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1・前身「もう一度、福男選びに。」 このHPの前に、あるHPの存在がある。 そして・・・2000年6月13日。 |
2000年6月13日 平尾亮ホームページ「もう一度、福男選びに。」開設。
2・たった一度の更新 HPは開設されたものの、日記と掲示板しか稼動していないのは、あまりにも寂しい。できれば、福男選びの写真・資料も見れるようにして欲しい・・・と、兄貴に伝える。兄貴の答えは、 そして、9月のある日、兄貴から電話が。 これが、HP「もう一度、福男選びに。」の最初で最後の更新となった。 |
2000年9月 「もう一度、福男選びに。」第一回・兼最終更新更新。
「もう一度、福男選びに。」HOME 最終更新後のトップページ。 管理は完全に兄貴に委託しており、自分のHPにも関わらず最後まで管理パスワードさえ知らなかった。 このページ構成は現在も私の基本となっている。 |
「福男選び」とは? ほとんどそのまま、現在も使われている。 いわゆる手抜きというやつだ。 |
作者について いわゆるプロフィール。 自己紹介というよりも、「福男選び」への思いが綴られていた。 |
要日記 結局一度も更新されることは無かった。 現在の「もう一度、あの場所へ」 |
資料集 紹介されたのは西宮神社広報誌とハガキ。 いずれは新聞記事なども掲載する予定だった。 |
3・新たなHPの製作 月日は流れ、2001年1月10日「福男選び」は行われ、私は松葉杖で参加した。 「福男選び」が終わったという事はすなわち、私のHPは、その役割を終えたということになる。 すぐ閉鎖してしまうことも考えた。しかし・・・インターネットという広い世界の中で、私の居場所が存在することに密かな喜びを感じ始めていた私には、簡単にHPを閉鎖することは出来なかった。 そしてある日、決心した。「新たなHPを立ち上げよう」と。 |
2001年4月15日 新たなホームページ製作開始。
4・新HP「遠い目をしていた、あの日の空。」オープン HPの題名は、結構早く決まった。
そして8月15日、まだまだ未完成ながらも新・平尾亮HP「遠い目をしていた、あの日の空。」はなんとかオープンに辿り着く。 |
2001年8月15日(終戦記念日)
新・HP「遠い目をしていた、あの日の空。」サイトオープン。
開設当初の「遠い目をしていた、あの日の空。」のトップページ。 夕暮れをイメージして製作した。基本構成は今も変わっていない。 当時のタイトル画像に書かれている「The Twilighit Memories since 1976」 は、思い出はいつも黄昏色に染まっていく・・・という思いから記した。 ちなみに1976年は、私の生まれた年である。 メインコンテンツの「何処か遠くへ〜旅〜」も紹介は僅か2つ(今津灯台と西宮砲台)、「福男選び」の情報も少なかった。 |
5・開設当初 〜模索〜 いよいよ自分のHPが開設された。開設当日のカウンタは約140にまで回った。管理人が覗きに来た数が多く含まれているとはいえ(笑)、たくさんの方が訪れて下さり、とてもいいスタートを切れたと思う。 しかし、なにぶんPC初心者が管理するHPである。どこをどう更新して行くべきか、模索に模索を繰り返しながら更新を続けて行く。 そして、2002年度の「福男選び」が近づいてきた。「福男選び」コンテンツは、このHPにおいてとても重要な位置を占めている。ここぞとばかり、福男選び紹介記事をUPしていく「福男情報」コンテンツを臨時開設。また多くの人に「福男選び」を知ってもらうためのコンテンツ「福男に参加しよう」を開設。 実際に見てくれていた人は少なかったようだが、このHPにとって意義のあるものであったと思う。 「福男選び」後、私のテレビ紹介もあり、「検索エンジンで辿りつきました」という人も多く来て下さった。 また、私が「福男選び」当日に参拝客に配っていた自作新聞「福男新報」にURLを記しているのを見て・・・という人もいた。 今までの訪問者はHP開設以前からの知り合いが多かったが、これをきっかけに色々な方が訪れてくれるようになった。2002年度「福男選び」は、自分自身にとってもこのHPにとっても、大きなターニング・ポイントになったのは間違い無い。 HPの運営に充実感を感じ始めたのはこの頃だった。 |
クリスマスバージョン(左)と、「福男選び」バージョン(右)のトップページ。 クリスマスは「静かに降る雪」、福男は「決戦」をイメージして製作。 リニューアルの度、トップページの作成には頭を悩ませている。 ただ適当に変更するのでは無く、季節感や自分の思いが伝わるようにしたい。 |
6・サーバ移転 ただ移転するだけでは意味が無いので、これを期にHPの各所にリファインを加えていく。特に重要視したのは掲示板のアイコン。元々全てオリジナルで書き上げたものだが、今から見るとあまりにも雑に書かれていたので、全てのアイコンを見直した。
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アイコン「ねずみ」 アイコン「りゅう」 アイコン「ブレザームーン」 |
2002年3月27日 サーバ移転・各所リファイン。
7・10000HIT |
2002年4月11日、当HPはトップページのカウンタが10000を超えた。開設から約8ヶ月での到達だった。上の絵は、当日の日記に載せた感謝画像。 サイト開設当初は「10000」という数字はひとつの大きな憧れであった。ネットに足を踏み入れた当時、訪れたサイトのカウンタが「10000」を超えているのをを見て、「うおっ!こんな凄いサイトもあるのか!」とビビッたのを覚えている。 その数字を自分のHPで達成できた喜びは、なにものにも替え難いものだった。 ちなみに10000HITしたのは、私の誕生日の前日。これ以上無いバースデープレゼントとなった。 かつてはPCを扱う人は特別視されていたが、今や小学生でもネット経験は当たり前の時代。数年前ほどこの「10000」は価値が無いかもしれない。 また、 今のネット界には、一日に何千、何万アクセスを稼ぐHPもある。 このHPが8ヶ月かかった数字の何倍ものアクセスを、僅か一日で得るHPもあるのだ。その観点から見れば、この「10000」はちっぽけなものかも知れない。 それでもやっぱり、憧れの数字に達した事は嬉しかった。そしてそれ以上に、「カウンタ負け」しないサイトを作り上げていきたい・・・と身を引き締めた。 もちろん、ただ数字が増えればいいというものではない。訪問者が楽しんでくれた「1」は、つまんね〜とすぐ帰ってしまった「100」よりも価値がある。内容あるカウンタ増加を目指し、サイト充実を計っていきたい。 |
8・サイト開設一周年 |
2002年8月15日。 この日で、当HP「遠い目をしていた、あの日の空。」は開設から一周年を迎えた。 ぶっちゃけ普通にサイトをやっていたら、一年後には自然に来る日である。でもやっぱり嬉しいのだ。 サイトを運営していたら色んな事がある。ネット上でのトラブルに巻き込まれ、サイト運営を放棄したくなった時期もあった。しかしそれを私にさせなかったのは、この一年間感じていた「充実感」だった。 このサイトを通じて感動したり、喜んだり。そして何より、たくさんの人と出会えた。それを励みにしてこのサイトを続けてこれた思う。 先のことはどうなるか解らない。二周年、三周年・・・と迎えられるどうかは自信は無い。でも、このサイトで得られた色んなものを力にして、できる限り続けて行きたい。 そして何よりも。 この一年間にこのサイトを訪れてくれた全ての人に・・・ありがとう。 |
2002年8月15日 サイト開設一周年。
9・エキスポタワーとの出会い
2002年3月。私は新聞の片隅に、小さな記事を発見する。 |
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ずっと気になっていた塔だったが、それから初めて、その塔が「日本万国博覧会」のシンボルタワーであったこと、「未来」の象徴だったこと、そして何より、エキスポタワー」という名前だということを知った。 取材は足掛け一年間に渡った。その当時のエキスポタワーの観察から、新聞記事等の収集、解体されていく塔の姿を追った。 ここで私は、今までにないチャレンジをしようと考えた。 今まで幾度となく挑み、挫折してきたFlash。しかしながら今回は粘り強く勉強し、ついに |
一年間、エキスポタワーを取材したことによって、私の中で何かが変わり始めた。具体的にどう変わったか・・・は言葉にはできない。 だがひとつ言えるとすれば、以前より大きな視野で、世界を見れるようになったような気がする。 たったひとつの出会いが、人の人生を変えてしまうことがある。その出会いは、必ずしも「人」との出会いとは限らない。 ある人には一冊の本であったり、ある人には一曲の歌であったり。一編の詩ということもあるだろう。思いもかけない小さな出会いが、自分が大きく変わる切っ掛けとなることがあるのだ。 今回は、私にとってその「ひとつの出会い」が、エキスポタワーだったのだ。 次なる「出会い」はいつ訪れるのだろうか。 |
10・サイト開設二周年・TOPページリニューアル 2003年8月15日。 その記念日を機会に、TOPページを根本的にリニューアルした。 |
これまでのTOPページは、大きなタイトル画像を上部に配置し、各メニューの文字上にポインタを載せると、メニュー中央にあるウィンドウに説明が出るというJAVAスクリプトが使われていた。個性のあり、グラフィカルで気に入ってはいたのだが、 今回はその欠点を改善すべく、新たなTOPページを制作。 |
2002年8月15日
サイト開設二周年、TOPページリニューアル。
To be continued...