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どんな人にも歩んできた人生があるように、
こんなちっぽけなHPにも歴史がある。
それをここに記す。

<タイトル画像コレクション>

 

1・前身「もう一度、福男選びに。」

このHPの前に、あるHPの存在がある。
2000年3月下旬、右足が切断されるかどうかという恐怖と戦っていた時期だ。兄貴にあることを相談してみた。
俺のHP、作ってくれへんか?
意外にも、兄貴は快く了承してくれた。その時の返事は、
おっけー、おっけー
だったと記憶している。
まだ、ほとんどPCを触ったこともなかった当時の私、もちろん自分ではPCを所有していない。そんな時、なぜHPなど持ちたくなったのか?と疑問に思うかも知れない。理由は簡単だ。
「希望が欲しかった」。
この頃私の足の骨は細菌に感染していることが判明、切断も覚悟しておいてくれと医者に言われた直後だった。自分の右足が無くなるかもしれない・・・その恐怖と真っ向から立ち向かうため、ある事に希望を求めたのだ。
それが「福男選び」だ。毎年参加し、卑しくも一部では「名物男」とされて来た私。絶対この怪我に打ち勝って、来年の福男選びを走ってやる!・・・その決意が、その時の私を支えていたように思う。
そして、その思いを何か形にしたかった。そこで思いついたのが、まだ未知の領域であったインターネットであった。西宮神社権禰宜(ごんねぎ)・吉井さんや、福男選びを研究している荒川さんに協力を仰ぎ、資料を取り寄せ、原稿を書き始めた。
その題名も、あくまでストレート。
もう一度、福男選びに。」
このHPの題名が、このときの私の全てを表していたように思う。

そして・・・2000年6月13日。
兄貴から、一通の携帯メールが届く。ホームページアドレスだけの内容だった。
急いで、手に入れたばかりのノートパソコンでアクセスしてみる。そして、私の目に飛び込んできたHP。このときの感動は、言葉には言い表せないものだった。まだ、「プロフィール」と「要日記、「掲示板」だけしか選択できない未完成なものだったが・・・。

 

2000年6月13日 平尾亮ホームページ「もう一度、福男選びに。」開設。

 

2・たった一度の更新

HPは開設されたものの、日記と掲示板しか稼動していないのは、あまりにも寂しい。できれば、福男選びの写真・資料も見れるようにして欲しい・・・と、兄貴に伝える。兄貴の答えは、
「おっけー、おっけー」
であった。
しかしその更新は、 何ヶ月も先になるのであった。兄貴は仕事がホンマに忙しいらしく、自分のHPの更新もままならない状態だという。だが、HPのコンセプトからも解るように、私のHPは恒久的なものでは無い。そのこともあり、早く更新して欲しかったのだ。
「出来るだけ、早く更新してくれへんか」
「おっけー、おっけー」
このやり取りは、何度も繰り返された。

そして、9月のある日、兄貴から電話が。
「おう、更新したったぞ」。
見てみると・・・たしかに更新されていた。タイトルロゴには背景がつき、今まで選択する事さえ出来なかった「福男選びとは?」「資料集」も見れるようになっていた。圧倒的に情報量は少なかったが・・・。

これが、HP「もう一度、福男選びに。」の最初で最後の更新となった。

 

2000年9月 「もう一度、福男選びに。」第一回・兼最終更新更新。

 

「もう一度、福男選びに。」HOME
最終更新後のトップページ。
管理は完全に兄貴に委託しており、自分のHPにも関わらず最後まで管理パスワードさえ知らなかった。

このページ構成は現在も私の基本となっている。

 

「福男選び」とは?
ほとんどそのまま、現在も使われている。
いわゆる手抜きというやつだ。
 
作者について
いわゆるプロフィール。 自己紹介というよりも、「福男選び」への思いが綴られていた。

 

要日記
結局一度も更新されることは無かった。
現在の「もう一度、あの場所へ」
資料集
紹介されたのは西宮神社広報誌とハガキ。
いずれは新聞記事なども掲載する予定だった。

 

3・新たなHPの製作

月日は流れ、2001年1月10日「福男選び」は行われ、私は松葉杖で参加した。
そして私の心の中に大きな思いを残し、終わった。

「福男選び」が終わったという事はすなわち、私のHPは、その役割を終えたということになる。
サブタイトルの「~2001年1月10日を目指して~」が示すとおり、私のHPは2001年の福男選びを目指していくものであって、それが終われば、もう存在している意味が無いのだ。

すぐ閉鎖してしまうことも考えた。しかし・・・インターネットという広い世界の中で、私の居場所が存在することに密かな喜びを感じ始めていた私には、簡単にHPを閉鎖することは出来なかった。
そのあと何ヶ月も、全く更新されない状態(掲示板だけ機能している)が続いた。

そしてある日、決心した。「新たなHPを立ち上げよう」と。
出来るだけ自分で学び、調べ、胸を張って「私のHPだ」と言えるものを作りたい。
そのことを兄貴に話したところ、すぐに私のPCに、「DREAM WEABER」というHP作成ツールをインストールしてくれた。
聞けば、プロのウェブデザイナーも使っている代物だとか。果たして私に使いこなせるのだろうか・・・?
決意と不安が、私の心の中で渦巻いていた。
2001年4月15日、私が25歳になってから3日後のことである。

 

2001年4月15日 新たなホームページ製作開始。

 

4・新HP「遠い目をしていた、あの日の空。」オープン

元々、自他共に認める超アナログ人間な私。携帯電話を持ったときでさえ、友人達から「お前が携帯持つなんて考えられへん!!」と驚かれたぐらいだ。
そんな私が、まさに「一から」独学で勉強してホームページを作ろうというのだ。
当然の事ながら、製作は困難を極めた。
関連本を読みあさり、時には兄貴やPCに詳しい知り合いに助けを求め、凄まじくゆっくりと・・・しかしながら確実に完成へ向かっていった。

HPの題名は、結構早く決まった。
1:英語があまり好きではなく、日本語の響きを大切にしたいという思い
2:夕暮れ、夕焼けを連想させるような、郷愁を込めた響きがいい
3:前HPのように、句読点を含んだ落ちついた感じにしたい

を基準に考えた。
当時から知り合いのHPの掲示板で「・・・遠い目。」と表現するのが好きだった僕は、「遠い目」という言葉を入れようと考えた。
当初は仮題名、「遠い目をした、あの日の僕。」 として作り始めたが、何度かの修正の後に正式名称「遠い目をしていた、あの日の空。」となった。


どうせなら、一般においても重要な記念日にサイトオープンしたいという思いがあった。そこで目標として、日本において最も重要な記念日であろう・・・8月15日、終戦記念日にオープンすることを目標とし、製作を進める。
オープン直前は、掲示板や日記などのCGIスクリプトに苦しんだ。最後の2週間ほどは、空いている時間はほぼ全てHPの調整に費し、夜明けまでPCに向かう日が続いた。

そして8月15日、まだまだ未完成ながらも新・平尾亮HP「遠い目をしていた、あの日の空。」はなんとかオープンに辿り着く。
前HP製作を兄貴に打診してから約1年と5ヶ月、
製作に取りかかってから、ちょうど4ヶ月後のことだった。

 

2001年8月15日(終戦記念日)
新・HP「遠い目をしていた、あの日の空。」サイトオープン。

 

  開設当初の「遠い目をしていた、あの日の空。」のトップページ。
夕暮れをイメージして製作した。基本構成は今も変わっていない。

当時のタイトル画像に書かれている「The Twilighit Memories since 1976」 は、思い出はいつも黄昏色に染まっていく・・・という思いから記した。
ちなみに1976年
は、私の生まれた年である。

メインコンテンツの「何処か遠くへ~旅~」も紹介は僅か2つ(今津灯台と西宮砲台)、「福男選び」の情報も少なかった。

 

5・開設当初 ~模索~

いよいよ自分のHPが開設された。開設当日のカウンタは約140にまで回った。管理人が覗きに来た数が多く含まれているとはいえ(笑)、たくさんの方が訪れて下さり、とてもいいスタートを切れたと思う。
しかし、なにぶんPC初心者が管理するHPである。どこをどう更新して行くべきか、模索に模索を繰り返しながら更新を続けて行く。

そして、2002年度の「福男選び」が近づいてきた。「福男選び」コンテンツは、このHPにおいてとても重要な位置を占めている。ここぞとばかり、福男選び紹介記事をUPしていく「福男情報」コンテンツを臨時開設。また多くの人に「福男選び」を知ってもらうためのコンテンツ「福男に参加しよう」を開設。
実際に見てくれていた人は少なかったようだが、このHPにとって意義のあるものであったと思う。

「福男選び」後、私のテレビ紹介もあり、「検索エンジンで辿りつきました」という人も多く来て下さった。 また、私が「福男選び」当日に参拝客に配っていた自作新聞「福男新報」にURLを記しているのを見て・・・という人もいた。

今までの訪問者はHP開設以前からの知り合いが多かったが、これをきっかけに色々な方が訪れてくれるようになった。2002年度「福男選び」は、自分自身にとってもこのHPにとっても、大きなターニング・ポイントになったのは間違い無い。

HPの運営に充実感を感じ始めたのはこの頃だった。

 

 

クリスマスバージョン(左)と、「福男選び」バージョン(右)のトップページ。
クリスマスは「静かに降る雪」、福男は「決戦」をイメージして製作。
リニューアルの度、トップページの作成には頭を悩ませている。
ただ適当に変更するのでは無く、季節感や自分の思いが伝わるようにしたい。

 

6・サーバ移転

年末から「何処か遠くへ~旅~」の「沖縄編」の公開を進める。特に南部戦跡紹介は、私の沖縄への思いを込めて製作した。
順次UPしていったが、なにぶん写真を多用しているため容量が大きくなる。このため、ついに当時設置していたサーバ容量が底をついた。
そこで、レンタルサーバへの移転を決意。移転作業を進める。

ただ移転するだけでは意味が無いので、これを期にHPの各所にリファインを加えていく。特に重要視したのは掲示板のアイコン。元々全てオリジナルで書き上げたものだが、今から見るとあまりにも雑に書かれていたので、全てのアイコンを見直した。
ほとんどのアイコンはバランスを整えたりドット抜けを埋める・・・といった程度だったが、中には「ブレザームーン」「りゅう」のように、一から書き起こしたと同然に手直ししたものもあった。また、「だるま」「かっぱ」などのアイコンを数個追加した。
掲示板は訪問者が色々なことを書きこんでくれる重要な場所。少しでも気持ち良く利用してもらいたいという思いがあるので、掲示板の管理には特に重点を置いていきたい。


サーバ移転は、改めてサイト管理の難しさ、そして楽しさを認識する機会となった。
URLも変わり心機一転、マンネリにならぬよう、そして訪問してくれる人にとって、一層「心地よい」と感じてもらえる空間を目指していきたいと思う。

 

アイコン「ねずみ

アイコン「りゅう

アイコン「ブレザームーン

 

2002年3月27日 サーバ移転・各所リファイン。

 

7・10000HIT

2002年4月11日、当HPはトップページのカウンタが10000を超えた。開設から約8ヶ月での到達だった。上の絵は、当日の日記に載せた感謝画像。

サイト開設当初は「10000」という数字はひとつの大きな憧れであった。ネットに足を踏み入れた当時、訪れたサイトのカウンタが「10000」を超えているのをを見て、「うおっ!こんな凄いサイトもあるのか!」とビビッたのを覚えている。
その数字を自分のHPで達成できた喜びは、なにものにも替え難いものだった。
ちなみに10000HITしたのは、私の誕生日の前日。これ以上無いバースデープレゼントとなった。

かつてはPCを扱う人は特別視されていたが、今や小学生でもネット経験は当たり前の時代。数年前ほどこの「10000」は価値が無いかもしれない。
また、 今のネット界には、一日に何千、何万アクセスを稼ぐHPもある。 このHPが8ヶ月かかった数字の何倍ものアクセスを、僅か一日で得るHPもあるのだ。その観点から見れば、この「10000」はちっぽけなものかも知れない。

それでもやっぱり、憧れの数字に達した事は嬉しかった。そしてそれ以上に、「カウンタ負け」しないサイトを作り上げていきたい・・・と身を引き締めた。

もちろん、ただ数字が増えればいいというものではない。訪問者が楽しんでくれた「1」は、つまんね~とすぐ帰ってしまった「100」よりも価値がある。内容あるカウンタ増加を目指し、サイト充実を計っていきたい。

 

8・サイト開設一周年


2002年8月15日。
この日で、当HP「遠い目をしていた、あの日の空。」は開設から一周年を迎えた

ぶっちゃけ普通にサイトをやっていたら、一年後には自然に来る日である。でもやっぱり嬉しいのだ。

サイトを運営していたら色んな事がある。ネット上でのトラブルに巻き込まれ、サイト運営を放棄したくなった時期もあった。しかしそれを私にさせなかったのは、この一年間感じていた「充実感」だった。
このサイトを通じて感動したり、喜んだり。そして何より、たくさんの人と出会えた。それを励みにしてこのサイトを続けてこれた思う。

先のことはどうなるか解らない。二周年、三周年・・・と迎えられるどうかは自信は無い。でも、このサイトで得られた色んなものを力にして、できる限り続けて行きたい。

そして何よりも。
この一年間にこのサイトを訪れてくれた全ての人に・・・ありがとう

 

2002年8月15日 サイト開設一周年。

 

9・エキスポタワーとの出会い

2002年3月。私は新聞の片隅に、小さな記事を発見する。
エキスポタワー解体決定」。
大阪。・万博跡地に残る鉄塔が、老朽化のため解体・撤去が決定した、というものだった。


 

ずっと気になっていた塔だったが、それから初めて、その塔が「日本万国博覧会」のシンボルタワーであったこと、「未来」の象徴だったこと、そして何より、エキスポタワー」という名前だということを知った。

エキスポタワーの製作コンセプト、デザイン、歩んできた歴史など、全てに惹かれた私は、「どこか遠くへ~旅~」に載せようと決意。

取材は足掛け一年間に渡った。その当時のエキスポタワーの観察から、新聞記事等の収集、解体されていく塔の姿を追った。

2003年3月、エキスポタワー解体工事完了。
それとともに、「何処か遠くへ~旅~・エキスポタワー」の更新を停止する。

ここで私は、今までにないチャレンジをしようと考えた。
「エキスポタワーの最後を締めくくる、Flashムービーを製作する」というものだった。

今まで幾度となく挑み、挫折してきたFlash。しかしながら今回は粘り強く勉強し、ついに

Flash Movie
   「エキスポタワー 
       ~過去が夢見た未来の塔~

を完成させた。
消えていったタワーへ贈った、私なりの「メッセージ」であった。

 

一年間、エキスポタワーを取材したことによって、私の中で何かが変わり始めた。具体的にどう変わったか・・・は言葉にはできない。
だがひとつ言えるとすれば、以前より大きな視野で、世界を見れるようになったような気がする。

たったひとつの出会いが、人の人生を変えてしまうことがある。その出会いは、必ずしも「人」との出会いとは限らない。
ある人には一冊の本であったり、ある人には一曲の歌であったり。一編の詩ということもあるだろう。思いもかけない小さな出会いが、自分が大きく変わる切っ掛けとなることがあるのだ。

今回は、私にとってその「ひとつの出会い」が、エキスポタワーだったのだ。


次なる「出会い」はいつ訪れるのだろうか。

 

10・サイト開設二周年・TOPページリニューアル

2003年8月15日。
この日は当HPの開設2周年記念日である。
多忙のためになかなか更新できない状態ではあったが、多くの訪問者の方々に支えられて運営を続けてこれた。皆さんには心から感謝したい。

その記念日を機会に、TOPページを根本的にリニューアルした。
開設してから何度か容量を軽くする作業は行ったが、ここまで「作り直した」のは初めてだった。

 

 

これまでのTOPページは、大きなタイトル画像を上部に配置し、各メニューの文字上にポインタを載せると、メニュー中央にあるウィンドウに説明が出るというJAVAスクリプトが使われていた。個性のあり、グラフィカルで気に入ってはいたのだが、
・容量が大きい
・ページが縦に長くなってしまう

という欠点を抱えていた。

今回はその欠点を改善すべく、新たなTOPページを制作。
まずJAVAスクリプトの仕掛けを廃止し、メニュー解説文をテキスト化。タイトル画像を小さくし、さらにそのタイトル横に「更新情報」を配置することによってページ長を短くした。また、メニュー横にはサムネイルをつけ、視覚的な楽しさを損なわないように心がけた。

TOPページはサイトの「顔」。訪問者を楽しませられるようなものにしていきたい。

 

2002年8月15日 
サイト開設二周年、TOPページリニューアル。

 

To be continued...

 

 

「遠い目をしていた、あの日の空。」タイトル画像コレクション
(サムネイルをクリックすると大きな画像が出ます)
ススキと夕日」 2001年8月15日~8月31日
開設当初のタイトル画像。友人からもらったお気に入り写真をバックに。
四苦八苦して作ったのを覚えている。GIF形式で容量も大きめ。
沖縄・首里城」 2001年9月1日~9月14日
沖縄に2週間滞在することになったので、思いきってポップな感じに。
写真は大学4回生時、友人達と卒業旅行で行った首里城。
遠き夕日」 2001年9月15日~12月3日
タイトル字体を変え、全体的に紫を基調に仕上げてみた。
画像下の英字が「Just an old fashioned love song.」に。
メリークリスマス・トゥーユー」 2001年12月4日~12月25日
迷ったあげく、白く仕上げたクリスマスバージョン。割と好評だった。
このタイトルから美しさと容量を考慮し、JPEG画像にした。
決戦の朝、近づく。」 2002年12月26日~1月10日
かなり気合を入れて作った「福男選び」バージョン。
壁紙も燃えるような赤にし、決戦ムードを高めた。お気に入りの一枚。
全てが終り、全てが始まる。」 2002年1月11日~1月20日
「福男選び」が終了したに伴い、「祭りの後の静けさ」を出した。
バックは西宮神社・赤門の夕日れ。
移り変わる時間」 2002年1月21~2月26日
福男選び終了後に足が悪化し、再入院することになった。
その入院中のタイトル画像なので、あくまでシンプルに徹した。
 
ほら、春の足音。」 2002年2月27日~3月26日
春の訪れを表現するため、画像にソフトフォーカスをかけた。
写真は入院中に撮った、随心院の白梅。
スプリング・ハズ・カム」 2002年3月27日~4月15日
桜の季節の到来とともに、タイトル画像も桜に。
この年は桜の異常な早咲き。画像交換時期を焦った。
花、空、風...春の彩り。」 2002年4月16日~5月6日
春のうららかな日差しをイメージして製作。
写真はわが街の河川敷に植えられていたチューリップ。

平和への祈り、この岬から。」 2002年5月7日~6月11日
初めて、HPの更新と連動させた。喜屋武岬の平和の塔。
「何処か遠くへ~旅~」の沖縄南部戦跡編終了を記念して製作。

サンタマリア号と夕日」 2002年6月12日~6月30日
当HPの原点である「夕日」をモチーフにした。
写真は、大阪・天保山。遊覧船サンタマリア号のシルエット。
星に願いを。」 2002年7月1日~7月7日
わずか一週間のみに使われた、七夕バージョン。
私の最も好きな暦「七夕」を演出したかった。
球場からの夕暮れ」 2002年7月8日~7月31日
当時、取り壊しが決定していた阪急西宮スタジアムからの西の空。
派手さは無いが、思い入れのある一枚である。
夜空を彩る、一瞬の輝き。」 2002年8月1日~8月14日
本格的な夏、花火シーズンの訪れに合わせた花火タイトル。
花火は美しく、一瞬で消える。その儚さが人々の心を打つのだろう。
ありがとう、一周年!」 2002年8月15日~9月2日
サイト開設一周年を記念して製作したタイトル画像。
掲示板のアイコンを使い、明るい雰囲気に。感謝を伝えたかった。
Good-Bye Expotower.」 2002年9月3日~9月30日
エキスポタワー解体工事開始に合わせて製作した。
夕暮れに解け込んでゆくタワーのシルエット。
小さな観覧車」 2002年10月1日~10月31日
行きつけのスーパーの屋上にある、朽ち果てた小さな観覧車。
派手さは無いが、お気に入りの一枚。
秋に咲く、桜もあります。」 2002年11月1日~11月22日
秋の地味なイメージを覆す、コスモス畑のタイトル。
この時期に咲く花は、独特の雰囲気を持っていると感じる。
Glowing Autumn...」 2002年11月23日~12月10日
深まって行く秋に合わせ、紅葉のバージョンに。
誰も座っていないベンチはどことなく寂しげで、絵になる。
Happy Christmas...」 2002年12月11日~12月25日
苦労して製作したクリスマスバージョン。
100円ショップで素材を集めて撮った。映像のマジック・・・。
また、あの朝が来る。」 2002年12月26日~2003年1月12日
今までに無いほど力を入れて作った、2003年福男タイトル。
開門時の全てが解き放たれる爆発、スピード感を表現した。
再び会おうぜ、この場所で。」 2003年12月13日~2月13日
去年と同じく、福男終了後は赤門。
「祭りのあと」は、寂しさと清々しさが交錯する。。
そろそろ咲いても・・・いいよね。」 2003年2月14日~3月24日
春の訪れとともに、咲き始めた梅の花をタイトルに。
花たちは敏感に春を感じとり、寒さをはらうように花を咲かせる。
その名は・・・エキスポタワー。」 2003年3月25日~5月12日
3月に解体・撤去工事が終了した、エキスポタワーの在りし日の姿。
この素晴らしい塔のことを、私は一生忘れることは無いだろう 。
心に鮮やか、春の色彩。」 2003年5月13日~6月12日
遅ればせながら、色鮮やかな春バージョンに。
春の草花は視覚だけでなく、心にまで鮮やかに染み渡る。
あした、天気になあれ。」 2003年6月13日~7月1日
梅雨バージョン・おっちゃんテルテル坊主。 近所の河原で撮影。
リニューアルに向けたテストとして、画像をひと回り小さめに。
お願い事、かなうかな。」 2003年7月1日~7月26日
タイトルを直接、写真の中に含めてみた七夕バージョン。
小さめの短冊に注目。「愛ちゃ××・・・お×・・・」。
眩しい空の彼方に。」 2003年 7月27日~8月14日
長い梅雨が明け、本格的な夏の訪れに合わせて製作。
爽やかな空と、神戸・ ポートタワーのシルエット。
機上より」 2003年8月15日~9月8日
本格的なトップページのリニューアル。タイトル画像もサイズ変更。
このHPの新たな出発に相応しい、美しい沖縄上空。
月兎」 2003年9月9日~10月17日
仲秋の名月をイメージした、シンプルな月兎バージョン。
素敵な月の素材を提供して下さった素材屋さんに感謝。
秋穂輝く夕暮れ」 2003年10月18日~11月17日
秋の深まりとともに、少し寂しげなイメージの画像に。
夕焼けに輝く秋穂。しばし時間を忘れるほど、美しい秋の情景。
未来の塔、最後の秋」 2003年11月18日~12月10日
2002年秋に撮影した、エキスポタワー在りし日の遠景。
今はもう存在しない“未来の塔”、その存在の大きさを痛感。
Silent X'mas for you...」 2003年12月11日~12月25日
しんしんと降る雪の中。火を囲む、サンタと二人の天使たち。
画像の中にストーリを込めた、2003年クリスマスバージョン。
平成16年度福男選び」 2003年12月26日~2004年1月16日
毎年恒例、福男選びバージョン。
福の字を大胆に配置し、スピード感を出した。
あの日のこと、忘れない。」 2004年1月17日~2月3日
1月17日、阪神大震災の日。
あの時に起こったこと、忘れない。
太陽の塔」 2004年2月4日~3月23日
万博公園内、日の光に輝く太陽の塔。
この時、太陽の塔内部公開のレポートもUP。
春が来た。」 2004年3月24日~5月12日
いよいよ桜も咲き始め、本格的な春の訪れ。
桜の淡いピンクと、青い空のコントラストが美しい。
東京ベイ」 2004年5月13日~7月3日
東京旅行の時に撮った、さわやかな朝の港。
遠くの対岸に、特徴的な某TV局の建物が見える。
七夕飾りと月」 2004年7月4日~7月7日
神戸ポートタワーの七夕飾りと、夏の月。
七夕にだって、月は美しく、優雅に空に浮かぶ。
時計塔、澄んだ空」 2004年7月8日~8月17日
夏の暑さを和らげる影、空の青。
建物は和歌山・ポルトヨーロッパ。
神戸港の花火」 2004年8月16日~9月2日
夏まっさかり、連日のように行われる花火大会。
神戸の夜景をバックに、打ち上げられる花火に思わず見とれる。
平和祈念像」 2004年9月4日~
右腕は原爆の脅威を。左腕は平和を。閉じた瞳は冥福を。
偶像化と戦いながら、平和祈念像は長崎で訴え続ける。
随時追加していきます。