

 

 

 

「僕の思うこと」インデックスページへ

トップページへ