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どんな人にも歩んできた人生があるように、
こんなちっぽけなHPにも歴史がある。
それをここに記す。

<タイトル画像コレクション>

 

1・前身「もう一度、福男選びに。」

このHPの前に、あるHPの存在がある。
2000年3月下旬、右足が切断されるかどうかという恐怖と戦っていた時期だ。兄貴にあることを相談してみた。
俺のHP、作ってくれへんか?
意外にも、兄貴は快く了承してくれた。その時の返事は、
おっけー、おっけー
だったと記憶している。
まだ、ほとんどPCを触ったこともなかった当時の私、もちろん自分ではPCを所有していない。そんな時、なぜHPなど持ちたくなったのか?と疑問に思うかも知れない。理由は簡単だ。
「希望が欲しかった」。
この頃私の足の骨は細菌に感染していることが判明、切断も覚悟しておいてくれと医者に言われた直後だった。自分の右足が無くなるかもしれない・・・その恐怖と真っ向から立ち向かうため、ある事に希望を求めたのだ。
それが「福男選び」だ。毎年参加し、卑しくも一部では「名物男」とされて来た私。絶対この怪我に打ち勝って、来年の福男選びを走ってやる!・・・その決意が、その時の私を支えていたように思う。
そして、その思いを何か形にしたかった。そこで思いついたのが、まだ未知の領域であったインターネットであった。西宮神社権禰宜(ごんねぎ)・吉井さんや、福男選びを研究している荒川さんに協力を仰ぎ、資料を取り寄せ、原稿を書き始めた。
その題名も、あくまでストレート。
もう一度、福男選びに。」
このHPの題名が、このときの私の全てを表していたように思う。

そして・・・2000年6月13日。
兄貴から、一通の携帯メールが届く。ホームページアドレスだけの内容だった。
急いで、手に入れたばかりのノートパソコンでアクセスしてみる。そして、私の目に飛び込んできたHP。このときの感動は、言葉には言い表せないものだった。まだ、「プロフィール」と「要日記、「掲示板」だけしか選択できない未完成なものだったが・・・。

 

2000年6月13日 平尾亮ホームページ「もう一度、福男選びに。」開設。

 

2・たった一度の更新

HPは開設されたものの、日記と掲示板しか稼動していないのは、あまりにも寂しい。できれば、福男選びの写真・資料も見れるようにして欲しい・・・と、兄貴に伝える。兄貴の答えは、
「おっけー、おっけー」
であった。
しかしその更新は、 何ヶ月も先になるのであった。兄貴は仕事がホンマに忙しいらしく、自分のHPの更新もままならない状態だという。だが、HPのコンセプトからも解るように、私のHPは恒久的なものでは無い。そのこともあり、早く更新して欲しかったのだ。
「出来るだけ、早く更新してくれへんか」
「おっけー、おっけー」
このやり取りは、何度も繰り返された。

そして、9月のある日、兄貴から電話が。
「おう、更新したったぞ」。
見てみると・・・たしかに更新されていた。タイトルロゴには背景がつき、今まで選択する事さえ出来なかった「福男選びとは?」「資料集」も見れるようになっていた。圧倒的に情報量は少なかったが・・・。

これが、HP「もう一度、福男選びに。」の最初で最後の更新となった。

 

2000年9月 「もう一度、福男選びに。」第一回・兼最終更新更新。

 

「もう一度、福男選びに。」HOME
最終更新後のトップページ。
管理は完全に兄貴に委託しており、自分のHPにも関わらず最後まで管理パスワードさえ知らなかった。

このページ構成は現在も私の基本となっている。

 

「福男選び」とは?
ほとんどそのまま、現在も使われている。
いわゆる手抜きというやつだ。
 
作者について
いわゆるプロフィール。 自己紹介というよりも、「福男選び」への思いが綴られていた。

 

要日記
結局一度も更新されることは無かった。
現在の「もう一度、あの場所へ」
資料集
紹介されたのは西宮神社広報誌とハガキ。
いずれは新聞記事なども掲載する予定だった。

 

3・新たなHPの製作

月日は流れ、2001年1月10日「福男選び」は行われ、私は松葉杖で参加した。
そして私の心の中に大きな思いを残し、終わった。

「福男選び」が終わったという事はすなわち、私のHPは、その役割を終えたということになる。
サブタイトルの「〜2001年1月10日を目指して〜」が示すとおり、私のHPは2001年の福男選びを目指していくものであって、それが終われば、もう存在している意味が無いのだ。

すぐ閉鎖してしまうことも考えた。しかし・・・インターネットという広い世界の中で、私の居場所が存在することに密かな喜びを感じ始めていた私には、簡単にHPを閉鎖することは出来なかった。
そのあと何ヶ月も、全く更新されない状態(掲示板だけ機能している)が続いた。

そしてある日、決心した。「新たなHPを立ち上げよう」と。
出来るだけ自分で学び、調べ、胸を張って「私のHPだ」と言えるものを作りたい。
そのことを兄貴に話したところ、すぐに私のPCに、「DREAM WEABER」というHP作成ツールをインストールしてくれた。
聞けば、プロのウェブデザイナーも使っている代物だとか。果たして私に使いこなせるのだろうか・・・?
決意と不安が、私の心の中で渦巻いていた。
2001年4月15日、私が25歳になってから3日後のことである。

 

2001年4月15日 新たなホームページ製作開始。

 

4・新HP「遠い目をしていた、あの日の空。」オープン

元々、自他共に認める超アナログ人間な私。携帯電話を持ったときでさえ、友人達から「お前が携帯持つなんて考えられへん!!」と驚かれたぐらいだ。
そんな私が、まさに「一から」独学で勉強してホームページを作ろうというのだ。
当然の事ながら、製作は困難を極めた。
関連本を読みあさり、時には兄貴やPCに詳しい知り合いに助けを求め、凄まじくゆっくりと・・・しかしながら確実に完成へ向かっていった。

HPの題名は、結構早く決まった。
1:英語があまり好きではなく、日本語の響きを大切にしたいという思い
2:夕暮れ、夕焼けを連想させるような、郷愁を込めた響きがいい
3:前HPのように、句読点を含んだ落ちついた感じにしたい

を基準に考えた。
当時から知り合いのHPの掲示板で「・・・遠い目。」と表現するのが好きだった僕は、「遠い目」という言葉を入れようと考えた。
当初は仮題名、「遠い目をした、あの日の僕。」 として作り始めたが、何度かの修正の後に正式名称「遠い目をしていた、あの日の空。」となった。


どうせなら、一般においても重要な記念日にサイトオープンしたいという思いがあった。そこで目標として、日本において最も重要な記念日であろう・・・8月15日、終戦記念日にオープンすることを目標とし、製作を進める。
オープン直前は、掲示板や日記などのCGIスクリプトに苦しんだ。最後の2週間ほどは、空いている時間はほぼ全てHPの調整に費し、夜明けまでPCに向かう日が続いた。

そして8月15日、まだまだ未完成ながらも新・平尾亮HP「遠い目をしていた、あの日の空。」はなんとかオープンに辿り着く。
前HP製作を兄貴に打診してから約1年と5ヶ月、
製作に取りかかってから、ちょうど4ヶ月後のことだった。

 

2001年8月15日(終戦記念日)
新・HP「遠い目をしていた、あの日の空。」サイトオープン。

 

  開設当初の「遠い目をしていた、あの日の空。」のトップページ。
夕暮れをイメージして製作した。基本構成は今も変わっていない。

当時のタイトル画像に書かれている「The Twilighit Memories since 1976」 は、思い出はいつも黄昏色に染まっていく・・・という思いから記した。
ちなみに1976年
は、私の生まれた年である。

メインコンテンツの「何処か遠くへ〜旅〜」も紹介は僅か2つ(今津灯台と西宮砲台)、「福男選び」の情報も少なかった。

 

5・開設当初 〜模索〜

いよいよ自分のHPが開設された。開設当日のカウンタは約140にまで回った。管理人が覗きに来た数が多く含まれているとはいえ(笑)、たくさんの方が訪れて下さり、とてもいいスタートを切れたと思う。
しかし、なにぶんPC初心者が管理するHPである。どこをどう更新して行くべきか、模索に模索を繰り返しながら更新を続けて行く。

そして、2002年度の「福男選び」が近づいてきた。「福男選び」コンテンツは、このHPにおいてとても重要な位置を占めている。ここぞとばかり、福男選び紹介記事をUPしていく「福男情報」コンテンツを臨時開設。また多くの人に「福男選び」を知ってもらうためのコンテンツ「福男に参加しよう」を開設。
実際に見てくれていた人は少なかったようだが、このHPにとって意義のあるものであったと思う。

「福男選び」後、私のテレビ紹介もあり、「検索エンジンで辿りつきました」という人も多く来て下さった。 また、私が「福男選び」当日に参拝客に配っていた自作新聞「福男新報」にURLを記しているのを見て・・・という人もいた。

今までの訪問者はHP開設以前からの知り合いが多かったが、これをきっかけに色々な方が訪れてくれるようになった。2002年度「福男選び」は、自分自身にとってもこのHPにとっても、大きなターニング・ポイントになったのは間違い無い。

HPの運営に充実感を感じ始めたのはこの頃だった。

 

 

クリスマスバージョン(左)と、「福男選び」バージョン(右)のトップページ。
クリスマスは「静かに降る雪」、福男は「決戦」をイメージして製作。
リニューアルの度、トップページの作成には頭を悩ませている。
ただ適当に変更するのでは無く、季節感や自分の思いが伝わるようにしたい。

 

6・サーバ移転

年末から「何処か遠くへ〜旅〜」の「沖縄編」の公開を進める。特に南部戦跡紹介は、私の沖縄への思いを込めて製作した。
順次UPしていったが、なにぶん写真を多用しているため容量が大きくなる。このため、ついに当時設置していたサーバ容量が底をついた。
そこで、レンタルサーバへの移転を決意。移転作業を進める。

ただ移転するだけでは意味が無いので、これを期にHPの各所にリファインを加えていく。特に重要視したのは掲示板のアイコン。元々全てオリジナルで書き上げたものだが、今から見るとあまりにも雑に書かれていたので、全てのアイコンを見直した。
ほとんどのアイコンはバランスを整えたりドット抜けを埋める・・・といった程度だったが、中には「ブレザームーン」「りゅう」のように、一から書き起こしたと同然に手直ししたものもあった。また、「だるま」「かっぱ」などのアイコンを数個追加した。
掲示板は訪問者が色々なことを書きこんでくれる重要な場所。少しでも気持ち良く利用してもらいたいという思いがあるので、掲示板の管理には特に重点を置いていきたい。


サーバ移転は、改めてサイト管理の難しさ、そして楽しさを認識する機会となった。
URLも変わり心機一転、マンネリにならぬよう、そして訪問してくれる人にとって、一層「心地よい」と感じてもらえる空間を目指していきたいと思う。

 

アイコン「ねずみ

アイコン「りゅう

アイコン「ブレザームーン

 

2002年3月27日 サーバ移転・各所リファイン。

 

7・10000HIT

2002年4月11日、当HPはトップページのカウンタが10000を超えた。開設から約8ヶ月での到達だった。上の絵は、当日の日記に載せた感謝画像。

サイト開設当初は「10000」という数字はひとつの大きな憧れであった。ネットに足を踏み入れた当時、訪れたサイトのカウンタが「10000」を超えているのをを見て、「うおっ!こんな凄いサイトもあるのか!」とビビッたのを覚えている。
その数字を自分のHPで達成できた喜びは、なにものにも替え難いものだった。
ちなみに10000HITしたのは、私の誕生日の前日。これ以上無いバースデープレゼントとなった。

かつてはPCを扱う人は特別視されていたが、今や小学生でもネット経験は当たり前の時代。数年前ほどこの「10000」は価値が無いかもしれない。
また、 今のネット界には、一日に何千、何万アクセスを稼ぐHPもある。 このHPが8ヶ月かかった数字の何倍ものアクセスを、僅か一日で得るHPもあるのだ。その観点から見れば、この「10000」はちっぽけなものかも知れない。

それでもやっぱり、憧れの数字に達した事は嬉しかった。そしてそれ以上に、「カウンタ負け」しないサイトを作り上げていきたい・・・と身を引き締めた。

もちろん、ただ数字が増えればいいというものではない。訪問者が楽しんでくれた「1」は、つまんね〜とすぐ帰ってしまった「100」よりも価値がある。内容あるカウンタ増加を目指し、サイト充実を計っていきたい。

 

8・サイト開設一周年


2002年8月15日。
この日で、当HP「遠い目をしていた、あの日の空。」は開設から一周年を迎えた

ぶっちゃけ普通にサイトをやっていたら、一年後には自然に来る日である。でもやっぱり嬉しいのだ。

サイトを運営していたら色んな事がある。ネット上でのトラブルに巻き込まれ、サイト運営を放棄したくなった時期もあった。しかしそれを私にさせなかったのは、この一年間感じていた「充実感」だった。
このサイトを通じて感動したり、喜んだり。そして何より、たくさんの人と出会えた。それを励みにしてこのサイトを続けてこれた思う。

先のことはどうなるか解らない。二周年、三周年・・・と迎えられるどうかは自信は無い。でも、このサイトで得られた色んなものを力にして、できる限り続けて行きたい。

そして何よりも。
この一年間にこのサイトを訪れてくれた全ての人に・・・ありがとう

 

2002年8月15日 サイト開設一周年。

 

9・エキスポタワーとの出会い

2002年3月。私は新聞の片隅に、小さな記事を発見する。
エキスポタワー解体決定」。
大阪。・万博跡地に残る鉄塔が、老朽化のため解体・撤去が決定した、というものだった。


 

ずっと気になっていた塔だったが、それから初めて、その塔が「日本万国博覧会」のシンボルタワーであったこと、「未来」の象徴だったこと、そして何より、エキスポタワー」という名前だということを知った。

エキスポタワーの製作コンセプト、デザイン、歩んできた歴史など、全てに惹かれた私は、「どこか遠くへ〜旅〜」に載せようと決意。

取材は足掛け一年間に渡った。その当時のエキスポタワーの観察から、新聞記事等の収集、解体されていく塔の姿を追った。

2003年3月、エキスポタワー解体工事完了。
それとともに、「何処か遠くへ〜旅〜・エキスポタワー」の更新を停止する。

ここで私は、今までにないチャレンジをしようと考えた。
「エキスポタワーの最後を締めくくる、Flashムービーを製作する」というものだった。

今まで幾度となく挑み、挫折してきたFlash。しかしながら今回は粘り強く勉強し、ついに

Flash Movie
   「エキスポタワー 
       〜過去が夢見た未来の塔〜

を完成させた。
消えていったタワーへ贈った、私なりの「メッセージ」であった。

 

一年間、エキスポタワーを取材したことによって、私の中で何かが変わり始めた。具体的にどう変わったか・・・は言葉にはできない。
だがひとつ言えるとすれば、以前より大きな視野で、世界を見れるようになったような気がする。

たったひとつの出会いが、人の人生を変えてしまうことがある。その出会いは、必ずしも「人」との出会いとは限らない。
ある人には一冊の本であったり、ある人には一曲の歌であったり。一編の詩ということもあるだろう。思いもかけない小さな出会いが、自分が大きく変わる切っ掛けとなることがあるのだ。

今回は、私にとってその「ひとつの出会い」が、エキスポタワーだったのだ。


次なる「出会い」はいつ訪れるのだろうか。

 

10・サイト開設二周年・TOPページリニューアル

2003年8月15日。
この日は当HPの開設2周年記念日である。
多忙のためになかなか更新できない状態ではあったが、多くの訪問者の方々に支えられて運営を続けてこれた。皆さんには心から感謝したい。

その記念日を機会に、TOPページを根本的にリニューアルした。
開設してから何度か容量を軽くする作業は行ったが、ここまで「作り直した」のは初めてだった。

 

 

これまでのTOPページは、大きなタイトル画像を上部に配置し、各メニューの文字上にポインタを載せると、メニュー中央にあるウィンドウに説明が出るというJAVAスクリプトが使われていた。個性のあり、グラフィカルで気に入ってはいたのだが、
・容量が大きい
・ページが縦に長くなってしまう

という欠点を抱えていた。

今回はその欠点を改善すべく、新たなTOPページを制作。
まずJAVAスクリプトの仕掛けを廃止し、メニュー解説文をテキスト化。タイトル画像を小さくし、さらにそのタイトル横に「更新情報」を配置することによってページ長を短くした。また、メニュー横にはサムネイルをつけ、視覚的な楽しさを損なわないように心がけた。

TOPページはサイトの「顔」。訪問者を楽しませられるようなものにしていきたい。

 

2002年8月15日 
サイト開設二周年、TOPページリニューアル。

 

To be continued...

 

 

「遠い目をしていた、あの日の空。」タイトル画像コレクション
(サムネイルをクリックすると大きな画像が出ます)
ススキと夕日」 2001年8月15日〜8月31日
開設当初のタイトル画像。友人からもらったお気に入り写真をバックに。
四苦八苦して作ったのを覚えている。GIF形式で容量も大きめ。
沖縄・首里城」 2001年9月1日〜9月14日
沖縄に2週間滞在することになったので、思いきってポップな感じに。
写真は大学4回生時、友人達と卒業旅行で行った首里城。
遠き夕日」 2001年9月15日〜12月3日
タイトル字体を変え、全体的に紫を基調に仕上げてみた。
画像下の英字が「Just an old fashioned love song.」に。
メリークリスマス・トゥーユー」 2001年12月4日〜12月25日
迷ったあげく、白く仕上げたクリスマスバージョン。割と好評だった。
このタイトルから美しさと容量を考慮し、JPEG画像にした。
決戦の朝、近づく。」 2002年12月26日〜1月10日
かなり気合を入れて作った「福男選び」バージョン。
壁紙も燃えるような赤にし、決戦ムードを高めた。お気に入りの一枚。
全てが終り、全てが始まる。」 2002年1月11日〜1月20日
「福男選び」が終了したに伴い、「祭りの後の静けさ」を出した。
バックは西宮神社・赤門の夕日れ。
移り変わる時間」 2002年1月21〜2月26日
福男選び終了後に足が悪化し、再入院することになった。
その入院中のタイトル画像なので、あくまでシンプルに徹した。
 
ほら、春の足音。」 2002年2月27日〜3月26日
春の訪れを表現するため、画像にソフトフォーカスをかけた。
写真は入院中に撮った、随心院の白梅。
スプリング・ハズ・カム」 2002年3月27日〜4月15日
桜の季節の到来とともに、タイトル画像も桜に。
この年は桜の異常な早咲き。画像交換時期を焦った。
花、空、風...春の彩り。」 2002年4月16日〜5月6日
春のうららかな日差しをイメージして製作。
写真はわが街の河川敷に植えられていたチューリップ。

平和への祈り、この岬から。」 2002年5月7日〜6月11日
初めて、HPの更新と連動させた。喜屋武岬の平和の塔。
「何処か遠くへ〜旅〜」の沖縄南部戦跡編終了を記念して製作。

サンタマリア号と夕日」 2002年6月12日〜6月30日
当HPの原点である「夕日」をモチーフにした。
写真は、大阪・天保山。遊覧船サンタマリア号のシルエット。
星に願いを。」 2002年7月1日〜7月7日
わずか一週間のみに使われた、七夕バージョン。
私の最も好きな暦「七夕」を演出したかった。
球場からの夕暮れ」 2002年7月8日〜7月31日
当時、取り壊しが決定していた阪急西宮スタジアムからの西の空。
派手さは無いが、思い入れのある一枚である。
夜空を彩る、一瞬の輝き。」 2002年8月1日〜8月14日
本格的な夏、花火シーズンの訪れに合わせた花火タイトル。
花火は美しく、一瞬で消える。その儚さが人々の心を打つのだろう。
ありがとう、一周年!」 2002年8月15日〜9月2日
サイト開設一周年を記念して製作したタイトル画像。
掲示板のアイコンを使い、明るい雰囲気に。感謝を伝えたかった。
Good-Bye Expotower.」 2002年9月3日〜9月30日
エキスポタワー解体工事開始に合わせて製作した。
夕暮れに解け込んでゆくタワーのシルエット。
小さな観覧車」 2002年10月1日〜10月31日
行きつけのスーパーの屋上にある、朽ち果てた小さな観覧車。
派手さは無いが、お気に入りの一枚。
秋に咲く、桜もあります。」 2002年11月1日〜11月22日
秋の地味なイメージを覆す、コスモス畑のタイトル。
この時期に咲く花は、独特の雰囲気を持っていると感じる。
Glowing Autumn...」 2002年11月23日〜12月10日
深まって行く秋に合わせ、紅葉のバージョンに。
誰も座っていないベンチはどことなく寂しげで、絵になる。
Happy Christmas...」 2002年12月11日〜12月25日
苦労して製作したクリスマスバージョン。
100円ショップで素材を集めて撮った。映像のマジック・・・。
また、あの朝が来る。」 2002年12月26日〜2003年1月12日
今までに無いほど力を入れて作った、2003年福男タイトル。
開門時の全てが解き放たれる爆発、スピード感を表現した。
再び会おうぜ、この場所で。」 2003年12月13日〜2月13日
去年と同じく、福男終了後は赤門。
「祭りのあと」は、寂しさと清々しさが交錯する。。
そろそろ咲いても・・・いいよね。」 2003年2月14日〜3月24日
春の訪れとともに、咲き始めた梅の花をタイトルに。
花たちは敏感に春を感じとり、寒さをはらうように花を咲かせる。
その名は・・・エキスポタワー。」 2003年3月25日〜5月12日
3月に解体・撤去工事が終了した、エキスポタワーの在りし日の姿。
この素晴らしい塔のことを、私は一生忘れることは無いだろう 。
心に鮮やか、春の色彩。」 2003年5月13日〜6月12日
遅ればせながら、色鮮やかな春バージョンに。
春の草花は視覚だけでなく、心にまで鮮やかに染み渡る。
あした、天気になあれ。」 2003年6月13日〜7月1日
梅雨バージョン・おっちゃんテルテル坊主。 近所の河原で撮影。
リニューアルに向けたテストとして、画像をひと回り小さめに。
お願い事、かなうかな。」 2003年7月1日〜7月26日
タイトルを直接、写真の中に含めてみた七夕バージョン。
小さめの短冊に注目。「愛ちゃ××・・・お×・・・」。
眩しい空の彼方に。」 2003年 7月27日〜8月14日
長い梅雨が明け、本格的な夏の訪れに合わせて製作。
爽やかな空と、神戸・ ポートタワーのシルエット。
機上より」 2003年8月15日〜9月8日
本格的なトップページのリニューアル。タイトル画像もサイズ変更。
このHPの新たな出発に相応しい、美しい沖縄上空。
月兎」 2003年9月9日〜10月17日
仲秋の名月をイメージした、シンプルな月兎バージョン。
素敵な月の素材を提供して下さった素材屋さんに感謝。
秋穂輝く夕暮れ」 2003年10月18日〜11月17日
秋の深まりとともに、少し寂しげなイメージの画像に。
夕焼けに輝く秋穂。しばし時間を忘れるほど、美しい秋の情景。
未来の塔、最後の秋」 2003年11月18日〜12月10日
2002年秋に撮影した、エキスポタワー在りし日の遠景。
今はもう存在しない“未来の塔”、その存在の大きさを痛感。
Silent X'mas for you...」 2003年12月11日〜12月25日
しんしんと降る雪の中。火を囲む、サンタと二人の天使たち。
画像の中にストーリを込めた、2003年クリスマスバージョン。
平成16年度福男選び」 2003年12月26日〜2004年1月16日
毎年恒例、福男選びバージョン。
福の字を大胆に配置し、スピード感を出した。
あの日のこと、忘れない。」 2004年1月17日〜2月3日
1月17日、阪神大震災の日。
あの時に起こったこと、忘れない。
太陽の塔」 2004年2月4日〜3月23日
万博公園内、日の光に輝く太陽の塔。
この時、太陽の塔内部公開のレポートもUP。
春が来た。」 2004年3月24日〜5月12日
いよいよ桜も咲き始め、本格的な春の訪れ。
桜の淡いピンクと、青い空のコントラストが美しい。
東京ベイ」 2004年5月13日〜7月3日
東京旅行の時に撮った、さわやかな朝の港。
遠くの対岸に、特徴的な某TV局の建物が見える。
七夕飾りと月」 2004年7月4日〜7月7日
神戸ポートタワーの七夕飾りと、夏の月。
七夕にだって、月は美しく、優雅に空に浮かぶ。
時計塔、澄んだ空」 2004年7月8日〜8月17日
夏の暑さを和らげる影、空の青。
建物は和歌山・ポルトヨーロッパ。
神戸港の花火」 2004年8月16日〜9月2日
夏まっさかり、連日のように行われる花火大会。
神戸の夜景をバックに、打ち上げられる花火に思わず見とれる。
平和祈念像」 2004年9月4日〜
右腕は原爆の脅威を。左腕は平和を。閉じた瞳は冥福を。
偶像化と戦いながら、平和祈念像は長崎で訴え続ける。
随時追加していきます。